第59話 安易な発言

 ルゼはあの後睡眠薬を嗅がされ、目を覚ました頃にはどこかの暗い倉庫に入れられていた。

 身体検査等はしなかったのか、ナイフも催眠剤も身につけたままだった。


 いつもの短剣はこの体には大きかったので、小型で軽いナイフを持ってきた。あまり当てにはしていない。その代わり、催眠剤を入れた小さな袋が2つある。


(詰めが甘いね……)


 敵の失敗は見逃すもの。想定外の状況の良さに、ルゼはふふふ……とあくどい笑みを浮かべた。


 ルゼのいる空間は正方形の狭い部屋であるようであり、左右から先に収容されていたのであろう子供達の泣き声が聞こえてくる。


「うあーーん」

「大丈夫だよ、だいじょうぶ……」


 そう言って、一人の子供から泣き声が連鎖的に広まる。年長の女の子が幼い子供達を元気づけていたようであったが、しまいにはその子も泣き出しそうになっていた。

 人の泣き声はなぜか心臓がぎゅっとする。


「み、みんな! 大丈夫だよ、絶対助けが来るから!」


 ルゼは大きな声でそう言うと、右手の指先を少し噛み千切り、地面に血で魔法陣を描いた。詠唱すると魔法陣からポワポワと小さな光の球が現れる。


 子供達はルゼの声にびくりとして泣くのをやめると、突如現れた光の球に見入っていた。


「大丈夫!  あんまり大きな声を出すと怒られちゃうかもしれないから、助けが来るまで静かに待ってようよ!」


 どうやら同じ空間に20人程度の子どもがいるようである。外に聞こえないくらいの声量でそう言うのだが、狭い部屋なので皆に聞こえているだろう。

 ルゼの笑顔に、数人の子供達が涙を引っ込めた。


「……でも助けが来たところで、僕たちのいられる場所なんて……」

「大丈夫! なぜなら私がなんとかするから!」


 ルゼは、船を出た後を考えてまた泣き出そうとする少年に精一杯元気よく笑いかけるのだが、なんと声をかけたら良いやら分からない。

 小汚い外見の知らないチビがほざく、なんとかするなどという言葉に信用はなく、奥から半泣きの反論が飛んできた。


「できもしないこと言うなよ!」

「できる!!」


 威勢のよい反論に間髪入れずに返答すると、その声の主は少したじろいだようだった。


「な、何を根拠に……」

「根拠はない! でもできないことなどない! と思いたい!!」

「根拠がないなら言うなよ!」

「すみません!!」


 よく分からない元気なチビと俗世を憂う少年の問答に、クスクスと小さな笑い声が聞こえる。


「お前、そんなちびのくせに何いばってんだよ」

「大きな声出しちゃ駄目なんじゃなかったの?」

「あはは、ほんとにどうにかなる気がしてきちゃった」


 やはりどこに属していても、笑われる運命にあるのだろうか。

 ルゼは子供達が泣き止んだことに嘆息したのだが、今度は近くにいた少年が不安そうな表情でルゼのぼろぼろのワンピースの裾をくいくいと少し引っ張ってきた。


 ルゼは少年の隣に座り込むと、少年の口元に耳を近づける。


「なあに?」

「……お前、あんまり適当なこと言うなよ。こいつらを元気づけたい気持ちは分かるけどさ、俺らは見ないふりをしていないと生きていけないんだ」


 少年はルゼをまっすぐ見つめると小さな声でそう言った。

 別に適当なことを言ったつもりはないのだが、落ち着かせるために反射的に叫んでいた節はある。

 少年とは思えないその達観した発言に、ルゼは口の中でボソリと復唱した。


「……見ないふり……」

「期待させるよりは、これからどうなるのか想像しておいた方がいいだろ」

「……助けたいと思うことも迷惑?」

「どうせなんにもできないだろ。その場限りの励ましなんて、余計につらくさせるだけだ」


 少年は悲しむわけでもなく、ただ淡々とそう話した。根拠もなく明るい未来を豪語して安易に落ち着かせようとするルゼに、少年は腹を立てているようだ。

 過去の自分が言いそうな発言だ、と一瞬思ってしまった。


(……いつから過去に……)


 いつから、過去の自分などという区切りが生まれたのだろうか。

 ルゼはその一瞬のどうでもいい思考を頭を振って弾き飛ばすと、救いを求めない少年に吐露するように語りかけた。


「……私は、今までずっとぬくぬく家の中で育ってきたんだ。中途半端なこと言ってごめん。どうにかできたとしても時間がかかるし、確証のないことは言うべきじゃなかった」


 言う前から分かっていることだ。大体救う側にいる人達も、自分たちが何をすれば良いのか分かっていながら実行しないのだ。ルゼ一人でどうにかできる問題ではない。

 親に捨てられた彼らと、死んだ兄の敵を討ちたいルゼ。どう考えても分かり合えそうにないのに、中途半端に高慢にも救おうなどと思ってしまった。


 ルゼが反省して頭を下げると、少年は少し笑って先程よりは明るい声で話した。


「おまえ、貴族の子どもだったとか?」

「うん」

「そっか。貴族には俺たちの暮らしなんて分かるはずがないからしょうがないな。お前は運が良くて、俺らは運が悪かっただけだ」


 そうなるとルゼの今の状況は、生まれの運の良さ故に帳尻を合わせられでもしたのだろうか。残酷な平等もあったものだ。


「でも、運が悪かったなんて諦めなくてもいいんだって……」

「無責任だろ。今まで何もできなかったやつが何かできるはずがないよ」

「……」


 何年も生きていない子どもであるはずなのに、ルゼよりもよっぽど大人びている。

 ルゼの落ち込んだ顔に少年は驚いた顔をすると、励ますように無理やり笑顔を作ってくれた。


「おまえ、貴族らしくないし子供らしくもないな。何歳なんだ?」

「……7歳。あなたは?」

「10歳。俺は背が小さいからもっと子供に間違われるけどな! お前も5歳くらいにしか見えないな。ちゃんと飯食えよ……って、難しいか」

「……」


 8歳ほどの少年だと思っていたが、栄養状態が悪いのだろう、実年齢は二桁あるようだ。手足が異常に細い。


「……なあ。スラムをどうにかできるかもしれないって本当か?」

「……知識と発想しかないんだけど、立場とお金を使って改善したい……」


 立場とお金を使って打開したいなどという、人として底辺の発言をしてしまったが割と本心である。そうしてまた安易に言葉を紡ぐのだ。救う側がいれば救われる側が生まれてしまう。


 ルゼの自信なさげな小さな声でも、少年はしっかり耳を傾けてくれている。


「じゃあさ、お前の言うとおりここを逃げられたら、どれだけ時間がかかっても良いからそれ絶対に成功させろよ。俺ら以外にもまだ沢山、飯も食えねえやつらがいるからさ」

「……絶対に約束する。時間はかかるかもしれないけど、あなたも幸せにしてみせる!」


 ルゼが真剣な顔をして少年を見つめてそう宣言すると、少年は少し顔を赤らめて戸惑いをみせた。


「し、幸せにするって、おまえ……」

「まず、住む場所とおいしいご飯を用意するから!」


 衣食住が基本だ。そしてそれが充足していれば、不幸せではないだろう。幸福ではないが不幸でもない、それが幸せというものである。

 元気よく回答するルゼに、少年がしらけた顔をしている。


「……あ、そういうこと……。……おまえ、名前は?」

「ルナだよ! あなたは?」


 ルゼが笑顔でそう言い、ファルが口を開きかけたその時、突然隣から男性の大声と少女の泣き声が聞こえてきた。

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