第48話 躊躇い

「モーリス様」

「動くな!」

「モーリス様、何を焦っているのですか。私が魔法を使えないただの女だと、先程自分で仰っていたではありませんか」

「……」

「あなたの望むように生きてあげますから、私の質問に答えていただけませんか」

「……何を聞きたい」

 

 真直ぐに見つめてくるルゼの瞳に、モーリスが怪訝な視線を寄せる。


「十年前に、あなたが暗殺を依頼した人物の名を」

「……聞いてどうするつもりだ」

「全員殺します」

「……私もか?」

 

 モーリスの嘲笑するような笑みにルゼは小さく舌打ちをすると、片足をソファの背もたれに当ててモーリスの逃げ場をなくし、短剣をモーリスの首に当てた。

 肩まで伸びたルゼの髪が、モーリスの頰へ垂れかかっている。


「なぜお前が殺されないと思うのですか」

「別に私を殺しても良いが、私がレンメルの暗殺を依頼した証拠などどこにもない。お前だけが私を殺した罪で裁かれるだけだ」

「そんなことはどうでもいいです」

「それにお前が犯罪者となれば、お前の婚約者にも迷惑がかかるぞ」

「……了承されて……」

「またお前のせいで誰かの人生が狂うかもしれないな。お前が自分のことしか考えないから、お前の兄も死んだんだよ」


 白々しくもそう語るモーリスにルゼは青筋を立てるのだが、ルゼが怒りを露わにすればするほど、モーリスの嘲笑は濃くなっていく。

 黙り込むルゼを見て勝ち誇ったような笑みを浮かべているモーリスに、ルゼは小さく息を吸って静かに言った。


「……兄を殺したのはあなたたちでしょう。私に責任を押しつけないでいただけませんか」

「私のせいだけかな? お前がもう少し家に帰るのが遅ければ、お前がすぐに助けを呼びに動いていれば、お前がそもそもあの家にいなければ、お前の兄は今も元気に生きていたんじゃないのか?」

「……でもあの時は」

「何もできなかったことを免罪符に許されようとでも思っているのか? お前みたいな身勝手な女を守って死んだ兄は哀れだな」

「……あの人が勝手にしたことです」

 

 そう、兄が馬鹿みたいな正義感でルゼを守り、その結果勝手に死んだだけだ。守れと頼んだわけでもないし、兄が死んだことで苦しまなければならない義務もない。

 そう言いながらも短剣を押しつける力を弱めると、モーリスは楽しそうに笑いながらルゼの頰を撫でるようにして垂れ下がった横髪を耳にかけ、饒舌に話し出した。


「お前に人殺しなどできやしないさ。所詮、こうして刃物を突き立てて脅すことが関の山だろう。お前は家族が殺された日に、目の前で殺される兄を助けようともせずに逃げ出したのではなかったのか? 本当のお前は、こうして復讐に身を焦がすような人間ではなく臆病者のはずだ。無理をするな」

「……」

「分かったら早くどきなさい。今夜のことは不問にしてやるから」


 手を震わせたまま動こうとしないルゼに、モーリスが多少苛ついたようにため息をついている。

 ルゼは執拗に頬を撫でてくるモーリスの手を振り払うと、大声で叫んだ。


「私はっ、……私は、復讐を遂げるためだけに生きてきたんです。話さないならこの場で死ね!」

「おい……っ」


 そう言うと大きく短剣を振り上げ、手で防御しようとしているモーリスの首めがけて振り下ろした。


 しかし、それと同時に部屋の扉が音を立てて勢いよく開かれた。

 ルゼは明るくなった部屋にびくりと手を震わせると寸前で短剣を止め、扉の方に視線だけを寄越した。二人入ってきたようである。


「ルゼ!」

「……きゃああっっ!」

「……た、助けてくれ!」


 その声から、クラウスとエレノーラであるようだ。モーリスは助かったと言わんばかりに二人の方に顔を向けている。

 ルゼはクラウスに顔を向けることはしないまま、刃先の触れているモーリスの首もとだけを凝視して、焦る気持ちを落ち着かせようと浅く呼吸をした。


(なぜここに……いやそんなことはどうでも……)

「あなたお父様に何を……」

「来ないでください!」


 ルゼの大声と目の前に広がる光景に、駆け寄ろうとしていたエレノーラが身を震わせて硬直した。

 顔を上げないままモーリスの首元に短剣を押し当てるルゼに、クラウスが戸口に立ったまま静かに語りかけてくる。


「ルゼ」

「……あなたも、そこを動かないでください。な、何の権利があって、私を止めると……」

「ルゼ。俺はこれ以上お前に苦しんでほしくない」

「なっ……」

「お父様!!」


 エレノーラの劈くような悲痛な叫び声に、ルゼはびくりと手を震わせた。カタカタと刃が震えているのが自分でも分かる。

 先程まで白い顔で全身を震わせていたモーリスも、ルゼの蒼白な表情に落ち着きを取り戻しつつあるようだった。


「……ルゼ、手が震えておる。やはりお前には人殺しなどできはしまい。早くその短剣を置きなさい」


 ルゼはその言葉にゴクリと唾液を飲み込むと、ゆっくりと剣を下げた。


「そう、良い子……だっ!?」


 ルゼは残りの魔力を全て使って身体強化の魔法を発動させると、モーリスの顎下を思い切り殴った。

 低いうめき声とともに歯が数本飛び、モーリスはソファごとひっくり返ったようだった。モーリスの顎かルゼの中手骨か分からないが、どちらかが割れたような音がする。


 エレノーラはものすごい音を立てて倒れ込んだモーリスにはっとすると、すぐに駆け寄って肩を揺すりながら意識を確認している。


「お父様! ご無事ですか!? お父様!!」


 エレノーラがいくら叫んでもモーリスからの返答はない。どうやらモーリスは気絶してしまっているようであった。

 ルゼが肩で息をしながら二人をぼやける目で見つめていると、クラウスが静かに歩いてきた。


 ルゼはクラウスと目を合わせないまま掠れた声を出す。


「……殴っただけです。早く医者を呼ん……っ」


 ふらつく足でクラウスの横を通り過ぎようとしたのだが、魔力を使いすぎたせいか膝から頽れてしまった。

 クラウスが倒れるルゼの腕を掴んだ景色を最後に、ルゼは気を失ったのだった。

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