第39話 ごみ袋ひとつ分

「吐き気がするのよあなたを見ていると。知ってる? 使用人たちが私とあなたを比べてなんて言っているか。私は劣った方と呼ばれているのよ」

「……!」


 知らない。だってずっと何も聞かず何も見ず、息もしてなかった。 

 驚きに目を見開いたルゼを見て、エレノーラはぎりぎりと憎らし気に歯を食いしばると大声で怒鳴りつけた。


「あなたが何でもできるから実子の私が厭われているのよ! 私だって努力してるわよ! でもあなたと同じくらいにできるわけがないじゃない!! 勉学も裁縫も容姿も、愛想一つとっても何一つあなたに敵わないわ!」

「……」

「それなのに自分だけが可哀相というような顔ばかりして! あなたばっかり愛されて、人の気持ちなんて考えたことないんでしょ!?」

「……ごめんなさい」

「なぜあなたが辛そうな顔をするのよ!! あなたが今まで着ていたこの服は誰の物!?」

「……」

「答えなさい!! 誰の物よ!?」

「……エレノーラ様の物です」

 

 俯いてそう答えるルゼにエレノーラは舌打ちをすると、更に力強くルゼの胸元を引っ張った。胸ぐらを引っ張られているルゼの頰に、ぽたりと一滴雫が落ちる。


「あなたに与えられているものは全部、私に与えられるはずのものだったのよ! 服も友人も良い縁談も、全部あなたが奪い取るじゃない!! 十年も……私だけのお父様だったのに!!」

「……ごめんなさい……」

「そんなにたくさん持っているなら、私の居場所くらい譲ってくれていいじゃないの!!」

「……」

「早く死ね!」

「……」

「苦しむ権利なんて貴方にはないわよ!!」


 エレノーラがルゼを放るようにして手を放すと、ルゼの頭が勢いよく壁にぶつかり、ゴツンと鈍い音がなった。エレノーラは俯いたまま動かないルゼの腹を蹴ると、憎しみを露わにした表情のまま部屋を出て行ってしまった。


 もうずっとエレノーラを苦しませていたみたいだ。しかも原因の自分がそれに気が付かないまま幸せになろうとしている。

 蹴られた腹をかばうように蹲まると、ぼそりと呟いた。

 

「……消えたい」



「縊死なら後の掃除が楽だ」


 開けた窓から突然声が入ってきた。淡々として静かな声だ。

 びくっと身を揺らして驚くものの黙って蹲っていると、再び声が届いた。そんなに大きな声ではないのに、なぜかよく聞こえる。


「飛び降りるなら袋に入れ」

「……」


 袋に入って飛んだらゴミ袋一つ分くらいにはなるだろうか。どうやらこの無骨な声の持ち主は、死後処理の心配をしてくれているようだ。


(……袋一つ分の人生……)

「……ふふ」


 淡々としたその声に、ルゼはわずかに口角を上げて笑みを漏らした。


 ゆるゆると顔を上げると立ち上がり、ペタペタと裸足で窓辺まで歩くと窓から顔を出す。クラウスの姿は見えないが、おそらく屋根の上にいるのだろう。


「ほんとに屋根に登ってるんですか」

「直すと言っただろう」

「……ふ。皇太子殿下ともあろう方が、何を平然と下人の仕事をなさっているのですか」

「惚れ直したか」

「元から惚れてないです。頭沸いてるんですか」

「ははは」


 拒絶するような言葉とは裏腹に屋根に向かって両手を上げると、クラウスが体の側面を掴んで引き上げてくれた。抱きつくようにしながら屋根の上に足を乗せると、クラウスの隣に膝を抱えて座る。

 クラウスもぼんやりと座りながら、誰に向かって言っているのか静かな声を発した。


「俺と死ぬか」

「……私は一緒に死んでくれる人を探しているわけではないので」


 来た頃にはまだ明るかったような気がするのだが、もう日も落ちて夕方になっていた。屋根の修繕も大方終わっているようである。

 ルゼはクラウスの方を見ずに静かに声を出す。


「ここに来るまで、失礼なことをたくさん言ってしまってすみません」

「気にしてない」

「気にしないんですか。利用されているのに」

「お前に利用されるだけの価値が俺にあって良かった」

「……あなたの価値は独立してますよ」


 姿形が良く、能力も高く、地位もある。こうして手を差し伸べてくれるし、屋根の修繕もしてくれる。

 ルゼは膝に額をぶつけると、下を向いたまま呟いた。


「……どうしてだと思いますか。好かれたかっただけなんです」

「何でも持っているように見えるからだろう」

「幸せな人間じゃないですか」

「そうじゃないのか」

「……ずっと寂しいです。みんないるのに」

「……」

「一緒に帰っていいですか」

「ああ」


 顔を上げるとクラウスと目が合ったような気がした。エレノーラに叩かれた頰へ伸ばされた手が、触れないままに下ろされたような気がする。


 ルゼはクラウスに抱きかかえられて屋根から降りると、ゴトゴトと再び沈黙に包まれた馬車に揺られて別邸へ戻るのだった。

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