第58話 笑わせるな
(·····クラウス様、怒ってくださるのか·····)
話が通じないことよりも、ルゼが売られる前提の状況に腹を立ててくれている……ような気がする。
ルゼは今回の計画を自分から言い出したこともあって、これ以上時間が押さないように策を試みることにした。
足をぶらぶらと揺らすとクラウスと繋いだ手を振り回し、サロモンに無邪気な笑顔を向けて、舌足らずに話し出した。
「ねえ、おじちゃん! このおにいちゃんルナと会ったとき、国の兵隊さんたちをぼんぼこ殴り倒してたんだよ! 見られただけなのにムカついちゃったんだって。ルナも、おにいちゃんみたいに強くなれるって聞いて、ここに連れてきてもらったんだ!」
(すみません!)
「は……」
「あー! ほんとだよ? この人おっかないんだからね、おじちゃんなんかすぐふっ飛ばされちゃうよ!」
(すみません!!)
「……」
おっかないのだけは本心である。
クラウスの殺気はルゼの言葉によってかき消されたのだが、ルゼが恥ずかしい思いをしている甲斐あってサロモンの恐怖は増したようであった。
「……では、ご要望通り外向けで……」
「お外!? やったあー!」
サロモンは初めてルゼに同情の視線を向けると、そそくさと奥へ引っ込んだ。
ルゼは動かしていた足と手をピタリと止めると、正面を向いたまま小さく声を出す。
「……申し訳ございません」
「いや……」
「……あの、笑わないでいただけます?」
「…………ふっ、……ああ」
ああ……と言う割には微かな笑い声が聞こえてくる。
ルゼは自分の努力を笑っている男の手をぎりぎりと握りしめると、正面を向いたまま笑顔で青筋を立てた。
「それ以上笑ったら、私も殿下のことを嗤い飛ばします」
「……」
こんなにも頑張っているというのに。自分から言い出したことなので、頑張っているなどと言って不平をこぼすのはおかしな話なのだけれど。
ただ、かなり恥ずかしいのである。16年生きてきてこれをしなければならない状況に身を置いている意味がわからない。
ルゼが恥ずかしさのあまりにムッとしてそう言うと、クラウスは何かを考え込んだ後、なぜか身を屈めて椅子に座るルゼと目線を合わせた。
「え……。なんでしょうか。ちゃんと約束は守りますよ」
(……あんまり覗かないで……)
クラウスはルゼの耳についているイヤリングに触れながら、ニッコリと微笑んだ。
「お嬢様、俺はあなたのことを信頼していません。何があっても大人しくしておきなさい」
「え!?」
(お嬢様!?)
「本当は囮のようなことはさせたくないんですよ」
「あ……ありがとうございます……」
(……なんだこれ……)
なぜかクラウスが嘘くさい話し方でルゼの身を案じてくれている。へへ……と困惑気味に笑いながら返すことしかできない。
「俺の言うことは聞いていただけているのでしょうか」
「はい……んふっ……」
「あなたが怪我をしたら俺が困ります」
「あはははは何ですかその話し方!」
目の前で繰り広げられる寸劇に、ルゼは今度は吹き出すのを抑えきれなかった。感情の赴くまま、脇目も振らず盛大に笑ってしまった。
「……」
「あっはははは私が怪我したら困るんですか!? 優しい……あはははは!!」
「……」
「あはっ……はっ」
皇太子の優しさを豪快に笑い飛ばしたルゼを、クラウスが少し驚いたような顔をしてで眺めている。笑わせにきたのではなかったのか。
「あ……」
「……」
一瞬で蒼白な顔になったルゼの柔らかい両頬を、クラウスが楽しそうに笑いながらつまんでいる。
「……すみません。怪我はしませんので……」
「ああ」
(……何なんだ……)
謎の短い寸劇を挟み、サロモンが縄と代金の入った袋を持ってきた。袋は割と膨らんでいる。目に見える価値に換算されてなぜか嬉しくなって目を輝かせたのだが、クラウスに睨まれて息を呑む。
袋をクラウスに手渡すと、サロモンはかがんでルゼと目線を合わせた。
「お嬢ちゃん、じゃあおじちゃんについてきてくれるかな?」
「うん! おにいちゃん、またね!」
ルゼは椅子から飛び降りると、そう言ってクラウスに大きく手を振った。恥ずかしさのあまり目線だけ横にずらしてしまったのだが、クラウスがまた小さく笑ったような気がした。
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