第54話 苛々するんだよ
「ごめんね、怪我させてしまって」
本当は謝罪の気持ちなど微塵も感じていないのだろう、アデリナが気の抜けた声でルゼに声をかけた。机の上の血まみれの紙と飛び散った血しぶきは使用人が処理してくれたようである。
ルゼは出て行く使用人と待たせてしまったアデリナに軽く頭を下げ、非礼を詫びた。
「すみません、お見苦しいものをご覧に入れてしまって」
「いや全然! というかありがとう!」
(……変わった方だわ……)
アデリナは突然の流血沙汰にも動じることなく、むしろ目を輝かせて喜んでいるようである。
こんなにもクラウスから殺気を浴びせられているというのに。
「やっぱり私は魔女ではないのでしょうか。少しわくわくしてしまいました!」
「どうなのかな? ねえ、もし魔力が戻ったらもう一回見せてよ!」
「はい!」
「ルゼ」
「……考えさせてください!」
「……保護者が……」
クラウスの低い声にルゼが意見を翻すと、アデリナがぼそりと毒づいた。恐れ知らずな人間もいたものだ。
ルゼは二人の醸し出す殺伐とした空気に緊張しながらも、横に座るクラウスを見ないようにして姿勢を正した。元はと言えばルゼが悪いのだが、アデリナが悪いことになるのならそれで良しとしようじゃないか……。
クラウスを睨み付けていたアデリナが、ぱっとルゼに笑顔を向けると早口で言った。
「殿下の顔が怖いからそろそろ退散したいんだけど、何か聞きたいこととかある?」
「……ただの興味なのですが、断頭台からどのようにして逃げ出したのか聞いてもよろしいですか?」
「内緒! エルダの能力とだけ言っておくよ。じゃあね、ルゼちゃんほんとありがとう! 君のそういうとこ大好き!」
「あ……色々教えてくださってありがとうございます!」
(どういうとこだろ……)
アデリナは自分で聞いておきながら、碌に答えないまま逃げるように部屋を去ってしまった。断頭台から逃げ出せる能力とは何だろうか。時間でも止めたのかもしれない。
アデリナが出て行くと、静かになった室内にクラウスのため息が響く。
クラウスは明らかに怒っている様子であるのに何も言い出さないため、ルゼはクラウスの方を見ないまま陽気に話し出した。
「……ありがとうございます、クラウス様! おかげで黒幕に近づけそうです」
「……」
「いやあ、それにしても母が魔女だなんて思いも寄りませんでした。殿下は既に勘づいていらっしゃったのですね。さすがです」
「……」
「……あの!」
「駄目だ」
「ぐぅ……」
(まだ何も言ってないのに……)
クラウスにはルゼのお願いしたいことなどお見通しなのだろう、言う前に即座に断られてしまった。
しかしルゼはクラウスの方へ体を向けると、めげずに再度お願いするのである。
「でも、私がレンメルの生き残りであると公表して、向こうから接触してくるのを待つのが一番手っ取り早いです。向こうがどれほど魔女について詳しいのか分かりませんが、魔女の能力は基本的には遺伝することを知っていれば、私にも近づいてくるかもしれません」
真剣にそう話すのだが、冷たい目で見下ろされるだけだ。取り付く島もなさそうだが、ルゼの美点は空気が読めないことによる諦めない会話なのである。
「危ない。お前が学院に行っている間は俺も守ることができない」
「守られる必要はありません」
「……」
反射的にそう言い返してしまったのだが、本心ではあるけれどもクラウスが最近の心の拠り所になりかけていることは確かである。
ルゼは、気持ち悪い自分を覆い隠してクラウスを睨みつけながら言った。
「というよりも、イヤリングで守ってくださっているではないですか」
「それは対魔法にのみ……」
「三組目のイヤリングをどうもありがとうございます! 大丈夫です、殿下にお返ししきれるまでは私も死ねませんから!」
守られているのに何もできないもどかしさ、守る必要はないというのに何故か手を差し伸べてくるむず痒さに、ルゼはずっと腹を立てているのである。
頬を膨らませて怒りながら感謝を伝えると、なぜか嗤われた。
「意地っ張りだな」
「貴方もだと思います」
「俺は意地を張っているわけでは……」
クラウスを睨むルゼの強い瞳に、クラウスもこれ以上何か言うのを諦めたようである。嘆息が聞こえる。
「……何かあったらすぐに俺に知らせろ。一人で対応しようとするな」
「善処します」
「……」
「……分かりました! 葉っぱで鳥を作って飛ばしますから!」
最近逃げの言葉が効かなくなってきた。
クラウスの無言の圧に負けてきっぱりとそう宣言すると、是も非も言われなかったがなぜか頭を撫でられた。きっと、すぐにクラウスを頼ることを条件に、ルゼの出自を明らかにすることを許してくれたのだろう。
(……婚約って、私が何かしようとすればするほどクラウス様に迷惑がかかるシステムだわ……)
普通に真っ当に生きていればそんなことにはならないのだが、それに気づかずにそんな考えが頭をよぎる。
人生の目的は譲れないし、自分の掲げる正義から逸れたくもないのだが、クラウスに迷惑をかけてしまうのは嫌だった。だがしかし、この過剰なまでに保護しようとしてくる人間の言い分全てを飲み込んでいては事が進まない。
不満げなルゼを置いて、クラウスは机の端に積まれていた書類に目を通している。
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