第16話 助かってはない

 ルゼは表情を取り繕って整った笑顔を浮かべるものの、冷や汗が止まらなかった。背中を伝う汗に、より一層緊張が増す。しかも、前からだけでなく横からも視線が浴びせられる。


「……なんでしょうか」

「んふふ、書いてなかったみたいだね」

「……何を仰ってるのですか」


 蒼白な顔をして姿勢を正すルゼに、アデリナが顔を歪めて微笑んだ。


「ふふ、見たことあるんでしょ? 禁忌の書。分かるよ、君みたいな勉強熱心な子だったらさあ、好奇心に勝てないよね。あはは、嘘が下手だねえ。全部顔に出ちゃってるよ」

「!」

「そんなだから呪いもかけられちゃうんじゃないの?」

「いえ、何のことだか見当もつきません」


 口では否定するものの、ルゼにはアデリナの可笑しそうな声に全てバレている気がしてならなかった。


 アデリナの言う通り、ルゼは禁忌の書を見たことがあった。

 父、ハインツ・レンメルが禁忌の書の複写本を持っていたのであり、六歳のルゼはそれが禁忌の書であると知っておきながら手にしたのである。そしてルゼはその内容を細部に至るまで記憶していた。


 ルゼの顔が蒼白になるにつれて、アデリナの声は楽しそうに揺れる。


「ふふ。……ねえルゼちゃん、君もしかしてベルツ子爵の娘じゃないんじゃ」

「アデリナ・ヴィンストン」

「!」


 クラウスの低い声に、アデリナの動きががピタリと止まった。アデリナの楽しそうな顔が瞬時に曇る。


「……何です?」

「例えば貴様が禁忌の書の内容を、他人に伝えたことがあるとして」

「!」

「それをここで言うのは賢明な判断ではない。軟禁で済まされているだけ感謝したらどうだ」

「……ちっ」


 皇太子からのお達しであるのに、アデリナは小さく舌打ちをすると、横に視線をやって苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……寛大なご対応痛み入りますよ、皇太子殿下」


 絶対に感謝などしていないのだろう、投げやりな物言いだ。アデリナはそう吐き捨てると立ち上がり、はあーあ、と大きく息を吐いて白い顔をしているルゼを見下ろした。


「ルゼちゃん、怖がらせてごめんね。かわいくてつい言い過ぎてしまったよ。何か私に聞きたいことがあったらいつでもおいで」

「……あの!」

「ん?」

「……お時間を頂いてしまってすみません」


 アデリナを見つめてそう言うと、ペコリと頭を下げた。あの!と勢いよく叫んだ割に、巧く徒労を労えなかった。

 先程まで覚えていたくせに礼節を尽くそうとするルゼに、アデリナが目を丸くしたあと、懐かしいものを見る目で目を細めている。


「感謝の言葉に変えてくれない? 私は万人から感謝されたいし、謝られるのは嫌いなんだ。なぜなら謝りたくないから」


 見事な論法だ。

 そう言われてみれば確かに、ルゼも謝られるのが苦手だったような気がするし、感謝されるのはもっと嫌いだったような気がする。

 アデリナは変というよりも、情緒の育ちきっていない幼い子供のような印象を受ける。謝りたくないというのは置いておいて、アデリナの理論はどこか素敵なように感じられた。自然に笑みがこぼれてしまう。


「お話を聞かせていただいてありがとうございます」

「うん!」


 うん! と元気よく返事をする50代がいるとは思えない。久々に人から笑顔を向けられてぽっと頬を赤く染めるルゼを、クラウスが横でじっと見ている。

 アデリナは鼻歌を歌いながらご機嫌で部屋を出ようと足を出したのだが、去り際に、


「ちなみに婚約者の話は本気だから!」


と言い捨てたために余計にクラウスから殺気を浴びせられていた。


 ルゼも早く立ち去りたいのだが、クラウスがなぜかルゼの短い髪の毛先を指で遊んでいるために、いつ立ち上がったら良いのか分からない。

 エレノーラの敢えての切り残しに、ここで首を絞められることになるとは……。


(……私これから尋問でもされるのかしら……)


 アデリナは何も明言しないでくれはしたが、ルゼが禁書を読んだことは、二人にはおそらくバレている。無言で切り残された一束の髪を弄るクラウスに、焦りと恐怖がルゼを襲った。


(う……。なんで髪触ってんだろ……)


 長い間姿勢を正し、横に座るクラウスに目をやることもせず、沈黙の中に身を置く。チッチッ、と壁にかけられた時計から、時間を刻む音が聞こえる。

 クラウスは怯えるルゼを見物しているように感じられたが、満足したのかぼそりと呟いた。


「別に、過失で見ただけならば罪に問われない。複写したとなると別だが」

「……」


 絶対に過失ではなかった。喜び勇んで好奇心で寂しさを埋めていた。しかも父は複写している。どうせあの父親も、知りたいという欲望だけで手を出している。


「その魔法を使わなければ問題ない」

「! ……すみませんでした」

(……皇太子様がそんなことを言っていいのかしら)

「アデリナの言う通り、顔に出すぎだ」

「う……」

(出してるつもり無いんだけどな……)


 自分では表情が硬いほうだと思うのだが、そんなこともないのかもしれない。顔に出やすいなんて、百害あって一利なしだ。


 クラウスはルゼの髪から手を放すと、今度はルゼの右手を手に取って手袋を外した。割れ物にでも触れるかのようなその手つきに、異様にドキドキしてしまう。

 ルゼの右手を暫く眺めた後、静かに話し出した。

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