第53話 その限りではない

「それでね、魔女の血は高確率で遺伝するんだよ」

「……!」

「そう! 君も、魔女の可能性が高いんだ! ふふ、本物の魔女をもう一度見られるかもだなんて私はついてる。本当は解剖とかもしてみたいんだけどさ……」


 ルゼは生来魔力量が多く、加えて母は魔女であるらしい。ルゼが魔女であることを示唆する情報は多い。

 アデリナはそこまで言うと、クラウスの放った殺気に肩をすくめて身を引いた。

 ルゼは突きつけられた事実に驚きながらも、楽しそうなアデリナに質問した。


「……その、もし私に魔女の血が流れていたとして、私も母と同じ能力を持っているのでしょうか」


「さあ。同じかもしれないし違うかもしれない。でも君の母親は魔女のくせして魔力が人より少なかったから、エルダよりは強力な能力が使えると思ってるよ。人は進化する生き物だしね。……いや、魔女は人じゃないけどね!」

「……」


 確かに、魔女は普通の人間と同列には語られない。でも血液に魔力が潜んでいるのは普通の人間と同じだ。魔女の人だよ! と言いたいところだが、もし自分が魔女であった場合、偽善の言葉が保身の言葉へと成り下がる。

 アデリナは、全て話し尽くしたのかホクホクと満足そうな顔をしている。


「ね、全部話したしルゼちゃんの血を見せてよ」

「はあ……」


 なんだか釈然としない。よくわからない生き物のよくわからない性質を語られただけのような気がする。

 アデリナは脇に積まれていた書類から真っ白な紙を一枚無造作に引っ張り出すと綺麗な銀色のペーパーナイフも載せ、催促するようにルゼの前に差し出した。


「垂らすだけでよろしいのですか?」

「うん。できるだけ魔力を込めるイメージで!」

「うし!」

「牛?」

「……」


 右手はまだ満身創痍中なので、ルゼは左手の手袋を外すと小さな刃物を手に取り、アデリナから熱視線を送られる中人差し指の先に小さく刃を立てた。


 赤い血が一滴ぽたりと落ち、もう一つパタリと滴ったのだが、白い紙に縁がギザギザした円状の血液が染み渡るだけで、特に何か起こった様子はない。二人が無言で見つめてくるせいで、なぜか気恥ずかしい。

 アデリナはその血液を暫く観察すると、落胆したようにため息をついてソファの背もたれに身を委ねた。


「やっぱり駄目かあ。ルゼちゃん今魔力少ないしね」

「魔力の多い方だと、一滴でも効果があるのですか?」

「そうだよ。血に込められた魔力の濃度で、能力が作用する範囲と持続力、あとは強さが変わるんだ。でもこんなに何も感じないって、3滴垂らしたところで変わりそうもないねえ」

「血の量も関係するのですか」

「そうだよ。魔力が少ない魔女はそれを補うためにたくさん血を使ったりする……」


 アデリナは先程まで饒舌に話してくれていたのだが飽きたのか投げやりに解説をしてくれ、期待外れの結果に途中で話をやめるとブツブツと不満を垂れている。クラウスも、安堵か落胆か知らないが、小さく息を吐いたようだ。

 二人に落胆されているのはどうでもいいとして、ルゼは自分の人差指の先に滲む血を眺めた。


(……魔女の力……)


 次の瞬間、ルゼは衝動的に刃物で自分の手のひらを大きく切り裂いた。

 ぼたたたたっ……と3滴どころではない鮮血が紙の上に落ちている。


「えっ」

「おい……」


 アデリナは、えっ、と一瞬目を丸くして驚いていたものの興奮に目を輝かせている。

 クラウスは顔をしかめて席を立つとルゼの腕を力強く握り、手にハンカチ押し付けた。


 ルゼは血に染まっていく紙を見て、瞳を輝かせてアデリナを見つめた。


「な、何か変わりましたか!?」

「……何をしている」

「うわあ、変わらない!! 何も起こらないよルゼちゃん! 君もしかして魔女じゃないかも!!」

「えっえっ血が足りないのかな!?」

「いや十分だよ!!」

「はしゃぐな!」


 アデリナは子どものような人だ。対してクラウスはルゼと対して年も変わらないと思うのだが、妙な落ち着きがある。

 ハンカチは力不足のようで、赤く染まった部分から血液が垂れている。ルゼはアデリナと二人で興奮していたのだが、クラウスがルゼの左腕を力強く握ったために意識が現実へと引き戻された。


「いっ……」


 いつ持ってきたのか、小さな箱が用意されている。おそらくルゼの肩掛け鞄と似たような役割をするものだろう。いわゆる救急箱……


(……なぜ執務室にそれがあるんだ……)

「すみません。ハンカチと床が……」

「気にするのはそこではない」

(怖……)


 責めるような言葉は何も言わないものの、明らかに怒っている声の低さだった。


 ルゼは左手から流れる血を床に落とさないように右手を皿にして受け止めるのだが、それでも血が溢れてしまう。アデリナは治療されているルゼをつまらなそうに眺めており、血液を受け止めた紙にそっと手を伸ばしてはクラウスに睨みつけられている。

 

 クラウスがルゼの左手の血をガーゼで押すようにして拭ってくれた。


「痛いです!」

「うるさい」

「……っ……」


 前は我慢してねと優しく柔らかく言ってくれていたのに、うるさいとはなんだ。クラウスに言われたとおりに声を出さないように努めるのだが、あまりの痛みに声を漏らしそうになつ。

 左手の傷口を縫ってくれるクラウスの手つきは慣れたものだ。


(……縫えるんだ……)


 ルゼは魔女の力を見てみたいという欲求が全面に出てきたために躊躇いなく手のひらを切ったのだが、思ったよりも深く切っていたようだ。

 クラウスが叱責するようにルゼに言った。


「お前は行動する前に考える時間をおけ」

「……すみません」

(……私に魔女の血は流れていないのか……)


 ルゼの不服そうな表情にクラウスが舌打ちをしたため、ルゼは慌てて言いつのった。


(怒りすぎだろ……)

「でも、確かに私が変な能力を持っていて殿下に影響しちゃったとなると一大事でした。すみません、もっとちゃんと考えてから行動します」


 ルゼがそう言って頭を下げると、アデリナに面白そうに声を立てて笑われた。この人に笑われる人間にはなりたくないのだが、アデリナは怒られている人間を見たら笑ってしまう人なのかもしれない。


 クラウスは縫合の終わった左手にガーゼを当てると包帯を巻いてくれていたのだが、言い終えたと同時に巻く力が強められた。まだ怒っているのか。


「いっ……、……さすがに強く巻きすぎなのでは……」

「……」

「謝ったのに……」

「誤ってるんだよね」

「はい……?」

(そう言ってる……)


 アデリナが、援護射撃なのか横から面白おかしく囃し立ててくる。

 無言で包帯を巻き直してくれるクラウスをびくびくしながら眺めるのだが、今度は丁寧に包帯を巻いてくれた。


「2週間後に抜糸に来い」

「はあ……」

「ルゼさんここに住めば?」

「ちょっと黙っててください」

「あっちは私とシャーロット様の住処なんだよ」

「……申し訳ござ」

「どちらでも構わない。アデリナの言葉に耳を貸すな」

「……」


 仲が良いのか悪いのか。

 ルゼはぺこりと頭を下げると、白い包帯の巻かれた左手を眺めるのだった。

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