第45話 恥ずかしいですが何か

「!」


 体勢を崩してソファの肘掛けの方へ倒れてしまい、衝突を防ぐために咄嗟に手をついたのだが、上半身は前に倒れてうつ伏せの状態になってしまった。

 シャツを着てはいるのだが、背中がクラウスからよく見えるような格好になってしまう。


「待って……」


 急いで身を起こそうとしたのだが、クラウスがルゼを抱き寄せたまま下からルゼのシャツをめくり上げたため、ルゼの細い腰が露わになった。


「!! 見ないでください!!」


 ルゼの腰の辺りには三カ所煙草を押された痕があるのだ。数日前につけられたためにまだ治っておらず、焦げて赤みを帯びた皮膚が小さく残っている。


 ルゼはシャツを下に引っ張って隠そうと試みるのだが、クラウスにその痕を指で押された。治りかけの火傷なのに、押されれば鈍く痛む。


「いっ……」

「モーリスか」

「違います」


 ベルツの家で煙草を吸うのはモーリスだけなのだが、断じてモーリスではない。

 クラウスの手から逃げようと必死に抵抗するのだが、クラウスはルゼを強く抱きしめたままその腰に顔を近づけ、火傷の痕の近くを吸うように噛んだ。


「……っ!?」


 腰に小さな痛みが走った。

 タバコを押し付けられたときとは違う、ゾワゾワするような痛みだ。


「……何をするんですか!!」


 かつての痛みを上書きするような熱に、ルゼは小さくうめき声を上げると振り返ってクラウスの肩を押し返した。

 弱い力であるのだが、クラウスは押されるままに離れると冷たい目でルゼを見下ろしている。


「……薬の味がする」

「……早く口をゆすいできて下さい……」


 ルゼは力なくそう言うと、醜い傷を見られたうえになぜか噛まれた羞恥から、ボスンとソファに顔を埋めた。

 クラウスがルゼの乱れたシャツを正してくれている。


「黙って従う必要は無かったのではないのか」

「面倒だっただけです」

「逃げるのも戦略の一つだ」

「逃げてどこへ行けと言うのですか」


 知ったようなことを言ってくるクラウスに、ルゼはソファに顔を埋めたまま小さな声で苛立ちを伝えた。

 ルゼから理不尽な怒りを向けられているのに、クラウスはルゼを宥めるようにその背に手を置いている。


「痛いです。あなたが噛むから……」

「……すまない」

「……意味がわからない……」


 クラウスは何も説明しないことも相まって、およそほぼすべての行動の意味がわからないのだ。

 ルゼは顔を上げないまま、静かな声で話した。


「この背中の傷は恥ではないですが、見られたくなかったです」

「なぜ」


 ルゼはむくりと起き上がると目を伏せたままクラウスの胸に頭を押しつけ、先程の奇行に対する怒りを示すかのように、ぐいぐいと小さな力で押しながら話した。


「……性格が悪いので……。私の良いところだけを見ていてほしいんです。少ないですけど」

「恥ではないのだろう。それに傷くらい俺にもある」

「それは武功でしょう。他人の傷を見るのは苦しいものではないですか。皇太子様は美しいものだけをご覧になっていればいいのです」

「…………」


 クラウスはなぜか妙な間を入れると、ルゼの頭にぽんと手を置いたようだった。

 その慰めるような小さな振動に、ルゼはかすかに笑い声を漏らす。


「……ふ」

「……なんだ」

「いえ何も」


 クラウスの見ているルゼは、誰か別の人のような気がする。この男が今何を思ったのか言わないのは、ルゼのためなのだろう。

 ルゼは、困ったように優しく笑うとクラウスから頭を離した。


 しかしルゼの前面の開いたシャツが露わになるやいなや、クラウスがシャツを引っ張り合わせるようにして押さえてきた。上3つのボタンは閉じてあるので何の問題もないと思うのだが、年頃の令嬢としては少しはしたなかったかもしれない。

 またもクラウスが若干怒っている。


「お前には羞恥心がないのか」

「とりあえずボタン閉めさせてください」


 クラウスを見つめて即座にそう言い返すルゼに、クラウスは視線を下げずに手を離した。


「……」

「あは、ボタンかけ違えてますね。恥ずかしい……」

「……」


 ボタンのある服は、目の見えないルゼには着るのが難しい。一度全て外すと今度は一つずつ丁寧に留めながら、視線を彼方へ飛ばしてくれているクラウスに言った。


「殿下。お願いしたいことがあります」

「なんだ」

「あまり私の肌にみだりに触れないでください。恥ずかしいので」

「……恥ずかしい……?」


 ルゼからさらしを外せと頼んだ割に、矛盾したお願いである。クラウスも訝しげな声を上げている。


 恥ずかしくないから頼んだのだが、こうまで徹底的に見ないようにされると、見せるのが恥ずかしいことのような気がするのだ。今の出来事を思い返して頬を薄く紅潮させるルゼを、クラウスが呆れたような目で見ている。

 ルゼは今の愚行、恥辱を誤魔化そうと、ぱっぱっと服を正すと拳をぎゅっと握りしめてボソボソと呟いた。


「まあでもあれですよね。婚約関係ともなりますと、なんなら殿下にだけなら見られてもいいかもしれないってことですよね。いえまあ傷跡を見られるのは誰であっても死ぬほど嫌なんですけど、良いと思える結婚って凄いですよね。いや婚姻はまだですが」

「…………」

「何も言ってないです」

「うん」

「はい」


 ルゼが俯いたままゆっくりと顔を覆うと、クラウスが音もなく部屋を出ていくのだった。

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