第63話 恥辱

 船には騎士の人達が数名乗っており、コンテナに入れられていた子供達や転がっている男達を別の船へと移動させていた。

 ルゼはクラウスに抱きかかえられたまま、クラウスらが乗ってきた船に移っていた。


(良かった、エマさんもいる……。ファルもヴィリも無事そう……)

「……」


 大きな船から先程まで載せられていた質素な船を見下ろしていると、クラウスがルゼの頬に触れ、咎めるような目を向けた。 

 日の光によってルゼの奮闘した証がよく見えるようになってしまったのだろう。


 クラウスが放った殺気に近くにいた騎士が数人一瞬動きを止め、ルゼはクラウスの怒りを鎮めようとヘラリと笑って虚偽の報告をした。


「この傷は、ふらついてこけてしまったんです。割れた瓶で切っちゃいました。他の傷もそんな感じです」

「こけただけで首に痣はできない」

「んんー自分で」

「すまない。行かせるべきではなかった」

「えっ」


 ルゼの傷跡を撫でながら、呟くように謝られた。ルゼが気持ちよくなるためだけに動いたのに、この男はルゼに対してではなく、なぜか自分に対して怒っているような気がする。

 ルゼは頰に置かれている手を除けると、謝らせてしまった罪悪感からクラウスの目を見てきっぱりと言い放った。


「わがままを言ったのは私の方です」

「止めるべきだった。お前に頼まれると叶えたくなる」

「……お……」


 何かほざいているような気がするが聞こえなかったことにする。


 クラウスはちゃんと、ルゼが怪我したら困ると言ってくれていた。ルゼの行動によって他人が困ると教えた方が、その愚かさを自重させられるとでも思ったのだろう。そして事実ルゼも、クラウスがこれほどまでに気が病むのなら動かなければ良かったと思いかけたが、その思考はやはり間違っていると思い直した。

 この船の中での一連の行動は、自分が正しい。


「すみません」


 ルゼがその気持ちを隠してぺこりと頭を下げると、クラウスがため息混じりに言った。


「自分を一番に考えた方が良い」

「考えた結果です」

「考えが足りない」

「後悔しない道が正しいんです」

「なぜ後悔しないと言い張る」

「私は正しいです」


 何か反論されると思ってクラウスを見つめてそう言い放ったのだが、ただ冷たい視線を浴びせられただけだった。


 クラウスはルゼを近くにあった椅子に座らせると自分もその前にしゃがみ、ルゼの切れている左手を手に取った。傷を治してくれるのか、魔法をかけてくれている。


(……洗浄魔法と、なんだろ? 二種類も同時になんてす……)

「……いいっったい!!」


 傷の痛みとは違う、皮膚を摘んで捻るような痛みに、盛大に叫んでしまった。無数の針を刺した皮膚が、裂けた肉を引き合わせるために薄く伸ばされグチャリとまぜ合わされる。余計に引き裂かれたかと思ったが、傷跡は無くなっている。


 クラウスはルゼに洗浄魔法と修復魔法をかけたようで、ルゼの切れた左手の肉がミチミチと音を立てて綺麗に元に戻っていった。

 しかもついでに右手の骨折も治してくれた。パキパキと細かい音を鳴らして、割れた骨が接合され元の位置に戻る。


「……っ……ぐっ……」


 ルゼは痛みを我慢する癖がある。恥ずかしいからだ。

 クラウスに右手首を握られたまま、その痛みを逃そうと前にかがんで全身に力を込めた。それでも痛すぎるあまり、先程治された左手でクラウスの肩を掴んで思い切り握りしめる。


 ルゼは暫く下を向いて歯を食いしばり、全身で痛みを堪能すると、自分の目線に合わせてしゃがんでくれているクラウスを涙目で睨んだ。


「縫うより断然痛いではないですか!」

「嫌なら怪我をしない方法を考えろ」


 修復魔法はあまり人気がない。それを使えば人体のもつ本来の治癒能力が低下することが理由にあるが、皆が真っ先に口にする理由は、それを使用した際の身を捻るような痛みだ。

 治癒魔法は存在しない。人が理論を構築できなければ魔法を作れないからだ。


「頑張ったんですよ! 褒めてください」

「褒められることよりも、咎めたい行動の方が多すぎる!」

「……治してくださってありがとうございます!」

「なぜいつも返事をしない」

「あ、あの……」


 ルゼとクラウスが言い合っていると、一人の騎士が怯えながら躊躇いがちに近づいてきた。クラウスが少女と話している様が珍しいのか、それともクラウスに歯向かう人間が珍しいのか、困惑に揺れる視線を二人に向けている。


