第34話 慈愛の瞳、ではない

「……あなた、その首の痣どうしたのよ」


 翌日、学院の談話室で、シャーロットがルゼの首に優しく触れてそう尋ねた。

 

 学院には談話室という広い部屋があり、図書館とは違って話ながら勉強することができる。

 ルゼの学友は、シャーロット、マルセル、ルーカスの3人だ。マルセルは、複数人で勉強する意味が分からない、と誘っても突っぱねるのだが、ルーカスが泣きつけば嫌そうな顔で来てくれる。この日もそんな流れがあったのか、珍しく四人が揃っていた。


 シャーロットがルゼの首に触れたため、ルゼは手を止めてシャーロットを見やる。


「やっぱり目立ちますかね」

「どうしたのよ」

「目立ちますかね」

「どうしたのよ」

「目立ち……」

「ちょ、ちょっと二人とも、もっと会話しようという気概を持って……」

「ちっ」


 何も答えないルゼをシャーロットが問い詰め、壊れたラジオのような会話をする二人にルーカスが困惑している。マルセルはいつも通りルゼに向かって舌打ちをしている。

 ルーカス・アーレントは公爵身分の剽軽な学生だ。18歳らしい。場に苛ついている人間がいると、不憫なことに仲裁役になってしまう質である。


 ルーカスは勉強をやめて机に突っ伏すと、横に座るマルセルに顔だけ向けた。


「マルセルはさあ、なんでそんなにルゼさんにキレるの? 可哀想なんだけど」

「こいつの態度が苛つくから」

「でもすれ違いざまによく目で追ってない? そういうのじゃないの?」

「違う!」


 よほど苛ついているのか、握りしめたペンが二つに割れそうだ。

 ルーカスが今度はルゼに顔だけ向けた。


「それで、ルゼさんはその痣どうしたの」

「目立ちます?」


 ルゼがにこりと笑って答えると、ルーカスは諦めたような顔をした。


「……その秘密主義どうにかしなよ」

「聞かないでいてくれてありがとうございます」

「……」

「すみません。湿布を巻いたら余計に目立つかな、と思ってこのままにしたんですけど」


 どちらにせよ目立っているのかもしれない。ルゼは出不精のおかげで肌が白く、首の痣は赤か青に変色しているのだろう。

 この優しい三人が自分を心配してくれているのは感じられたが、言ったところで余計に気を遣わせるだけである。しかも前にシャーロットが、「一人でどうにかできないことを人に相談して、責任を分担させるのは罪悪だ」と言っていたような気がする。違ったかもしれない。


 ルーカスは机に突っ伏した状態で文字を書き、ふにゃふにゃとした声で呟いた。


「言わない方が心配っていうのもあるんだよ」

「でも私一人でどうにかでき……痛っ」


 マルセルの方からすごい勢いで消しゴムが飛んできた。ルゼは額を手で押えつつ消しゴムを拾い、マルセルに抗議の目を向けて投げ返したのだが受け止められた。


「何するんですか。少し粗暴すぎるのではありませんか」

「黙れ」

「ええ? だま、黙れ?」

「あの!!」

「「「「え?」」」」


 ルゼが立ち上がって不満を撒き散らそうとしたところ、なぜか突然何の脈絡もなく一人の少女がマルセルに話しかけている。


「あの、盗み聞きしてしまって申し訳ないのですが、その、これ、湿布ですっ。ぜひルゼ様に貼って差し上げてきゃーー」

「は?」

(や、優しい……)


 マルセルに恋しているのだろうか、勝手に楽しそうな少女はそう言うと湿布を押しつけて去って行ってしまった。

 ルゼは上げた腰を下ろすと、呆然とマルセルを見やる。


「……モテるの?」

「俺じゃない」

「いや二人でしょ。多分組み合わせ……」

「おい気分の悪い話をするな」

「ごめん」

「誰と誰の組み合わせですか?」

「黙れ愚図」

「やめてあげなって」

「……」


 ルーカスが頑張ってマルセルを宥めてくれているようだ。何故かよく分からないが、マルセルは時々物凄く機嫌が悪い。


 ルゼはマルセルから投げつけられた湿布を受け取ると、首に貼るのもな……と思った結果手首に巻き付けることにした。三人に怪訝な顔で見られていることには気がつかないふりをする。


「……ほら、君のベルツさんを見る慈愛の目でみんなそう思ってるよ」


 ルーカスが頬杖をついてそう言うと、マルセルが苛つきながら呟いた。


「そういうのじゃない」

「じゃあなんなの」

「顔が妹に似てる」

「え」


 一瞬皆が無言になってしまったため、マルセルが不機嫌そうに舌打ちをした。マルセルの妹は昨年、14歳で亡くなったのである。


「……シスコンなの?」

「ルーカス様」

「すみません」

(……もしかしてマルセル様の妹様って……)


 マルセルの妹の死因は公には知られていなかったのだが、同じ状況だったのかもしれない。

 ルゼは立ち上がると笑顔で元気よく言った。


「マルセル様、私は大丈夫ですよ。腕っぷしには自信がありますから!」


 しかし、誰も明るい顔にはならないどころか静まり返ったため、ルゼは徐々に表情を無に戻すとすごすごと着席して鉛筆を動かした。

 静まりかえる卓に耐えかねたのか、ルーカスが上体を起こすと頭を下げている。


「……ごめん!! 僕が下世話な勘ぐりしたばっかりに……」

「黙ってろ」

「はい!」


 そうして珍しくルーカスも真面目に勉強していた。ルゼはぼんやりするだけである。


 ✽ ✽ ✽


「マルセル様!」


 ルゼは帰り際にマルセルを呼び止めたのだが、彼はいつでも不機嫌そうな顔をしている。


「マルセル様。今から言うことは余計なことなのですが」

「なら言うな」

「いくら顔が似ていても私に妹様を投影することはないです」


 故人を思い出させるような話は避けた方が良いような気がしたのだが、ルゼを見るだけで思い出すなら気兼ねなく言える。


「……投影などしていない。目元が似ているせいで思い出すだけだ。それに中身は全く違う」

「そうですか。それなら良いのですが、もし私に何かあっても私とマルセル様は他人ですからね」


 ルゼがマルセルの目を見てにこりと微笑むと、一層マルセルを苛つかせたようだった。棘のある声が返ってきた。


「だからお前を必要以上に心配するなと言いたいのか?」

「はい。マルセル様が余計な心労を負う必要はありません。例え私の身に何かあったとしても、マルセル様には全く関係のないことです」

「……お前のその……」


 マルセルが、二度も妹を亡くす喪失感を味わうようなことになってしまってはいけない。顔が似ているだけの別人なのだ。

 マルセルは何か言葉を飲み込むと、低い声で言い放った。


「お前が嫌いだ」

「私は好きです」

「黙れ。俺はお前の心配などしていないし、そんなに死にたいなら勝手に死ね」

「その言葉、私が本当に死んだ後に後悔しませんか」

「知るか」

「ふふ」


 そうしてマルセルとは分かり合えないまま、婚礼の儀を迎えるのである。

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