第26話 不貞やろうだ!

(……恋のキューピッドか……)


 何をしても裏目に出るような気もするのだが、言ったからにはシャーロットの恋を成就させ、クラウスの女癖を治したいところだ。

 ルゼはクラウスを見上げると、わちゃわちゃと手を動かして視線で伝えた。

 

(殿下、シャーロット様に愛を伝えましょう! 今!)

「うん?」

「違う!!」


 頭を軽く撫でられただけだった。

 クラウスはやはりシャーロットと極限まで離れた場所に腰を下ろしたようだ。まずは、もっと近くに移動するところから始めさせたほうが良さそうだ。


(うーん……。気まずいな……!)


 とりあえず背後から穴が空くほど見られているため、気まずさ脱却のためと二人きりにするという意味を込めて、この場から立ち去ることにした。

 

(……もしかして別邸って逢瀬の場かな。邪魔者か……)

「用事を思い出しました。帰りま……」

「えっ。あなた達そうなの?」

「はい?」


 立ち上がったと同時に腕を掴まれ、唐突に意味のわからない質問をされた。いつでも冷静なシャーロットが珍しく驚いている。

 腕を掴まれたままシャーロットを見下ろすと、シャーロットの手に力が込められた。


(何の話だ……痛い……)

「あなたの片思いじゃないの?」

「待ってください何の話ですか」

「だから、あなたあの人のことが好きなんでしょう」

「は!?」


 どちらかと言うと逆だ。薄いだろうが愛情を向けている主は逆である。

 慌ててクラウスのいるであろう方向を振り返ったのだが、腕を引かれるままシャーロットの隣に尻餅をつくようにして座ってしまった。

 そのままシャーロットがルゼの肩に手を回し、力強く引き寄せられた。逃さないとでも言われているようだ。


 シャーロットはルゼより頭一つ分ほど背が高いのだが、座高は同じくらいだ。二人の頭がゴツンとぶつかる。


(怒ってる!)

「違うの?」

「違いますよ!」

「でも毎日毎日あの人の話ばっかりするじゃないの。闘いたいとか動きに無駄がないとか優しいとか」

「ちょっ……馬鹿! 馬鹿やめろ馬鹿! 言ったことないじゃないですか!」


 言った記憶はあるが、ここでバラされる意味がわからない。毎回そういう話をしてシャーロットがクラウスの恋人であることを思い出し、申し訳無く口を噤むまでが一連の流れだった。

 シャーロットはしれっとした顔をして口を動かしている。


「そうだったかしら。ほらこの前あなたが転んだ時に……」

「黙って口を開かないでください。あと転んでないです」

「私といるのに違う人の話ばかりして……」

「してないですって!」


 ルゼはシャーロットとクラウスを交互に見て顔の前でぶんぶん左右に手を振るのだが、双方からからかうような笑みを向けられている。

 

「私はそんなつもりでは……」

「でもあの人は珍しくあなたに興味があるみたいだわ。両思い? 可哀相に」


 可哀想なのは絶対にシャーロットだ。


「……なぜそんなに平然としているのですか。今までそんなに多かったのですか」

「まあそうね。数え切れないほど見てきたわ。あなたも類に漏れず」

「!」

(違う!)


 数え切れないほど不貞の現場を見せられてきたのか。シャーロットが意地の悪い笑みを浮かべて囃し立ててくる。


「私は好きではな……」

「この子は優しくされたらすぐに絆される人間なのよ。面白半分で手を出さないでいただけないかしら。と言ってくれる?」

「謝りた……」

「早く伝えなさい」

「……」


 謝罪すら聞き入れてくれないほどには怒っているようだ。


(……なんで私を媒介して言わせるんだろ……)


 ルゼは死んだ目でクラウスのいる方向を見ると、左から流れてくる音声を機械のように口から復唱した。


「……私は優しくされたらすぐに絆される人間なので……面白半分で手を出さないでいただけますか……」

「戯れのつもりはない」

「へえ。良かったわねルゼ」

「……」

「趣味悪いわよ」

「…………」


 恋人の前で他の女性を口説くとは、なかなか肝が据わっている。そして恋人の前で本人を貶すなんてなかなか冷めている。恋愛というのは、ルゼが思っているよりも夢がないようだ。


