第35話 シャーロットの企みごと

「シャーロット様、今日は少し体温が低いですね。あまり薬が効いてないのでしょうか」


 翌日、ルゼは懲りずにシャーロットのお見舞いに来ていた。

 シャーロットは自室のベッドの中で上半身だけ起こして座り、毛布を被って本を読んでいる。ルゼはベッドの脇に小さな椅子と机を用意し、3種類の薬草をすり潰しながら不安げにそう呟くのだが、シャーロットは割と元気そうだった。


「私、日に日に調子が良くなっているわよ。今が一番人生で快調だと毎日感じているもの」

「嬉しいです」


 ルゼはそう言うとコップ一杯の水に魔力を込め、すり潰した薬草と昨日作ってきた果物の粉末を溶かして混ぜた。暗い緑色の液体がコップ一杯分できあがる。

 シャーロットは苦々しい顔でコップを受け取り、舌で少量舐めてくれたようだった。渋い顔が徐々に絆されていっている。


「あら、意外とおいしい……」

「ですよね! 私も昨日試飲して、とても上手に調合できたなって思ったんです」


 試飲段階では全く美味しくなかったのに、時の運が巡ってきたようだ。

 ルゼは空になったコップを受け取ると飴を渡し、シャーロットの手首を取って脈を測った。


「シャーロット様は体内の魔力の巡りが悪いので、手足の先まで魔力が行き届くように意識してみてください」

「それができないから困ってるんじゃないの」


 シャーロットは体内の魔力が一所で固まってしまっているために、臓器がうまく活動できないのである。血液や組織が常に魔力を欲しているため、魔力を込めた薬の方がよく吸収されるのだ。


 シャーロットが怪訝な表情をして、ルゼの深い青色のイヤリングに触れた。


「あなたこれ、前は淡い緑色ではなかった?」

「あ、ああ、買い換えていただいたんですよ」

「あの人からもらったの?」


 イヤリングを見るたび申し訳ない気持ちで一杯になるので、あまり話題に出さないでほしい。

 シャーロットの問いかけに、しどろもどろになって答える。


「はい……貰った、というか、いただいてはいるんですけども、プレゼント的なものではないです」

「プレゼント的なものだと思うわ」

「違いますよ。詳しくは言えないのですが、とにかく違います」


 優しさは身を滅ぼす、とか言っていた割に、クラウスは人には底抜けに優しいようだ。何か理由あります?と聞けば答えは返ってくるのだろう。

 ルゼはベッドに上半身だけ倒れ込んでブツブツ呟いていたのだが、もそもそと気だるげに起き上がると薬瓶や道具を鞄に入れ、立ち上がって適当に身だしなみを整えた。

 その様子に、シャーロットが本から顔を上げて不思議そうに首を傾げている。


「あら、今日はもう帰るの?」


 ルゼはいつも夕方まで入り浸っているのに、この日はまだ午前中、来たばかりだった。


(え〜、シャーロット様が珍しく寂しそうな声で私を呼び止めてくださっている!)


 呼び止めてはいない。

 帰りたくなくなってきたのだが、この日のルゼはなんとしても顔を出さなければならない所があるのである。


「……今日は用事があるんですよ」

「……何の用事か聞いてもいいかしら」


 普段笑顔を絶やさないルゼが憂いを帯びた表情で言ったためか、いつも物怖じせずにはっきり発言するシャーロットが、躊躇ったようにそう尋ねた。深く聞いて良いのか躊躇ったのだろう。

 ルゼはその声に、シャーロットに気を遣わせてしまったことに気がついて慌てて表情を取り繕った。


「婚姻ですよ、婚姻。婚礼の儀が細々と開催されるんです」


 以前エレノーラが言っていた国有数の富豪のお宅で、形式的ではあるものの婚約関係を結ぶ段取りが、ルゼの知らないうちに決められていたのである。お金の行き来もあるみたいで、当事者であるとしてもルゼには発言権がなかった。


 何事にも冷静沈着、高みの見物を決め込むようなシャーロットが珍しく驚いたようだった。


「は?」

「え?」

「どなたと?」

「確か、イザーク・バルテル侯爵様だったかと存じます」

「誰が?」

「もちろん私がですよ」

「は?」

「え?」

(薬効き過ぎてるのかな……)


 薬には、副作用に認知能力に害を及ぼす物もある。皇女様に毒を盛ったかもしれない。ルゼはこれから起きる面倒なイベントにため息をつくとシャーロットに言った。


「そういうことで、今日はその方とちゃちゃっと結婚して参ります。明日も来ますんでちゃんとベッドから出るんですよ」

「ちょっと待ちなさい」


 帰ろうとしたところ、シャーロットに強い語気で呼び止められた。ルゼはシャーロットの目線に促されるまま、再度席に着く。


「なんでしょうか」

「バルテル公って確か50代ではなかった?」

「そうなんですか? 若いですね」


 ルゼの両親は二人とも高齢であった。

 本気でそう思っているようなルゼの顔に、シャーロットが絶句している。


「……どこで開かれるの」

「バルテル様の邸宅だとお聞きしていますが」

「婚礼の儀の主な出席者が先方とあなただけ、しかも場所は自分の屋敷っておかしいわよ。あなた、見下されているのではなくて?」


 言われるまでもなく生まれたときから見下されるべき人間である。


「まあでも、義父とバルテル侯爵様の間での取引のようなものですから。小規模な分すぐに終わりそうで気が楽じゃないですか」

「バルテル公って噂では……」

「存じ上げております」


 ルゼの瞳にシャーロットはそれ以上何も言わず、じっとルゼを見つめている。

 ルゼも、おそらく心配してくれているのだろう心優しい女王様に眉尻を下げて微笑んだ。


「低い位置に窓がついてませんかね? 最悪鍵を壊して門番を殴ります」

「……あなた本当にできそうね」

「任せてください」


 ルゼは背が高い方ではなかったため、出られる窓の位置に条件がある。気休めになったら良いなと思うのだ。

 意気込むルゼを眺めてシャーロットは数刻思案した後、にっこりと笑ってベッドから出た。


「あなた、仮にも婚礼の儀にその服装じゃあおかしいわ」

「……どうでも良いと思うのですが」


 ルゼのこの日の服装は、その辺──家の中のゴミ箱に捨ててあったシャツに義姉の捨てていたウエストの高いスカートだった。街の娘だったら十分だろうが、子爵の令嬢としては浮いている。だが、モーリスの顔を立てる必要もイザークのために準備する必要も感じていなかったためにこの格好に決めたのである。

 しかし、シャーロットは礼儀に厳しい。


「良くないわ。あとどのくらい時間があるの?」

「ええ~……。割と結構ありますよ。歩いて行こうと思っていたので……」


 歩いて行く以外の選択肢と言えば、一度イザークの屋敷に行って場所を覚え、転移の魔法を使うしかない。そしてルゼはその徒労を怠ったので、おそらく汗だくの婚姻の儀になる。

 シャーロットが珍しく楽しそうに声を弾ませている。


「ではその前に私とお出かけしましょうか」

「!! ぜひ!」

(あのシャーロット様がお散歩!?)


 シャーロットは、ルゼがいくら適度に運動するようにと警告しても聞かないのだ。休日はベッドで過ごすシャーロットが、自ら出かけようと言い出すのは大きな前進であった。

 

「どちらへ行かれるのですか?」

「ドレスと権力者を手に入れに行くのよ」

「……?」


 なんだかあくどい笑みを浮かべられているような気がする。

 

 ルゼは気づけばわけの分からないまま馬車に揺られていた。

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