 クラウスはなぜかルゼを抱えて立ち上がると、不機嫌そうな顔で騎士の男性を見た。


「なんだ」

「……はい。そちらの子も今回の船に乗せられていた子供でしょうか? 健康調査等もありますのでこちらに引き渡していただけないでしょうか」

「こいつは除いていい。俺が連れて帰る」

「……そ、そういうわけにも……」

(言い方が下手なんですよ……)


 騎士はクラウスの威圧感にしどろもどろになりながら話している。その顔には「早く立ち去りたい」と書いてあるのだが、ルゼはいつ元の姿に戻るか分からないため引き渡される訳にはいかなかったし、そもそもクラウスがルゼを放しそうになかった。


 仕方がないので、数時間前に来た自分は無事だと伝えることにしたのだ。恥を忍んで。


「……兵隊さん、ルナは大丈夫だよ! ルナね、今日の朝ここに来たし、このおにいちゃんとも知り合いなんだ!」

「お、おにいちゃん……?」


 騎士はクラウスに幼児の知り合いがいることよりも、クラウスがおにいちゃんと呼ばれていることが気になったようである。


「……あの、殿下はこの子とどういったご関係で……?」

「婚約者かな」

「は?」

「や、やだ冗談ばっかり! ルナ、おにいちゃんの、こん……婚約者様……の、友達の妹とかなんだよ!!」

「な、なるほど……?」

「そう! この人のは嘘! 言いふらしちゃ駄目だよ! ほんとに!!」

(……私のせいで変な噂が流れるかも……)


 皇太子に幼女趣味があると囁かれてしまってはたまったものではない。

 ルゼは、騎士を解放し、騎士から解放されるために渾身の演技でクラウスと薄い関係の子供を装ったのだが、突然クラウスがルゼを引き渡す素振りを見せた。


「……お前、ふらついて歩けないのではなかったか」

(え!?)

「いえそれは、栄養失調とかではなくてアルコールの充満し……た、お部屋にいたせいだもん! すぐ治るんだから!」

「……ふ……」

(お、面白がってる……!)


 ルゼは口調が戻ってしまていたことに気がついて慌てて騎士の方を振り返ると取り繕ったのだが、騎士はそれよりもクラウスが薄く笑ったことに驚いているようだった。

 しかし、騎士はルゼの顔や首を見て表情を固くした。


「ですが、見たところ他の子供達よりも怪我をしているようですが」

「げんきだよ?」

「女性の騎士もおりますので、怖がらなくても大丈夫ですよ」

「でも……」

「治療してもらえ」

「殿下もこう仰っていることですし」

「いえあの……」

(私で遊ぶな……)


 クラウスは心配しているのかよく分からないが、純粋に善意の目で見つめてくる騎士の男性には非常に申し訳ない。話はまとまっていないのに、騎士がルゼを連れて行こうと手を伸ばしてくる。


(ちょ……クラウス様! 止めてくれないの!?)


 ルゼはクラウスの首にしがみつくと、頑として動かないと意思表示をした。


「や……やだ! ルナ、この人のとこに一緒に帰るの!」

「は····」

「……」

「体調が悪くなったらこの人にどうにかしてもらうから、おねがい!!」


 知らない人の前で成体に戻って全裸になるのは避けたい。そんなことになってしまえば、皇太子の婚約者は傷だらけの痴女だと馬鹿にされ蔑まれ、クラウスに依存する人間として老いていくのだろう。

 ルゼの必死の思いが伝わったのか、クラウスが拒否しなかったからかは分からないが、騎士が戸惑いながらも折れてくれた。


「……承知しました」

「わがまま言ってごめんなさい。兵隊さんも、助けに来てくれてありがとお!」

「い、いえ、仕事ですので。では失礼します!」


 騎士は早足に立ち去って一命をとりとめたのだが、ルゼの安堵も束の間、クラウスが顔をしかめてルゼを見ている。

 ルゼはゆっくりとクラウスを抱きしめていた力を弱めると、クラウスから目をそらした。


「……申し訳ございません·····」

「いや……」

「……」


 クラウスの曖昧な返事にさらにいたたまれなくなるのだった。

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