第50話 黙っとけ

 地下牢があるなんて、クラウスの趣味なのだろうか。捕虜でも入れるのかもしれない。

 暗くはあるが隅々まで綺麗に手入れされており、鼠一匹出そうにない。


(……いつでも余裕そうなシャーロット様を心の中に置いて……)


 ルゼは深呼吸をしてシャーロットの余裕を手に入れると、牢の中で手かせをはめられて座るモーリスを見下ろした。

 ルゼが整った笑みを向けると、モーリスは怯えた表情で牢の奥へと後ずさる。


「ご機嫌いかがですか」

「……なぜお前がそちら側にいる。お前も罪に問われるはずだろう」

「あら、私が罪を犯しただなんて言いがかりも大概にしてくださいな。どこにそんな証拠があるのです?」


 モーリスの歯が欠けているくらいで、ルゼの殺人未遂を見ていた者が声を上げない限り、声を上げたとしてそれを信じてくれる者がいない限り、ルゼの犯罪はばれないのである。

 モーリスが憎々しげな表情を浮かべている。


 ルゼはしゃがんでモーリスと目線を合わせると、一つ目の質問した


「モーリス様。あの質問、答えてくれる気になりましたか?」


 あの質問とは、モーリスがレンメル一家の暗殺を依頼した人物の名を言えというものである。聞けるなら殺さなかったのは正しかったかもしれない。

 モーリスは自分の罪を軽くするためか観念したのか、今度はすぐに口を開いた。


「元から何も知らない」

「嘘をつかないでください」

「嘘ではないさ。前に酒場で、知らない男に禁忌の書が欲しくないかと聞かれたんだ。禁書を渡す代わりに、暗殺者を雇う金を出せと言う話だった。お前の兄は剣が達者だったからな、下手に侵入して失敗すれば自分の首が飛ぶというものよ。暗殺者を雇っておけばいざというときも安心だったんだろう」

「……その男性の風貌や声質など、覚えていることはありますか」


 ルゼはモーリスの言葉に何の反応も示さないよう、いつでも女王のようなシャーロットを思い出しながら平静でいようと努めた。

 モーリスはルゼの相次ぐ質問に、面倒そうな顔で答えていく。


「さあ。フードを目深に被っていたから顔はよく見えなかった。初老の男だったと思うが。詳しくは聞かなかったが、そいつはお前の母親に興味があったみたいだったな」

「……私の母?」


 全く記憶のないあの母が、常に苦しそうに顔を歪めていたあの弱い女性が、一体なんの理由で狙われるのだろうか。

 ルゼが訝しげな表情をすると、モーリスは楽しそうな声色で嘲笑した。


「ははは。お前は母親のせいで家族を失い、父親の指輪のせいで死にかけてるんだよ。実に滑稽だな」

「……え?」


 モーリスは面白そうにそう言ったのだが、ルゼの背後に立つクラウスから溢れ出す殺気に表情を固くした。

 ルゼはクラウスに、大丈夫ですから、と目で伝えると、コホンと一つ咳払いをしてモーリスに向き直る。


「……この指輪は、父が作ったものなのですか」

「……ふん。お前は本当に10年間何も知らずに生きてきたのだな。あの事件の夜に、あの本の隣に置いてあったからその作り方と一緒に持ってきたんだよ。そのおかげで私は莫大な金も得られた」

(お金……)

「大方お前の父親も、お前の化け物じみた魔力が怖かったんじゃないのか?」


 なぜわざわざ怒らせてこようとするのだろうか。

 たしかにルゼの父親は、ルゼに困ったような微笑みしか見せてこなかった。手を伸ばしたことはないが、触れようとすれば避けられていただろう。そもそも父は部屋にこもりきりの母ばかり気にしており、母を苦しめる原因である娘は疎ましかったのかもしれない。


 モーリスはせせら笑ってそう語るのだが、ルゼがにこりと笑って右手を檻の隙間から中に入れると、笑みが脅えた表情へと変わった。


「モーリス様。あなたが十年前に私にはめたこの指輪の外し方、お分かりになりますか」


 右手の甲には包帯が巻かれているのだが、その薬指には銀の指輪が輝いている。

 ルゼがそう言って右手の薬指にはめられている指輪をモーリスにかざすと、モーリスは一気に怪訝な表情をして投げやりに答えた。


「私が知るわけなかろう。十年も前にかけた魔法がまだ発動しているなんて、お前の魔力量は本当に化け物じみてるな。……まあでもこの状態の指輪なら、魔法具と同じで負荷をかければ壊れるんじゃないのか?」

