第56話 全て薬の効果ですよ
納得はしていないだろうが、ルゼの要望通りクラウスは温室へ向かってくれた。
温室に行くまでに、薬草をすり潰すための器と木の棒、水を汲むための容器や鍋なども用意してくれていた。そしてなぜか侍女も一人連れてきてくれたようである。
(手伝いはいらないのさ……)
ルゼは温室に植わっている薬草を数十種類摘むと全てすり潰し、地面に魔法陣を描いて鍋を置くと、すり潰した薬草を水と混ぜて数十分かき混ぜながら煮込んだ。
グツグツと緑色の粘ついた泥が鍋の中で煮立っており、鼻を突き刺す異臭が漂っている。
「……完成でしょうか……?」
鍋の中を覗き込みながらそう呟く。
この薬は過去に一度しか作ったことがなく、なぜかその時に比べて色も匂いもドブに近かったために、ルゼはすぐに顔をそらした。
「……なぜ作った当事者が不安がる」
「いえ、なんというか……。薬草の質が良すぎるんですかね。まあいいや」
皆まで言う必要もないだろう。飲めなくなったら困る。
ルゼは鍋に直接口をつけるとドブのような何かを飲み干し、クラウスが眉根を寄せてその様子を見下ろしている。侍女はその強烈な臭いに顔を歪めないように必死に表情を作ってくれていた。
「……涅槃来たれり」
「……無理をするな」
口の中に粘ついたスライムのようなものがまとわりつき、生臭い匂いが鼻を刺す。妙な苦みと植物特有の青臭さを堪え、とにかく全て飲み干すのだ。
しかし、ルゼの体には何の変化も起こりそうにない。
「……何も起こらないですね。以前は飲んだらすぐに、ぼんっと効果が出たのですが」
「免疫がついたのではないのか」
「……それならこれは売れないですねえ……」
そう呟くルゼをクラウスが無表情で見下ろしている。
ルゼの言った「有言実行できる人間」というのは、この薬で販売利益を手に入れ、クラウスにかつての示談金をお返しする算段のことを指していた。
しかし、一度しか使えないのならそこまで需要もないだろう。当てにしていただけに落胆も倍増だ。
「それ以前に、その薬は売れないと思う」
「使いたい方とかいるような気がしませんか?」
「悪用される未来しか見えない」
「……そうですよね。やはりお金というものはそう簡単にはあっ」
ルゼは諦めて立ち上がろうとしたのだが、急に体の重心が変わって尻餅をついてしまった。何事かと自分の両手を見ると、明らかに一回り以上小さくなっている。
「わあ、成功で…………ぬあっ、寒い! くらうすさま、ちょっとあっち向いて……」
「……」
着ていたドレスに埋もれるから大丈夫か~、などと悠長に構えていたのだが、微妙に襟元の開いたドレスを着せられていたために小さな上半身が露出してしまっていた。
珍妙な悲鳴を上げながら慌ててドレスをたぐり寄せ、慌てて肌を隠す。
(……え? 前はこんなに小さくならなかったのに……)
クラウスは想定していたのか、ルゼの方を見ないでいてくれたようである。連れてきていた侍女に、ボロボロの布でできた服を着せられ、ついでに顔や髪に泥をつけられた。
(用意周到だ……)
「……ありがとうございます。あの、私何歳くらいに見えますか?」
「そうですねえ……。5、6歳あたりでしょうか。その見た目でその口調のまま話されると気持ちが悪い、といったような印象をお見受け致します」
確か、以前は服用した時には10歳くらいに変化した記憶があるのだが。
「……丁寧な助言をありがとうございます……」
「いえ」
侍女はルゼが求めていた以上に辛辣な感想を教えてくれた。彼女は目の前の出来事にもさほど驚いた様子も見せず、手際よくルゼを着付けてくれている。
(何事にも動じない人間、見習いたいです……)
などと考えながら、自分のすべきことを考える。
(奴隷の子供って、貴族ではないよね……)
今の助言を参考にしつつ、侍女相手に一策を講じることにした。
「……どうもありがとう! お名前を聞いてもいーい?」
小首を傾げて子供らしい屈託のない笑顔を浮かべると、溌剌とした声でそう言った。
ルゼの突然の変わりように侍女がぽかんとした顔をし、クラウスはやはり無表情で見下ろしている。少し顔をしかめているかもしれない。
(……結構恥ずかしい!)
