第33話 初めまして

 ベルツ邸に戻ると、ゲオルクがいつも通りの嘲笑を浮かべながら、モーリスが呼んでいる、と教えてくれた。


「なあ、お前結婚すんの」

「知りません」

「やめとけば」

「寂しいのですか?」

「エレノーラが俺の方に来るだろ」

「……」


 エレノーラはゲオルクの二歳年上である。よく分からないがこの日は、寂しいのですかという調子に乗った発言も穏やかにかわされた。


(……熱あるのかな……)


 この日は珍しく、呼ばれた先はモーリスの自室ではなく、その隣にある小さな仕事部屋だった。

 ルゼはモーリスの仕事部屋には入ったことがなかったのだが、華美な絨毯や壁紙、趣味の悪そうなソファに光る机が置いてある。


(……節操ないな……)


 ルゼの視界にいろんな色が入ってくる。絶対にこの人は趣味が悪い。

 

 ソファにはモーリスと一人の男性が座っており、入室するとその見知らぬ男性に軽く頭を下げた。モーリスに促されるままその人に向かい合う形で座り、にこにこと微笑んでおく。


(……きっとこの方がバルテル様ね)


 口を開いても良いのか分からず小さく会釈すると、イザークも人の良さそうな笑みを浮かべて軽く頭を下げてくれた。

 懐が温かいためか、モーリスが上機嫌で話し出した。


「ルゼ。もう聞いているかもしれないが、この方がお前を嫁に迎えてくださると言うイザーク・バルテル公だ。バルテル公から積もる話もあるだろう。私は席を外すから、くれぐれも失礼の無いように」


 モーリスはそう言うとさっさと部屋を出てしまった。いつしかは無謀にもエーベルトとの婚姻を画策しようとしていたようだが、無事富豪から金をもらえたようで何よりである。

 バタンと扉が閉められるとイザークが立ち上がり、ルゼの隣に腰掛けてきた。ギシリと軋んだ音が鳴る。


「初めまして、ルゼ・ベルツ殿。こんなに美しい方を嫁にもらえて光栄ですよ」


 イザークがそう言ってルゼの膝に手を置こうとしたため、ルゼは姿勢を正して前を向いたまま、イザークを見ることなくその腕を掴んで制止した。


「婚礼の儀が終わるまで私に触れないでください」


 イザークはルゼの強い語気に少し驚いていたようであったが、薄気味悪い笑みを浮かべて右手でルゼの前髪を引っ張ると自分の方に顔を向けさせた。


「生意気な女だ。私に命令するなんて、自分の立場を分かっているのか。……まあいい。高い買い物だ、すぐに壊しはしない」


 前髪を引っ張るのが好きな人が多い。

 ルゼはイザークを睨みつけるのだが、反抗的な態度を見せるほど楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


「……私をどう扱おうが構いませんが、正式な夫婦となるまでは私は誰の物でもないはずです」


 ルゼがイザークを見つめてそう言うと、イザークはルゼの態度に苛立ったのか笑うのをやめたようだった。微かに舌打ちする音が聞こえてくる。

 イザークは前髪から手を離すと、今度はルゼの首を片手でギリギリと握りしめた。力を入れて抵抗するのだが、イザークは思ったよりも力が強く、爪が首に食い込んでくる。


「……無駄に気が強いようだが所詮お前は非力な女だ。力では勝てまい」

「……」


 イザークの手首を掴んで放そうとするのだが、彼の言う通り力では敵いそうもない。苦しさを顔に出さずに睨み付けるのだが、余計に苛立たせたようだった。


「……本当に生意気な女……だっ!?」


 ルゼが首を絞められたまま目の前にある頭部に頭突きをすると、ゴッと低い音がなるとともにイザークの手の力が緩められた。

 その隙にイザークを押し返して身体を離すと立ち上がり、スタスタと扉まで歩くと尻餅をつく男を見下ろした。


「今日の所はお帰りになったらいかがでしょうか」

「……その態度もいつまでもつか見物だな」


 イザークはそう吐き捨てると、扉を開けたまま無表情で佇むルゼを睨んで部屋を出てくれた。


(……えー……)


 噂の婚約者は、思ったよりも気性が荒そうだ。しかも無駄に挑発してしまったため、嫁いですぐにでも殺されそうである。

 貴族の結婚なんて大体がこんな感じなのだろう。

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