第32話 口説いてるんですか
学院の図書館──広くて大きい。
学院は年齢問わず入学でき、16から30前半まで幅広い年齢の在学生がいる。入学者は貴賤を問わないが9割以上が貴族だ。皆の主な入学動機は魔法及び魔術を学ぶことであるが、横の繋がり、縁故の獲得のために入学する者も多い。しかしそういった人たちは大抵修了に至らない。
ルゼは夕刻、広くて大きい円形の図書館で、勉強もせずイヤリングを無意識に指で触っていた。
(何か……返したい)
クラウスの言いたいことは微塵も伝わっていなかった。本を開いたまま足をブラブラさせていると、珍しくマルセルが声をかけてきた。
「珍しいな。装飾品を身につけることがあるのか」
「似合ってますか」
「分からん」
マルセル・ブラントは、伯爵身分でルゼの数少ない学友である。ルゼより一つ上の17歳であるらしい。勉強が好きなどという特異な人間だ。
ルゼは知ることは好きだが教書を読む勉強は嫌いだった。しかし彼を前にすると勉強をしていない状況が何故か恥ずかしくなるため、焦ってペンを握るのである。
勉強するときに前髪が長すぎて邪魔になるのだが、勝手に切るとエレノーラが激怒するため切らないようにしていた。マルセルはルゼの身だしなみに時折苦言を呈していたのだが、ルゼが変わらないために最近では顔をしかめるだけであった。
「……人よりマシな顔をしているのにもったいない」
マルセルはそう呟くとルゼの長い前髪を右手でかき上げ、ルゼの頭頂部に押し付けた。
ルゼは見えないが良好になった視界で、目の前の人間をじっと見上げる。
「口説いてるんですか」
「……違う! それにお前、婚約が決まったんだろう」
「やっぱり私の婚約の話って本物なんですかね」
「は? なぜお前が知らない」
「マルセル様は何か知ってそうですね。教えていただけませんか」
ルゼはエレノーラの悪態を通して縁談が成立したことを耳にしただけで、それが本当かどうかを知らなかった。相手の人となりはどうでもいいと思っていたのだが、やっぱり気になるような気もする。
マルセルは顔を顰めながらもルゼの対面に座り、教えてくれるようであった。
「……お前の相手はイザーク・バルテル侯爵だ。先代が貿易や商業で莫大な財を成し、侯爵へと上り詰めたんだが……。俺の家も多少繋がりがあるだけだから詳しくはないが、良くない噂も聞く」
「良くない噂」
「……不確かなことは言いたくないが、密貿易をしているとか、金で買った妻をいたぶって遊んでいるとかそういう類いの話だ」
「へえ」
「……既に三人の奥方が変死している」
「ほお」
「なんだその気の抜けた返事は」
「ははは。ありがとうございます、教えてくださって」
ふんふんと鼻歌を歌いながらもう一度教書を開いて閉じ、さらに開くと、向かいからボソリと小さな声が飛んできた。
「やめておいた方が良いんじゃないのか」
ルゼはその声に顔を上げず、教書の一行目から指で追うようにして頑張って脳みそに入れながら答えた。
「どうでもいいです」
どこの令嬢もそうなのだが、父親の取り付けた婚姻関係を娘が独断で解消するなど土台無理な話なのである。
反論できずに苦虫を噛み潰したような顔をしているマルセルをちらりと見やり、ふ、と微かに微笑む。
「優しいですね。理由とかあります?」
「……もう少し人を信用したらどうだ」
「……? なんかあんまり…意味がわからないです」
「……」
ルゼの中では、優しさの根源は保身か下心か悪意を隠す術なのである。
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