第47話 謎のイヤリング

 突然の声にビクリと身を震わせるルゼに対して、モーリスの声は落ち着いている。

 にこりと笑うルゼを冷たく一瞥すると、コツコツと足音を立てて近寄ってきた。


「許可なく屋敷内を歩き回るなと言っておったろう」

「……お部屋間違っちゃったみたい。お父様、不眠症ですか。一緒に寝ましょ」

「寝首でもかき切るつもりか?」

「……」


 顔に出やすいというのは時に不便だ。

 この人はルゼを恐れてはいないはずなのに、臆病なせいで警戒心だけは人一倍強い。警戒されるくらいには恐れられているのだろうか。


 仕事部屋には窓際に机と椅子が一組あり、少し離れたところに横に長いソファが置いてある。

 ルゼは窓と平行に置いてある机を盾にするようにして窓際まで後ずさったのだが、モーリスはルゼに体を向けたままどさりとソファに腰を下ろした。


「言っておくが私ではない」

「ではなぜこの本がここにあるのですか」

「話す代わりにそれを渡しなさい」

「渡す代わりに話してください」


 そう言って微笑んだのだが、モーリスは苦い薬でも飲んだかのように顔をしかめている。

 ルゼがいつものようにモーリスの所まで静かに歩き、座る男を見下ろしながら分厚い本を差し出すと、その反抗的な態度にモーリスが小さく舌打ちをして本を乱雑に受け取った。


「跪きなさい」

「娘の成長を見られて嬉しいでしょう」

「あの女の子供と取り替えたいぐらいだよ」


 あの女の子供──ゲオルクかエレノーラのことだろう。ルゼと比べているのなら、おそらくエレノーラなのだろうけれど。二人の子供はどちらもわりかし放っておかれているような気がするのだが、ゲオルクには最低限の家族愛があるのかもしれない。

 

 ルゼが無言でモーリスの足元に座ると、モーリスは満足したのかルゼの冷たい頬を這うように撫でて話し出した。


「依頼したのは私だが、直接手を下してなどいない。あんなに大金を払ったのに、お前を取り逃がすなんて雑な仕事をしてくれる」

「……どうしてわざわざ拾ったんですか」

「監視するつもりで拾ったが、お前も魔法が使えなければただのか弱い女だ。高く売れて喜ばしい限りだよ」


 モーリスは、人を殺す罪を背負って生きるよりも、瀕死の無力な女で金を稼いだほうが得策だと考えたのだろう。

 無言で見上げているルゼを一瞥し、禁書の転写本をパラパラとめくりながら話しだす。


「この本には、人間の魂の交換に関する魔法が載ってるんだよ。お前の父親が数年かけてこれの解読に費やしてくれたおかげで、私でも禁忌の魔法を使うことができる」

「……そんなもののために……」


 自業自得だと言われそうな結末だ。

 ルゼの言葉に、モーリスがピクリと眉根を寄せた。


「そんなもの? お前はこの本の価値を分かっていない。これがあれば、この国を乗っ取ることだってできる」


 モーリスは地位と金を愛す人間のようである。

 黙り込むルゼに口角を上げると、本を片手にルゼを見やった。


「……そうだな、まずはお前が試してみるのもいいかもしれない。相手の精神に干渉する魔法もある。その体と顔であの若造を誑し込むくらい容易いことだろう。私を重鎮に登用するよう頼みなさい」

「嫌です」

「恩を仇で返すつもりか?」

「どこに恩を感じろと?」


 モーリスは反抗的なルゼに苛ついたように舌打ちをすると禁忌の書から一つ魔法を使ったようで、ルゼは抵抗することも忘れて目を瞑った。


 しかしその瞬間、ルゼが両耳につけていたイヤリングが割れて弾け飛んだ。カラカラと細かな粒が床に散った音が聞こえる。ルゼは耳元で鳴った石の割れる音にそろそろと目を開き、モーリスはその予想外の出来事に多少焦っているようだった。


「え……」

「なっ……なぜ発動しない?」


 困惑したまま耳に手を当てると、モーリスがルゼの前髪を掴んで怒鳴りつけた。


「お前、私に逆らうなと言っているだろう!」

「わたっ、私じゃない!」

「ではなぜ魔法が効いていない!!」

「知らない……ごめんなさい! ごめんなさい!!」

「くそっ、他の魔法を……」


 モーリスはルゼを放るようにして手を放すと慌ててページをめくり、代替の魔法を探し始めたようであった。


(……このイヤリング、結界魔法でもかかっているのかしら……)


 魔力増幅の魔法と監視魔法の重ねがけだと思っていたのだが、もはやよく分からなくなってきた。何の魔法がかけられているのかではなく、あの男が何を考えてこのイヤリングをくれたのか分からない。一つだけなら理由に心当たりがなくもないが、そんなはずはない。


 ルゼは後方に転倒しないように両手をつくと暫く無言で俯いていたのだが、ゆっくりと立ち上がると焦るモーリスを見下ろした。

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