第36話 お姫様になります!
到着した先は見たことないくらい大きなお屋敷だった。横に長いし上にも伸びている。
「シャーロット様、ここは……」
「本邸よ。小さな婚礼の儀のためにわざわざドレスを買うのも癪だから、私の小さいときに着ていたものをあげようと思って」
「……えっ」
(それももったいないのですが……)
シャーロットは背が高くスレンダーだ。スタイルも良い。そのため、貸すにしてもちんちくりんのルゼには幼少期の服が丁度良くなるのだろう。
買うのも癪と言っているが、皇女様から頂くくらいなら有り金をかき集めて自分で買いたい。でもそれをするのかと言うと絶対にしないのでシャーロットのドレ───
シャーロットは門番に一礼すると、ルゼの言葉も待たずに入り込んでいる。ルゼはシャーロットの背に隠れて存在を消すことに徹していたのだが、侍女や使用人の刺さるような視線を全身に隈なく浴びてしなっていた。
(ま、待って、私は愚民だから慣れてないんだよ……)
愚民、という単語をルゼは好んでよく使う。適切に自分の全てを表せているような気がするのだ。
シャーロットは屋敷内で侍女を二人捕まえると、表情豊かに何か事情を話していた。最初は訝しげな顔でルゼを見ていた侍女も、シャーロットの巧みな話術によって同情の目で見るようになり、ルゼはそのままどこかの部屋へ引きずり込まれてしまった。
「ルゼ様、精一杯飾らせていただきますので!」
「安心して我々に身を委ねてください!」
「は、はい! お願いします!」
ルゼは乗せられやすい質だった。
やる気に満ちあふれている侍女二人に、初めて仕事を学ぶ新人侍女の気持ちで挑むのだ。
「髪切っちゃってよろしいですか?」
「まあお肌すべすべね」
「ドレスは白にしましょうか」
「嫌ね、そんなに気合い入れなくても良いのよ」
「それもそうね。淡い緑なんてどうかしら」
「黄色もいいわね」
「あら、シャーロット様より上半身が」
「詰め込んじゃいましょう」
「は、はあ……ご随意に……」
侍女二人が勢いよくルゼを飾り立て、ルゼは立ったり座ったりされながらなんとか仕上がっていく。
完成すると侍女たちが大きな姿見を持ってきて、ルゼの姿を見せてくれた。
「とてもお綺麗です!」
ルゼもまじまじと自分の姿を見たのだが、何も見えなかった。
侍女によると、ルゼのドレスは胸元を強調しすぎない暗い山吹色のものに決まったようである。ルゼの紅梅色のボブヘアはウィッグでロングヘアに変化しており、前髪で隠れていた目元も見えるように整えてくれたらしい。
(み……見たい! というか見せたい……!)
着飾っている自分は変ではないだろうか。ドレスに似合ってたら良いなと思うのである。
侍女の二人は、マリー・ドナトーとエッダ・カーラーと言うらしい。意味がわからないくらいに優しい。
「ドナトー様、カーラー様、部外者の私にこれほど手間をかけていただいて、本当にありがとうございます」
「私たちも侍女冥利に尽きますわ」
(優しい……)
シャーロットはルゼのいる部屋に入るやいなや、今までにないくらいはしゃいでいた。しかしシャーロットの感情の振り幅は小さい。
「……素敵! マリー、エッダ、さすがだわ! どうもありがとう」
(……シャーロット様、本当にここの住人なんだわ……)
そんなことを考えていると、ルゼの戸惑いなどお構いなしにシャーロットはルゼを引っ張って長い廊下を歩き、階段を上っていった。ルゼは、履いたことのない高いヒールと裾が足首まであるドレスによろけながらも、片手でドレスの裾を上げ、必死にシャーロットについて歩く。
歩きづらくて脱ぎたい衝動に駆られるのだが、美しい友人が年相応にはしゃいでくれてて嬉しいのでルゼも少し高揚するのである。
使用人がちらちらルゼを見るためにいたたまれない気持ちになるのだが、三階に着いた頃には使用人の数も激減していた。
「……あの、私こんなにここを闊歩してもよろしいのでしょうか」
不安げにそう尋ねると、シャーロットが振り返って、がしっとルゼの肩を掴んできた。いつになく熱のこもった視線を向けられているような気がする。
「かわいい」
「えっ」
「いい? あなたはバルテル公に舐められたら終わりなの。自分が皇太子妃であるかのように振る舞いなさい」
「は、はい!」
ルゼは乗せられやすい質なのである。
「それと、私はここから先には踏み込んだことがないからあなた一人で行きなさい」
「は……え!? それはいくらなんでもダメでは……」
殿下の妹様でも踏み入れられない場所に、部外者のルゼが入るのは良くない。
「ああ、許されていないのではなくて、私が敬遠しているだけよ。一番奥の部屋の扉をノックしたら、返事は来ないけど堂々と入り込んで、今からの予定を全て話しなさい」
「いやでも……」
(……無理!!)
別邸は森に囲まれ猫もおり、人数も少なくこじんまりとしていたのに対し、本邸は人が倍の倍以上おり猫もおらず、ものすごく広いのである。明らかにルゼは場違いであった。
「ルゼ」
「はい」
「あなたがしっかりお姫様になりきれたら、後でここの書庫にしかない本をあなたにあげるわ」
「やるしかないですね!!」
(窃……過失!)
単純なルゼの脳みそは、何か一つ目的があればすぐに切り替わることができるのだ。
ルゼはシャーロットに見送られる中、言われた通りに背筋を伸ばし、コツ、コツ、と一番奥の部屋へゆっくり歩いた。
(……お姫様! 本!!)
ルゼには皇太子妃よりお姫様の方が想像しやすかった。シャーロットの真似をすればいいだけだからである。あの、いつでも気品と自信あふれる女王になるのだ。
三回ノックすると、シャーロットの説明では返事が来ないという話だったが、入れ、という不機嫌そうな低い声が聞こえた。
(……私呼ばれてないんだけど絶対に入ってはいけないと思うんだけど女王だから!)
ルゼはその不機嫌な声にも怯むことなく、大きく深呼吸するとゆっくりとドアを開けた。
中にいた人物は、ルゼの想像していた通りクラウスであった。
クラウスは書類から軽く上げた顔が下がることはなかったのだが、ルゼはクラウスの挙動はあまり意識しないように努めつつ、両手を前で合わせてクラウスを見つめ、深々とお辞儀をした。にっこりと整った笑顔を浮かべて挨拶をする。
「こんにちは、皇太子殿下。本日はシャーロット様に招かれてこちらへ参りました」
「……」
(……無理……、いいえ、一度決めたらやるのよ!)
かなり恥ずかしい。
ルゼは無言のまま見つめてくるクラウスに早くも心が折れそうになったのだが、一度決めたことを早々に諦めるというのはルゼの信条に反していた。
ただひたすら笑顔を保ち、発言が許されるまでクラウスを見つめる。
クラウスは暫く無言でルゼを眺めた後、はっとしたように我に返ると補佐官と思われる男性に出て行くように目で合図している。
(……ご公務の邪魔してるよね……。すみません、あとでお詫びさせてください……!)
そんなことを考えながら、追い出されようとしている男性が自分の横を通ったときに小さく頭を下げた。ルゼの謝意が伝わったのか、気にしなくて良いですよ、と言う風に男性は小さく笑って部屋を出て行ったようだった。
(優し……はっ。いけない、集中しないと……!)
ルゼが緊張を隠すように笑顔を貼り付けていると、クラウスがやっと口を開いてくれた。
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