第55話 信念は曲げられない
ルゼは普段両手に手袋をしているのだが、骨の折れている右手と針で縫われている左手は今両方とも包帯が巻かれている。これで手袋をすると蒸れるので珍しく手をさらしているのだが、クラウスはその手を一瞥している。
(……両手が使えず……何をしようかな)
ルゼも、今日の予定を考えながら両手を見つめた。とくとくと無音のまま時間が過ぎてゆく。
公務の邪魔をしてはいけないと思い立ち上がろうとしたのだが、クラウスに腕を掴まれた。
「まだいいだろ」
「おお……お邪魔でなければ……」
感情の振れ幅は小さくなければならない。おお……などという感嘆の声は漏らすべきではない。
なぜか呼び止められたのでクラウスの隣にそっと腰を下ろすのだが、特に用があるわけでもなさそうだ。
「……うふ……」
「……」
最低なぼけがここに一人おり、クラウスがちらりと一瞥した。
ルゼはこの静かな空気の中、モーリスに言われたことをぼんやりと思い返す。
(……お父様は何故、魔力吸収の鉱石を指輪状にしたのかしら)
指輪なんて用途が限られた形状すぎる。明らかに誰かにつけるために作られている。
ルゼの父親は寡黙な人だった。書斎にこもりきりだったため、母親ほどではないが顔を見た記憶があまりない。極稀だが遭遇してしまった時には、硬い笑顔を向けられていたような気がする。
父ハインツは剣にも魔法にも秀でたところがなかったが知識だけは豊富にあり、それを活かせる能力も持っていた。ルゼは時折父親の書斎に忍び込んでは、その莫大な資料に目を輝かせていた。
そんな彼が誰に何のために指輪をつけるつもりだったのかは、思考から除外しても構わないことだろう。いらない、いらない……。
(……モーリス様は魔力吸収の鉱石の変成方法でお金も手に入れられたと仰っていたけど、そんなにお金になるのかしら。ベルツ家は金だけはかなり潤沢にあったような……)
ベルツの家は、いちいち金色で派手な趣味の悪い調度品、毎日のように来る宝石屋の商人、エレノーラの身につけている貴金属……と、明らかに下手な領地経営・学会への報告以外の収入源がありそうなのである。
ルゼはクラウスに話しかけようと横を向こうとしたのだが、ばっちり目が合う危険を感じて斜め下を向いた。功を奏したようだ。
「クラウス様。話せる範囲で構わないのですが、あれ以降モーリス様から何か聴取できましたか?」
「……あいつが奴隷を売っていたことくらいだ」
「……奴隷!!」
(なるほど! あくどいな……)
この国では奴隷制はないのだが、奴隷制の認められている他国へ密輸すればそれなりの金にはなるのだろう。
それに加えて、観光地として開放されているタバナの洞窟は管理が行き届いておらず、洞窟内の鉱石を勝手に持ち出す輩が後を絶えないという話はルゼもよく聞くところだった。
その魔力吸収の鉱石を手枷やら指輪やらに加工して奴隷につければ、抵抗されることなく捕獲できることだろう。
(……モーリス様はお父様の研究成果を自身の名で提出した上に、それを悪用……)
そう思いかけたのだが、そもそも父が悪用を目的に作っていないとも限らない。
(……いやこれもどうでもいい)
とにかく今は、捕獲されている奴隷の安否が気になる。
「……何か進展がありましたか?」
「モーリスは他の商人に委託して売り飛ばし、その収益の7割を受け取っていたそうだ」
(7割……がめつい……)
「あれの証言がある程度では、その商人も秘密裏の商売について口を割らない可能性がある」
モーリスは悪事すらも自分の力でできないようだ。しかし、他人を利用して何の苦労もなく利益を得ることができるのはモーリスの才能なのかもしれない。
最近のルゼの胸中は、常に暗い靄がある感じだ。なんにつけても人の悪口が浮かんでくる。
(……つまり、奴隷商が行われている現場を直接押えれば良いって事よね)
「殿下!」
「ちなみに奴隷の対象は7歳から12歳の子供だ。お前では対象にならない」
(否定早……)
「……殿下! 私は有言実行ができる人間なのです」
いつもルゼの考えを見透かしているクラウスであったが、今回はルゼが上手だったようである。クラウスが訝しげな顔でルゼを見遣るので、ルゼも勝ち誇った笑みを浮かべる。
ルゼはにこにこと笑いながらいつも抱えている鞄に手を伸ばしたのだが、鞄は別邸に置いてきていたのを忘れていた。
「あの、温室の薬草を少しだけ拝借させていただけたりしませんか……?」
ルゼが作ろうとしている薬がどのような作用をもつものなのか、既に正確に想定されているようであった。
顔をしかめている。
「……危」
「いえ、危険、駄目、よくわかっております。でも捕まっている子供達が心配ですよね? 短剣も睡眠薬を入れた瓶も持っていきますし、それらを取られたとしても私なら多分良い感じに動けます!」
男性よりは、力の弱いと思われている女性である方がすんなりと受け入れてもらえそうだ。女性であり、抵抗する術も持つと思われるルゼは、奴隷商の元へ送り込まれる役としては適任だろう。
それらを理由にルゼは一生懸命自分を売り込むのだが、クラウスは首を縦には振らなかった。
「そうまでして他人のために危険な目に遭う必要はどこにもない。俺が拠点を見つけるから大人しくしておけ」
「でも私にも」
「お前の安全が保証できない。身勝手に動き回られて死なれても面倒だ」
「でも私にもできることがあるじゃないですか!」
ルゼは力強く異論を唱えるが、クラウスは眉根を寄せて冷たく言い放った。
「なぜ自分の身を挺することをできることだと思う」
「自分の力に自信があるからです」
「過信だろう。お前は自分が弱いことを自覚するべきだ」
「自覚したら何もできないではないですか。それに、力量を正しく知ったうえで挑めば何も危険はありません」
「お前が力量を正しく判断できるとは思えない」
ルゼの今までの努力は他の人を助けるためのものでもあるのだ。我が身可愛さでここで身を引いてなるものか。役に立てる。
クラウスの言い分にも納得できるからこそ、ここでどうしても役に立ちたいのだ。自分にも力があると示したい。
「……お願いします」
クラウスはいつも正しい。
深く下げられたルゼの頭を、クラウスが無言で見下ろしている。
「……はあ」
小さなため息が聞こえた。
クラウスは暫く思案した後、渋々席を立ったようだった。
「……俺も過信しているのかもな」
「……?」
何をだろうか。
ルゼはクラウスのよく分からない呟きに首を傾げながらも、渋々だが承諾してくれたクラウスの後に続いた。
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