16にもなって幼子の真似をすることになるとは考えてもみないものだ。
ルゼが笑顔のまま頬を若干紅潮させると、侍女は一つ咳払いをし、再び助言をくれた。
「……オリビアでございます。あまり隙を見せるようなお顔をなさるのはどうかと思いますよ」
「分かった! 他にも何かある?」
「そうですね……。所作が美しすぎますので、もう少し庶民の子らしく動けばよろしいかと」
(しょ、庶民の子らしい動き……?)
ルゼはかつて動きがゴミ虫だとシャーロットから叱責された記憶があるのだが、今回では真逆のことを言われてしまった。
(……動きに関しては後々考えることにしよう!)
「……頑張る! オリビアさん、ありがとお!」
「い……んんっ、いえ……」
(あれ、まだ何かあったかもな……)
ルゼがお礼を言いながら抱きつくとオリビアが再び咳払いをしたため、まだ悪い所があったかもしれないと一抹の不安がよぎった。しかし今聞いたところでどうにもならないことの方が多そうだったために、この程度に留めておくことにする。
「でんか、準備万端ですよお」
ルゼが歩幅の狭くなった足でてちてちとクラウスの元へ駆け寄ると、クラウスはルゼを見下ろしたまま顔をしかめ、不思議な沈黙をおいた。
(ん? さすがに私一人では出られないんだけど……)
「……あっ、皇太子様が奴隷商人のもとへ出向かれるのは問題ですよね。すみません、誰か一人私を売ってくれる大人を探していただけませんか?」
ルゼは何故かクラウスと一緒に行くものとばかり思っていたのだが、よく考えなくとも皇太子が奴隷を売り飛ばしている様子を誰かに見られるのは一大事だった。
ルゼが唐突に言葉遣いを元に戻したせいで、ルゼの着ていた衣服を拾い集めていたオリビアが微かに笑っている。
「いや……」
クラウスは曖昧な返事をすると自分に魔法をかけ、黒髪を金髪に、青い瞳を金の瞳に変えたようだった。
「……オリビア様、殿下であると一目で判別できますか?」
「いえ。ぱっと見ですと分かりません。皇太子殿下の元の髪色は特徴的ですので」
(黒色だっけな……。だとしても危険では……?)
ルゼの自己満足に付き合わせて、クラウスに害が及ぶようなことになるのは避けたい。
ルゼが悩んでいると、クラウスが屈んでルゼと目線を合わせた。
いつも目が合っているような気がするのだが、理由のわからない緊張が走る。
「殿下、お膝が汚れてしまい……」
「ルゼ」
「はい」
「俺と離れたら不用意に動かず、助けが来るまで大人しくしていろ」
クラウスは本当にルゼを奴隷として送り込むのが不本意なのだろう、真剣な眼差しでルゼを見つめてそう言った。
おそらく、ルゼがクラウスの預かり知らないところで行動するよりはマシだと思って選択したという、消極的な決断なのであろう。
ルゼも真剣な瞳で見つめ返し、にこりと笑って答えた。
「はい。わがままを聞いてくださってありがとうございます」
「何かあっても率先して動くな」
「……はい。もちろんです」
「……」
「分かってますよ」
にこにこと笑いながら返事をするのだが、クラウスはまだ何か言い足りない様子である。
そしてなぜかルゼを抱き上げて立ち上がった。クラウスの片腕に、小さなルゼがちょこんと鎮座する形だ。
「うん!?」
(……でも子供だとこれが正しい……のか?)
ルゼの幼少期の記憶にもそれを妥当と言えるものはなかったのだが、子供の足では歩く速度が遅かったうえに既に恥をかいているので、無になって童心を芽生えさせようと決心するのである。
「……よし! どれい商人をたおすぞお!」
ルゼがクラウスの腕の中で片腕を上げてそう決意表明すると、クラウスが笑いを堪えるような声を漏らした。
「笑うんじゃないよお」
「……ふ……っふふ……」
「こう見えてもな、頑張ってるんだぞ」
(……というかこの方、幼児を担いだまま闊歩するのかしら……)
クラウスはルゼを担いだまま馬車へ闊歩したのだった。
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