第38話 間違えている
「ルゼ・ベルツをクラウス・エーベルトの婚約者とする。示談金は後日言い値で払おう」
クラウスがこの言葉をイザークとモーリスのそれぞれに告げただけで、婚姻の破棄はすんなりと決まった。イザークは多少不服そうではあったのだが、モーリスが納得しないことにはルゼとの婚姻は不可能なのだ。
ルゼはクラウスの隣で座っているだけであった。
モーリスは今までで一番上機嫌だ。
「まあ、そう急ぐこともないのではないですか。この子も荷物などあるでしょう。ゆっくりしっていってください」
「……今持っていきます」
「そうかね。お前を拾ってよかったよ」
「……」
クラウスにかける声に対して、ルゼにかけるモーリスの声は冷たい。
肩掛け鞄以外の荷物などないのだが、お礼に掃除でもして帰ろうかと考えてみる。
モーリスのいなくなったクラウスと二人きりの客間で、ルゼはボソボソと呟いていた。クラウスには先に戻るように言ったのだが、なぜか終わるまで待つと言って聞いてくれないのである。
「でも、屋根の修繕などもありますし」
「……今?」
「ほら、雨が降ったらびしゃびしゃになっちゃいますよ」
「……」
「このお屋敷結構広いですし、掃除するにも時間がかかりそうです」
ヘラヘラ笑いながらそう言うのだが、怪訝な目を向けられている。
「俺が先に戻ったらその後どこへ行くつもりだ」
「……」
「……俺に見られたくないものでもあるのか」
「はい」
「……屋根は直しておく。気が済んだら戻って来い」
「……」
クラウスはそう言うと、もうルゼの言い訳には付き合ってくれないようで、おそらく屋根の修繕に向かってしまった。
(……間違った……)
ルゼの胸中には後悔が押し寄せていたのだった。
✽ ✽ ✽
物置のような自室に入ったのだが、掃除するほどには汚れていない。物は全くないし、埃は多少積もってはいるが、誰も使わないであろう部屋をそこまで完璧に綺麗にする必要もない。
(……そもそも屋根の修繕も掃除も殿下から離れるための言い訳だったのに……)
かつて雨漏りしたままほったらかしていた天井を見上げるのだが、人がいる気配はない。クラウスは屋根を直すと言っていたが本気だろうか。生まれた時から綺麗な場所で書類とにらめっこしている様な皇太子様に、屋根の修繕などできるはずがない。
(……皇太子のくせに……)
こんな、一子爵令嬢のどうでもいい婚約破棄のためにクラウスを使ってしまった。しかも、自分に好意を抱いてくれていることを知りながら。
部屋の片隅に座り、もうどのくらい経ったかぼんやりとそんなことを考えていたのだが、ノックもせずにエレノーラが入ってきた。
久しぶりに会ったような気がする。
ルゼは慌てて立ち上がると頭を下げて挨拶をした。
「この度は……」
「出て行くの?」
「……はい」
「何? きれいに着飾っちゃって。そんなにここの暮らしが不満だったの」
「……いえ。そういう訳では……」
「それなら早くそれを脱ぎなさい」
「……」
脱ぐことはしないが、ただ姿勢を正して頭を下げ続ける。
エレノーラはクローゼットに向かってツカツカと歩くと中にあるボロボロの洋服たちを乱暴に掴み、頭を下げるだけで何の反応も示さないルゼに投げつけた。
「いい加減にこちらを見なさいよ」
「……」
頭を上げると、鋭く空を切る音がした後、パンッと乾いた音が鳴り響いた。避ける間もなく頬を平手打ちされたようだ。
「あなた本当に醜いわね」
ルゼは叩かれた頬を手で押さえると数歩後ろへよろめいたのだが、踏ん張りもきかず尻餅をついてしまった。
エレノーラが冷たく見下ろしている。
「大袈裟ね、そんなに強く殴ってないでしょう。気にかけられようとでもしているのかしら。生憎だけど、この家にあなたの大好きな殿方はいないわよ」
「……訂正したいことがあります」
「口を開かないで」
ルゼはエレノーラの言葉を無視して顔を上げると、見下ろしてくる義姉を見つめた。
「私とお義父様の間に体の関係は誓ってありません」
「……どうかしらね。お父様は別にお母様を愛してはいなかったし。貴方のような子が趣味だったのかしら」
「ゲオルク様と私の間にも……」
「どうでもいいわよわよそんなこと!」
彼女が怒っている原因はこれだと思ったのだが間違ったようだ。最後かもしれないので和解したかったのに間違ってしまった。
エレノーラは座り込むルゼの胸ぐらを片手で掴むと引っ張り、自嘲気味に話し出した。
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