第25話 放っておいて
翌日、ルゼは図々しくもエーベルト家の別邸に居座り、客間にある暖炉にこびりついている灰を取り除いていた。暖炉の使われないこの時期に掃除してしまおう、と思ったのである。
(……そして冬になったら使わせてもらおう……)
そんな打算もあり、ルゼは居候させてもらっているお礼もかねて熱心に掃除をするのだ。
客間には低い机を挟んで横に長いソファがあり、時折シャーロットとクラウスが最大限に離れた位置関係で座っている。どうでもいいが、今日はクラウスの方はいないようだ。
ルゼは屋敷の掃除をしながら二人の横を行ったり来たりするのだが、未だに二人が会話しているのを見たことがなかった。だからといって険悪な空気が流れているわけでもなく、どう見ても互いが互いを認識していないように思えた。おそらくどちらかが幽霊だった。
(不貞……)
黙々と掃除をしていたのだが、シャーロットから思い立ったように声をかけられた。
「ルゼ、渡したい物があるの。ちょっとこっちにいらっしゃい」
「はい」
(なんだろ?)
灰で汚れた手をハンカチで拭きながらシャーロットの元へ歩き、ソファに座るシャーロッの足下に座ったのだが、シャーロットが怪訝な顔をしてルゼの頬に細い指を伸ばしてきた。
「頰が汚れてるわよ」
「ああ……」
「常に誰かに見られていると思って行動しなさいよ。躊躇なく床に座る癖を直しなさい。所作も粗忽な武人のようで美しくないわ。頭から爪先まで意識なさいな。あと、話しながら機嫌を伺うようにヘラヘラ笑うのもやめなさい」
「やはりか」
「お黙り」
また始まった。
シャーロットママは礼儀作法に厳しいのだ。
ルゼも、いかにも真剣に話を聞いているという顔つきできっぱりと言った。
「無理です」
「なぜできないのかしら」
「必要ないからです」
必要ないからしないのか、できないからしないのかは定かではない。
「それは言い訳よ。味方を増やすという意味でも、第一印象くらい良くする努力をすべきだと思うわ」
「私が一人でできないことが何かありましたか」
「あなたもう少し外に開けないの? なぜそこまで自分にも他人にも関心がないのかしら」
別に他人に関心がないわけではない。ただ、自分に巻き込まれる人間を減らすために、あるいは自分の決意が他人の言葉で揺らがないように、人とあまり関わらないようにしているのだ。
耳にタコができるほど聞き飽きたこの苦言に、ルゼは顔をしかめて言い返した。
「逆になぜシャーロット様は私を何者かに仕上げようとするのですか。このままでいいではないですか」
「苛つくからに決まっているでしょう。努力もせずありのままで好かれたいだなんて傲慢だわ」
それは、貴族令嬢として努力せざるを得なかったシャーロットの私怨ではないのか、と思うのである。しかしそれを言ったら逆ギレされるので口は閉ざしている。
ルゼは、無表情で見下ろしてくるシャーロットに眉根を寄せて言い返した。
「私は他人から好かれたいだなんて思っておりません」
「そうね。あなたは好かれずとも嫌われないようにしているのかしら。容貌も良くて能力も高いくせして、明らかに欠落している所をひけらかすことでバランスを取っているのよ。自分に不足があることに安住しているだけよ」
「……」
「直しなさいよ」
シャーロットの物言いは鋭く、それでいて直接的だ。怒っているような口ぶりだが、彼女は平常こうである。常に語調も選ぶ語彙も強い。
「……私は欠落している部分があることを自覚してはいますが、それを使って嫌われないようにしているわけではありません」
断じて、あえて嫌われているわけではない。しかし、ルゼの言い分はシャーロットには不服のようだ。
「明らかに誰かに切られた髪に、腕にも顔にも殴られた痣を作っておいて、元気そうに振る舞われたら同情しか湧かないわよ。あなたそれを分かってて、可哀想な人間だと伝わるように振る舞っているのではなくて?」
「他人が私をどう思うかなんて知ったことではないです。そもそも同情を引いて何が満たされるとも思えません」
「それならなぜ頑なに周りに溶け込もうとしないのかしら。しようと思えばいくらでも改善できるでしょう」
先程から堂々巡りの議論だ。ルゼは、いつにも増してルゼをこき下ろそうという強い意志を放っているシャーロットを半ば睨みつけるようにして言った。
「必要ないからだと言っているではありませんか」
「ではなぜ私に羨望の目を向けるのよ」
「……それは……」
かっと顔を赤くしたルゼに、シャーロットが呆れた視線を向けている。
「何でも持っていて誰からも好かれる私が羨ましいのでしょう。それでいて自分が万人に好かれる人間ではないと自覚しているから、姑息な手段しか取れないのだわ」
「分かっているなら放っておいていただけませんか」
「あら、あなたいつも自分を気にかけてくれる人が現れるのを待っているのではなくて?」
ルゼはシャーロットの冷たい視線から逃れるように顔を逸らすと、俯きがちになってもごもごと喋った。
「……努力しようにも、やり方が分からないのですが」
「私の真似をしなさい。私に許されていることはあなたにも許されてるわよ」
「えー……」
「ちょっと」
(めんどくさい……)
そもそも、シャーロットの持つ権利をルゼは持っていない。
「必要のない努力はしたくありません」
「必要のない努力なんてあなたが決めることではないわよ。あなたの良いところなんて記憶力ぐらいなんだからすぐ覚えられるでしょう」
「……他にもありますよ。私の良いところ……」
記憶力しか長所がないわけないだろう。忍耐力とか、継続的なところとか、色々あるはずだ。この人は本当に、ルゼの顔を除いた全ての要素が嫌いなのかもしれない。一方的な愛が逃れていく。
ルゼの言葉にシャーロットが驚いたような顔をしている。
「意外に自己評価が高いのね」
「含みを感じるのですが」
「だって、自分のこと嫌いなんだろうなと思う瞬間の方が多いんだもの」
「……え? そんなふうに思われてるんですか。やめてくださいよ気持ち悪いな」
「あなたずっと目が合わないし、思い詰めたような顔をしてる時があるじゃないの」
目が合わないのは目が見えていないからだと思う。なんとなく、目が見えないこともシャーロットには内緒にしている。
「思い詰めるような悩みはありませんよ」
「私では力になれないの?」
「活力はいただいてます」
「憎らしい子ね」
そうは言うものの、ルゼの頬を引っ張るシャーロットの手つきが優しかった。ルゼは、彼女への想いが一方通行でなければいいなと思うのである。
「……あ。エーベルト様の足音がしますよ」
「……え? 気持ち悪い……」
「何がですか!」
「犬なのかしら……」
犬より質が悪いが、人よりは敏感に気配を察知していると思う。
ルゼの予言通り、クラウスが客間に来たようだった。シャーロットの足元に座るルゼを見下ろしている。
「床に座るな」
「ほら、直したほうがいいわよ」
「うへえ……」
流石に恋人同士ともなると会話のテンポが良い。
よく伸びるルゼの両頬をシャーロットが摘んで伸ばしており、クラウスがその哀れな顔を一瞥している。
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