 黙り込むルゼの顔をシャーロットが覗き込んできた。


「真っ青じゃないの。寒いかしら……」

「……ごめんなさい」

「何かしたの? いいわよなんでも。温かい飲み物でも持ってきましょうか。あなたもすぐ倒れるから……」

「……」

「……え? 何?」


 俯いてボソボソと喋るルゼに、シャーロットが怪訝な顔をして耳を寄せた。


「……なんで責めないんですか。シャーロット様の中で私はそんなに取るに足らない人間ですか」

「は? また何か勘違いしているだけではないかしら。あなた鈍いくせに思い込みも激しいから……」


 席を立とうとしていたシャーロットが、再び腰を下ろして話を聞こうとしてくれたため、ルゼもシャーロットを睨みつけると早口にまくし立てた。


「……この際私が嫌われているかどうかはどうでもいいです。お二人の婚約をどうにかできないのですか。とてもではないですがあちらの方がシャーロット様を大切にしてくれるとは思えない」


「え……気持ち悪いわ。変な妄想しない……で、ふふ。忘れてたわ……」


「変なのはあなた達ですよ。お二人の間に信頼なんて微塵もないではないですか。なぜあちらの不貞を少しも気にかけないのですか。私にもっと腹を立てるべきです。それでエーベルト様も……」

「それは良くないわ」


 クラウスに食ってかかろうとしたルゼの口を、シャーロットが焦りながら塞いだ。シャーロットの手をどかそうとするルゼと、どうにかしてルゼを黙らせようとしているシャーロットを、クラウスが無表情で見ている。


「駄目よあの人に暴言を吐いては。あなたの首が飛んでしまうわ」

「どうでもいいです。シャーロット様はあんなにエーベルト様をお慕いしていると言っ……」

「少し黙っていてくれないかしら」

「……」


 聞いたこともない低い声がシャーロットの口から聞こえてきた。


「ルゼが殿下と知り合ったことで虐められてたのよ。と伝えてくれないかしら」

「だからなぜ私を介し……」

「早く」

「……と言うことだそうですが」

「そうか」

「え? 何を納得しているのですか」


 ルゼを置いて二人の間で会話が成立している状況、さらに微塵も悪びれていないクラウスに、ルゼは顔をしかめた。

 クラウスは面倒くさそうな顔をしている。


「俺の婚約者のふりをして、お前の代わりに矢面に立とうとしたということだろう」

「この期に及んでフリだのなんだの……。シャーロット様は人形ではないのですよ。現にあなたのことが好きすぎて直接話せていな……」

「ルゼ!!」


 シャーロットが額に青筋を立てて、にっこりと微笑みながらルゼの両頬を片手で鷲掴んだ。ルゼの顔がタコのようになってしまっている。

 漸く感情が追いついたようだ。


「私の姓はエーベルトなのよ。余計な補足をしないでちょうだい」

「……既に結婚してるなんて余計にたちが悪い……」

「チッ」

「……」


 こんなに滑らかに舌打ちをする令嬢は探してもいない気がする。感情を包み隠さず全て曝け出し、それを受け止められるのが当たり前の世界に生きているシャーロットを、ルゼは心の底から敬愛している。憧れなのだ。

 シャーロットの口から長く深いため息が聞こえてくる。


「身の潔白を示すチャンスをください」

「いらないわよそんなもの。私は生まれた時からエーベルト姓なの。あの人は兄!」

「……兄妹なんですか」

「血縁はないけど」

「……ではこの場にいるのは、皇太子、その妹君、子爵のクズ、と……」


 血縁はないと言うが、性格が似過ぎではないだろうか。なぜこうも無意味にからかわれ恥をかかされなければならないのだ。


「……皇女様、わたくしのこれまでの数々の無礼な行いをお許し……」

「別にあの人以外大した権威もないわよ。身分なんてどうでもいいじゃないの」

「少なくとも私はそれを許す側の人間ではありません」

「それもそうね」


 ルゼはクラウスの方へ体を向けると深々と頭を下げた。


「……勘違いで罵ってしまって申し訳ございませんでした。それと、断った後ではありますがそもそも私には拒否権などございませんので、お好きに決定されてくださいませ」

「……」

「あなたいつも試すような物言いをするわよね。この人相手によくできるわね」

「おほほ」

「……」

「帰ります」


 クラウスの視線が刺さる。

 とにかく、クラウスに婚約者はいないようだ。拒絶する理由が一つなくなってしまったようだった。

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