「そうですか」


 もういいという意味も込めて冷たく言い放つのだが、モーリスの口はまだご機嫌で動いている。


「例えばそこにいる若造にありったけの魔力を注いでもらう、とかな。ははは、指輪が壊れる前にそいつが死ぬかもしれないが」

「この方を指ささないでください」


 ルゼは、背後に向かって指されたモーリスの人差し指を握ると力強く握りしめた。反射的に身体強化の魔法を使ってしまったみたいで、モーリスの指があらぬ方向に曲がっている。

 その痛みを認識したのか、曲がる指に驚愕したのか、モーリスが悲鳴を上げた。


「っぎゃああ!!」

「うるさい」

「早く放せ!」

「私も骨が折れてるんですよ!!」

「なら早く放せ!!」

「うるさい!!」

「痛い!!」


 モーリスを殴って折れたルゼの右手の骨がポキポキとなっており、ルゼに握りしめられたモーリスの人差し指がボキボキと音を立てている。

 二人して痛いと騒ぎ立てる様を看守が唖然として見つめ、ルゼの背後から呆れたような声が飛んできた。


「ルゼ」

「殺してないです」

「傷つけるのも駄目だ。お前をこの地下牢には入れたくない」

「……わかりました」

(優しい……)

「仲が良いな」

「貴方も殺します」

「できるのなら」

「……」


 モーリスですら殺せないお前に、という意味だろうか。憎い。全員憎い。

 ルゼが苦々しげな表情で手を放すと、モーリスは痛みに顔をゆがめながら看守に向かって声を張り上げた。


「……ちっ。おいそこの看守、見てただろう。こいつも捕らえろ」


 しかし入り口付近に佇んでいる看守は、モーリスの声など全く耳に届いていないという様子でまっすぐ正面を向いて静止するだけで、こちら見向きもしないようである。


(……? 見逃してくださるのかな。いいのかな、こんな激情を抑えられない人間を世に放っても……)


 良い訳はないと思うのだが、温情をかけてもらえるのなら乗っかる他あるまい。

 頼むよ看守さん! という気持ちで曖昧に微笑みながらぺこりと頭を下げると、看守の男性も苦笑いでお辞儀し返してくれた。


(へへ、優しいな……)


 ルゼはモーリスを睨み付けると立ち上がったのだが、およそ昨夜からの疲労と魔力の枯渇から、体のバランスを崩して尻餅をついてしまった。


「わ……」

「ははは、無様だな。あの程度の魔法で魔力の限界が来るなんて。お前は一生そうやって苦しみながら……」

「無駄口を叩くな」


 モーリスが再び意気揚々として話し出すと、クラウスが音もなく剣を鞘から抜いたようだった。檻の間から剣を通してモーリスの喉元に刃先を当てている。

 モーリスは、ひぃと情けない声を漏らして剣から体を離れさせようと後退しており、ルゼは尻餅をついたままクラウスを見上げて制止した。


「殿下」

「俺が殺そうか」

「もういいです」

「そうか」


 クラウスはルゼを一瞥し、そうか、と一言呟くと、ゆっくりと剣を鞘に収めた。モーリスは僅かに身を震わせたまま蒼白の顔で俯いている。

 ルゼが剣を向けたときとは段違いで怯えているようだ。


「……くそ」


 口の中で小さくそう言うと立ち上がろうとしたのだが、身体が宙に浮くような感じがした。どうやらクラウスがルゼを抱き上げたようである。


「……えっ」

「帰るぞ」

「下ろしてください」

「……」

「ちょっと……」


 看守から驚愕の視線を感じる。


「……なんでいつも抱きかかえるんですか」

「聞きたいか」

「結構です」


 この年で抱えられている恥ずかしさに、体温が伝わる近さ。ルゼは黙って腕の中に収まると、ゆっくりと両手で顔を覆うのだった。

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