第62話 同列じゃないから
エマが出ていくと同時に、ルゼは後ろから歩いてきた男につまみ上げられた。胡乱な瞳で見つめられている。
「……おい、こんな顔だったかあ?」
「ど、どーもお……」
苦笑いで訳の分からない挨拶をするルゼに、男が酒で真っ赤になった顔を近づけてまじまじと眺めてきた。口内からアルコールの激臭が漂ってくる。
今の騒ぎで他の二人も徐々に起き出してしまったようで、酒で虚ろな瞳をこすりながら呂律の回らない言葉を発した。
「……ああ、もう着いたのかあ?」
「いや、ガキが動き回っただけだ」
「静かにしてくれよ……」
「ご、ごめんなさい。おとなしくしとくから、おろしてくれませんか?」
気弱な子供を装ってそう言ったのだが、食い入るように見ていた男は気味の悪い笑い声を上げると、酒瓶の転がる机にルゼを放り投げた。
空の瓶が一本机から転がり落ち、音を立てて割れている。
「……っ」
頭を机に押しつけるようにして口を覆われ、手足をジタバタと動かしてもがくも意味はなさそうだった。よくあることなのか、他の二人は迷惑そうな顔で酒を飲み出している。
男の気味の悪いにやけ顔がルゼに近づいた。
ルゼは咄嗟に男の首にめがけて手刀を入れたのだが、男はびくともせず、逆に男の太い首にぶつかったルゼの手が痛んだ。
「……っ」
(骨折れてるの忘れてた……っ)
「ちっ」
ルゼの微弱の抵抗でも男を苛立たせてしまったようで、顔を思い切り殴られた。男は口を覆っていた手をずらして首を絞め始め、他二人の男がさすがにまずいと焦りだしたようである。
「おい、いい加減にしろよ。お前がそうやって毎回誰か殺すせいで、取引先に怒られるんじゃないかと肝が冷える。処理も大変……」
「黙ってろ!!」
(……あの木箱の血、そういうことか)
無作為に選ばれているのではなく、恣意的に選ばれているようだ。
この男は腕っぷしだけで生きてきたのだろうか、誰も口を出せないようである。ルゼの首を絞めたまま至近距離で怒鳴るせいで、顔にいくらか唾液が飛んでくる。
「どうせあの耄碌したじじいは、奴隷が一匹減ろうが気づけないさ。大体、毎回毎回30人もガキを買って、どうせすぐに殺してんだろ。俺がここで憂さ晴らしに使っても問題ねえ!」
(……じじい?)
商品が減っても気づかれないような杜撰な管理体制であるはずはないと思うのだが、今までバレてこなかったらしい。
呂律の回らない舌で怒鳴りながらルゼに伸ばされた手つきから、どうやら男の憂さ晴らしは子どもを殺すことではないようであった。
「触るな!!」
「は……」
ルゼは左手から流れる血を男に向かって散らすとその首に腕を回し、顎にめがけて自分の膝を振り上げた。身体強化の魔法を唱えたのだが、若干膝が痛い。
「が……っ」
「おいどうした!」
「すみません!」
ルゼはすぐに上体を起こすと振り返り、安否確認に走り寄ろうとしてきたもう一人の男性に向かって催眠剤を投げつけた。
割れたガラスの散乱している床に昏倒させてしまったのだが、それを気にしている余裕はない。
「おいガキ一人に何を……」
(あと一人……無理!)
小さな少女が男を二人昏倒させているその異様な状況に、扉付近に立っていた男がルゼに警戒心をあらわにして近寄ってきた。しかし、催眠剤は既に二つ使ってしまった上に魔力が切れかけている。
ルゼは喉を押さえて咳き込みながら手元にあった酒瓶で殴ろうと振りかぶったのだが、突如ガコンッと大きな音が聞こえた。
ルゼに襲いかかろうとした男が、倒れた扉の下敷きになっている。
「く……ゲホッ、……クラウス様!」
(ドアって蹴破れるんだ……)
「…………」
木製の古びた扉ではあったが、そう容易と蹴破れるものなのだろうか。
クラウスは周囲を見渡して状況を確認しているようであり、机の上で酒瓶を握りしめて座っている少女を無表情で見下ろしている。
ルゼは持っていた酒瓶を静かに下ろすと、もう一度笑顔でクラウスの名を呼んだのだが、ただコツコツと近づいてくる足音だけが聞こえる。
(お、怒ってますよね……!)
わがままを聞いてもらう代わりに結んだ、何があってもじっとしていろという約束を破ったのだ。
ルゼは怒られる恐怖から目を瞑ってびくりと肩を揺らしたのだが、クラウスはルゼに伸ばした手をピタリと止めると静かに問いかけた。
「……怪我はないか」
「は、はい……」
(……あれ?)
予想外にも安否確認された。
「……遅くなった」
「いえっ、かなりお早い救援ですよ! ありがとうございます。うまくいったのでしょうか」
「……」
(間、間が怖い……!)
なぜか無言で見下ろされている。
とりあえずクラウスはそこまで怒っていなさそうなので、ルゼはいつも通り元気よく声を出した。
「殿下、申し訳ないのですが私を抱き上げてくれませんか? 足に力が入らないんです」
「……俺が触れても大丈夫か」
「? はい」
(今更何を躊躇っているのかしら……)
普段意味もなく触ってくるくせに、何故か今配慮らしきものを覚えたようだ。
ルゼが笑顔でクラウスに向かって両手を広げると、クラウスはその左腕にルゼを座らせてくれた。ルゼはクラウスの首に手を回し、目の前にあるクラウスの耳に向かって話す。
「探してくださってありがとうございます」
「動くなと言ったはずだ」
「すみません」
「本当に怪我はないのか」
「至って無事です」
「そうか」
「はい」
責める言葉一つ言ってくれないらしい。
クラウスはルゼに振動を与えないように、静かに船の上部へと向かった。
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