第四章

第52話 魔女の血

 「おはようございます!」


 ルゼはノックをすると元気に挨拶をして扉を開けたのだが、中には殺気だったクラウスと楽しそうに笑うアデリナがいた。クラウスだけだと思って勢いよく挨拶したのだが、予想外にも先客がいたために少し気恥ずかしい。

 

(……ありゃ……)


 気まずさからドア付近で佇んでぽりぽりと頬を掻いていると、ソファに座るアデリナから明るい声が飛んできた。


「ルゼちゃん、ちょっとこの瓶に血を入れてくれないかな?」

「いいですよ! どのくらい必要ですか?」

「待て、反射的に返事をするな」

「でも殿下も、ルゼちゃんがいいなら良いって納得しましたよね」

「していない」

(……話が見えない……)


 ルゼは不服そうなアデリナと苛立ったクラウスの声を聞きながら、アデリナの向かいに着席した。よく分からないが、アデリナの提案をクラウスが無碍にしているところであるようだ。しかもおそらく、その提案はルゼに関するものなのだろう。


 ルゼは仕事用の椅子に腰掛けるクラウスの方を見て言った。


「何かの取引ですか? 私は全然採血されても身を売られても問題ないですよ」

「駄目だ」

「でも、おそらくですけど私に関する話ですよね。私の血くらいで何か分かることがあるのなら喜んで差し出します」

「……」


 アデリナはルゼの父親と顔見知りのようであったし、モーリスが嘘をついていなければ、レンメル一家の暗殺事件の目的はルゼの母親だった。アデリナはルゼの母親とも何か関わりがあるのかもしれない、と考えたのである。

 何かを教える代わりにルゼの血をほしがっているのではないだろうか。対価が血液な意味はわからないが、アデリナは狂っているらしいので多分におかしなことはない。


(……しかしなぜその話を殿下に持っていくんだ……)


 もしかしたら、アデリナからクラウスに話を持ちかけたのではなくて、クラウスがアデリナから何かを聞き出そうとしたのかもしれない。


 事が進むのなら血くらいいくらでも差し出したいのだが、クラウスはルゼの言い分にも難色を示しているようだ。

 アデリナは両者とも折れそうにない様子を見て、ルゼを納得させる方へ振り切ったようである。ルゼの顔を見ながら、同情を誘う声を出した。


「そうだよね、ルゼちゃんならそう言うと思ったんだ。私が君の母親の秘密を話す代わりに君の血がほしいって頼んだんだけど、さっきから殿下が怖いんだよ。貴方からももっと言ってくれないかな」


 アデリナは二人称がいつもまちまちだ。覚えたてなのかもしれない。

 クラウスが顔をしかめている。


「……軟禁の解除でいいだろう」

「それじゃあつまらないではないですか。それに、私は今の立場に結構満足してるんですよ」

「クラウス様、私の血と軟禁解除では天秤にかけるまでもないですよ!」


 面白そうに話すアデリナと、きらきらした目でクラウスを見つめるルゼにクラウスが小さく舌打ちをしている。ルゼの対面から息を呑む音が聞こえたが気の所為だろう。


「……血はそこの紙に一滴垂らすだけだ。紙もここで処分する。この条件が呑めなければこの話は白紙に戻す」

「では血を持ち帰らない代わりに3滴を上限にしてくださいます?」

「喜んで!」

「チッ」


 ルゼがクラウスより先に元気よく返事をしたのだが、クラウスは今度ははっきりと聞こえる舌打ちをしたくらいだったので許容してくれたのだろう。


 アデリナもその条件で満足したのか、ルゼを見て嬉々として話し出した。


「えっとねえ……。前に魔女狩りがあったの知ってる?」

「はい、知識だけですが。その魔女狩りで全ての魔女を断頭台で処刑したとか」

「そうそう。私と君の母親はその時の生き残りなんだよ。私は魔女ではないんだけど、髪と目の色で間違われたんだ」

「……えっ」

(……この人おおよそ50歳ってこと……!?)


 魔女狩りは45年ほど前に三回行われている。

 アデリナはこんなに若々しい声をしているのに50代だなんてそんなことあり得るのだろうか。というか、以前言っていた掟というのはこのことなのだろう。掟などと重々しく言っていた割に、ベラベラとよく喋る。

 ルゼの反応が想定と違っていたらしく、アデリナが不愉快そうな声を出した。


「……君ね、私の年齢に興味を持ちすぎだよ。私としてはエルダが40手前で君を産んだことの方が」

「早く続きを話せ」


 エルダはルゼの母親の名前だ。ルゼは一度も口にしたことはないけれど。お母様、とすら言った記憶はない。

 クラウスが椅子の背にもたれてアデリナを冷たい目で見下ろすと、アデリナが急に真面目な顔になって話を再開した。


「それで、私としてはレンメルの人達が殺されたのは、エルダのもつ魔女の力を狙ってのことなんじゃないかと思ってるんだ。エルダを連れ去ろうとしたら君のお父さんとお兄さんに見つかってしまって、もみ合いになったとか」

「なるほど」

「ルゼちゃんは運が良かったってこと……」

「それで、魔女とはどのような存在なんですか?」


 ルゼはアデリナの話を遮って質問したのだが、アデリナは機嫌を損ねることもなくむしろ楽しそうに話し続けた。


「魔女は生まれつき、魔力が人よりかなり豊富にある人が多いんだ。エルダはそうじゃなかったけど」

「へえ」


 確かにあの人は何も持っていなかった。見たことないほど美しい顔を持っていたくらいだろうが、痩せこけていたせいで美貌も恐ろしさを増す要因になっていた。


「魔女の力は、魔力の込められた血液を垂らすことで発動すると言われているんだ。魔法と違ってその能力は魔女ごとに固有のもので、効果の対象は一定の範囲内にいる不特定多数の人間なんだけどね」

(……血に由来するのか……)


 ないものをあるとして聞くのが意外と難しい。とりあえず、魔女の力は血を流せば発動し、他人に対しても働くようだ。


「……伝承には魔女は奇怪な能力を持つとだけ記されてありましたが、魔女の血があれば誰でも能力が使えたりするのですか?」

「さあ? 私は魔女ではないし、そもそも分からないことの方が多い」

「……そうですか」


 ルゼの知らない話ばかりだったのだが、アデリナの本題はここではないようだった。

 アデリナは身を乗り出すと、声を潜めてルゼに笑いかけた。楽しそうで何より……。

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