第44話 約束しましょう

 ルゼはクラウスの膝を枕にして執務室のソファに寝かされていた。塩やら砂糖やらの入った水を無理矢理飲まされた後、大分楽になった体で横たわりながらクラウスを見上げる。


「あのー……」

「なんだ」

「複数回卑怯な手を使ってしまって申し訳ございませんでした」

「構わない」


 ルゼは合図と同時に始めると言ったのにクラウスの目を隠したまま殺しにかかり、短剣を二本持っていたことも分からないようにしていた。

 クラウスから殺しにかかれと言われたためにそこは良いとしても、絶対にこの男に聞かせたくなかった暴言を、無意識下で全力で吐いていたのが良くない。取り消したいのだが、一度言った言葉をなかったことにしろだなんて、あまりに無責任だろう。


「あの、身勝手なお願いをしてもよろしいでしょうか」

「なんだ」


 ルゼはクラウスに額を触れられたまま目を開け、自分を見下ろしているだろう瞳を覗くように見つめる。


「私より先に死なないでください」


 突然何を言い出すんだ、とクラウスが怪訝な顔で見下ろしてくる。


「約束してはいただけないでしょうか」

「……分かった」

「絶対ですよ」

「ああ」


 クラウスはそう言うと、血の気のない顔をしているルゼの額に、体温を確かめるように前髪を除けて手を置いた。


「寒いか」

「いえ……暑いような気がしますけど……。ありがとうございます。だいぶ良くなったので……」


 暑いのだが、汗をかいてはいないようだ。汗だくの姿を見られてはいないようで何よりである。

 ルゼはそう言いながらゆっくりと上体を起こしたのだが、ふらついてしまったためにクラウスに肩を支えられた。


「あ……すみません。筋肉痛かもしれないです」

「……強く巻き過ぎたのではないのか」

「え……」

(巻く……?)


 ルゼが今巻いているものと言えば胸のさらししかなく、ルゼはさらしを巻いてくれた侍女の言葉を思い出した。


(……そういえば、固く巻くから激しく動くなとか言われてたっけ……)

「ああ……」

「……」


 死ぬ気で動いてしまった。必要以上にきつく巻かれたさらしのおかげで、ルゼは汗をかかずに蒼白な顔をしていられるのだろう。

 さらしを取ろうとしてシャツのボタンを外し始めたのだが、もう一度侍女の言葉を思い出して手を止めた。


「殿下」

「……なんだ」


 クラウスは部屋を出ていくところだったのだろうか、声の落ちてきた位置から席を立っているような気がする。

 ルゼがクラウスの名を呼びながらシャツをおろすので、細く白い肩が露わになっていた。首より下は多少汗ばんでおり、丸い皮膚がじっとりと湿っている。


「これ多分巻き始めと終わりが後ろの方にあるのですが、解いていただけませんか?」


 ルゼの胸を押さえ付けているさらしは、背中側から前に回し、強く胸元を抑えながら再び後ろに回すと背中でリボンのような形にして結ばれているのである。さらし一つとってもおしゃれに巻いてくれたのだが、どこでそんな知識を手に入れるのか気になる。


 ルゼはクラウスに背中の結び目を示しながらそうお願いしたのだが、暫く沈黙が返ってきた。


「……人を呼んでくるから……」

「殿下で構いませんよ。実は私人見知りなんですよ。この年で」

「…………」

「あっ、すみません。構わない、だなんて失礼なことを言ってしまって」

「いや……」

「腕が回らなくて……ナイフで切ればいいのか。すみません無駄な時間を取らせてしまって」


 体が硬いというわけではないのだが、先程酷使したからか、腕を動かすと肩から二の腕にかけてビキビキと痛む。

 深いため息が聞こえてくる。


「……俺が取るから向こうを向いておけ……」

「……すみません。お手数をおかけしてしまって」


 わざわざ頼まなくても、ナイフで切れば良い話だったかもしれない。しかし気づく前に頼んでしまったせいで、クラウスがルゼの背に向き合うように腰を下ろしてくれた。

 ルゼはどうでもいいことを頼んでしまったなと僅かに後悔しつつ、シャツを少し下にずらした。


「解けそうですか?」

「……ああ」

「すみません。ありがとうございます」

「……」


 言われた通り前を見たままシャツを胸の前で持ち、窓の反射で見えるかと窓に向かって微笑むのだが、クラウスはちょっと不機嫌そうだ。無言でさらしに触れている。

 シュ、と布が擦れる音がし、さらしが緩むとクラウスの冷たく細い指が少し肌に触れた。


「ん」

「……」

「っふふ……」

「……妙な声を出すな」

「あはっ、すみません。手が冷たいので、くすぐったくて……」

「……………」

「ふ……首と耳だけだと思っていたのですが、割とどこもくすぐったいですね。堪え難い……」

「……」


 笑い声を抑えようとすればするほどくすぐったくなってしまう。クスクスと小さく笑っている間に、不機嫌なクラウスが無言でさらしを緩めて布を取ってくれた。


 ルゼはシャツを正そうと上に引っ張ったのだが、背中の中心に置かれたクラウスの指に遮られてしまった。


「……?」

「背中の中央に傷がある」

「そうなんですか? 知らなかったです」

「剣で貫かれたような痕」

「……ああ! 生まれつきかもしれません! 胸の中央にもあ……」

「見せるな」

 

 振り返って胸の間にある生まれつきの痕を見せようとしたのだが、クラウスにすごい力で前を向かされた。


(……力つよいな……)


 前を向いたままお礼を言うとシャツのボタンを上から順にはめていくのだが、背後にいるクラウスに、服の上から背骨のあたりを指先でなぞられたようだった。


「あっ、ひあっんん……」

「……おい……」

「は?」

「……」


 口から気の抜けたような高い音が飛びだした。クラウスが少しだけ驚いている気がする。背中に神経は走っていないと思い込んで生きてきたのだが、そんなことはないらしい。

 ルゼは顔だけ振り返るとクラウスに困惑に表情を向けた。


「なんですか……」

「蹴られた痕もある」

「!」

(治ってなかったんだ!!)


 ルゼの背中には長年モーリスに折檻されてきた傷痕があるのだろう。しっかり薬を塗っていたので治っているものと思い込んでいたのだが、手が届かなかったのか薬が効かなかったのか、まだ残っているらしい。

 傷だらけの固くなった皮膚を、この人に見られてしまった。


 ルゼは目を合わせないように前をむき直すと早口で謝罪の言葉を述べた。


「すみませんお見苦しいものをお見せしてしまって」

「ベルツの人間だな」

「違います」


 惨めだし恥ずかしい。

 とりあえず口だけでも否定しておくことにしたのだが、淡々とした声とは裏腹に背後から殺気を感じる。誤魔化せているような気がしないため、ルゼはこれ以上機嫌を損ねないように今度はしっかり弁明した。


「実は馬小屋で過ごした……」


 しかし、言い終わらないうちにルゼの腹部に手が回され、力強く引き寄せられた。

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