第15話 何の笑いですか

 執務室には低い机を挟んでソファが二つ置かれている。防音の壁らしい。


(ここで殿下がお仕事なさるのかしら……)  


 低い机の向こう、窓際には一人用の作業机があり、書類が乱雑に積まれている。脇には本棚が一つあり、全体としてクラウスの自室と似た殺風景な雰囲気であった。


(……几帳面な方……)

「わっ」


 ルゼが部屋を見渡しながらそんなことを考えていると、なぜかクラウスに腕を引っ張られた。そのまま尻餅をつくようにソファにダイブし、彼の隣に着席した。ソファのクッションもふかふかふんわりだ。


(近……手ぇ!)


 目が見えないから導いてくれたのだろう。

 すぐに手を放してくれたのだが、すぐ左に感じる人の熱に緊張してしまう。アデリナはその様子に目を丸くしながら向かいのソファに座っている。


(……はっ。照れている場合ではない!)


 ルゼはクラウスとの近さにたじろいでしまったのだが、アデリナが呆然と二人を見ている事に気づいて慌てて本題を切り出した。


「ヴィ、ヴィンストン様。折り入ってお聞きしたいことが……」

「アデリナでいいよ。ダーリンでも可」

(ダ、ダーリン?)


 そんなの今どき誰も使わないが、そう呼ばれたい願望でもあるのかもしれない。アデリナはそんなにこの顔が気に入ったのだろうか。

 隣から何故か異様な圧を感じる。


「……アデリナ様。折り入ってお聞きしたいことがあるのですが。その、かけられた魔方を解除する方法ってありますか?」

「ないよ」

「ああーあ……」

「え? 何その相槌」


 もしかしたら……、と藁にでも縋る思いで質問したのだが、当たり前とでも言いたげな顔をするアデリナに容易くその藁を切られてしまった。落胆を覆い隠そうとして変な声が口から漏れ出た。


「そっ……うですよね……」

「呪いでもかけられたの? ルゼちゃんの魔力の流れ、なんか不思議だなって思ってたんだ。吸収も放出もしてないのに減っていってる」

「え」


 自分の体内の魔力は見ることが出来ない。そのため、自分の魔力が減っていく一方であるという事実を今日初めて知った。それを呪いと言われるくらいには、生命が削られているのかもしれない。


(……減っていってる? 魔力自体は外部から吸収しているはずなのに、どういうこと……)


 一気に二つの事実を突きつけられて俯くルゼをしばらく観察していたアデリナだったが、違和感を感じたのか首を傾げて呟いた。


「……右手?」

「!」


 アデリナが机に片手をついて身を乗り出し、ルゼの右手に触れようと手を伸ばしてきた。


(バレるの早……っ)


 ルゼはびくりと右手を震わせると固く握りしめたのだが、伸ばされた手がルゼの右手に触れる前に、クラウスがアデリナの手首を掴んで止めてくれたようだった。

 アデリナがムッとしている気配が伝わってくる。


「……何です? 私、口は堅い方ですよ」

「信用できない」

「……」

(こ、この二人、過去に何かあったのかしら……)


 他人から信用できないと言わしめる人間性が非常に気になる。

 アデリナはクラウスのその一言に、ルゼに触れるのを諦めたようであった。もう一度ソファに腰かけると、はあ、と飽きたようにため息をついて、視線だけをルゼにやった。


「まあいいや。ルゼちゃん、そのままだったらもって後一年じゃないかな」

「えー……」


 やっぱり悪くなってるのは目だけではないようだ。時間が無い。


「あれ、わかってたの? 意外と冷静だね」


 ルゼの心の内は冷静とは言いがたかったのだが、頭にあるのは自身の余命の短さに対する絶望ではなく、復讐に費やす時間の短さに対する焦りだった。


「いえ、今日初めて知りました。教えていただきありがとうございます」

(一年……。冬までには黒幕を見つけないと……)

「……ふーん……」


 深々と頭を下げるのだが、アデリナに興味深げに観察されている。頭を上げると、嘘くさく貼り付けられた笑みを向けられた。


「ルゼちゃん、禁忌の書って知ってる?」

「ああ……存じ上げません」


 にこ……と曖昧に微笑んでそう答えると、アデリナも、にこ……いや、ニヤ……と気味悪く口角を上げて微笑み返した。


「人間の精神の自由を奪ったり、魂を入れ替えたりする魔法を書き連ねた禁忌の書があるんだよ」

「ほん……」

「私が二十年程前に皇帝のとこから盗んだんだ。ちゃんと返したんだけどばれちゃったみたいでさ、それ以来ここで軟禁されてるんだよ」

「……え!? 二十年!?」

(この人何歳なの!? 声から二十代だと思ってたのに……)

「……そこ? 私の年齢は秘密だよ」


 ルゼは声には出さなかったのだが、アデリナには伝わったらしかった。

 アデリナの声は若々しく、使用人からの証言もあって20代だと思っていたのだが、アデリナの実年齢はもしかしたらルゼの実の両親とそう変わらないのかもしれない。


 二十年……?と口の中で復唱するルゼにアデリナは小さく咳き込むと、再び神妙な声で話し出した。


「……それでね、禁忌の書だったらその呪いの解き方もあるんじゃないかなって思ったんだけど……。んふふふ」


 神妙な顔をして話していたアデリナだったが、ルゼの顔を見て薄気味悪い笑みを浮かべている。

 ルゼもアデリナに負けない作り笑いを浮かべるのだが、背筋が凍っていた。

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