第22話 不審者の襲撃

 ルゼは今日も熱心に素振りに励んでいた。


 ルゼの通う学院には剣術の授業がある。そこで聞き出したことを、学院近くの森かエーベルト家別宅の庭の片隅で実践するのだ。この日課に意味があるのかはわからないが、兄に教わった動きを忘れないようにするという側面もあった。

 鍛錬と言うよりも、亡霊に縋っているだけだろう。

 イヤリングのおかげだろうか、以前よりも思うように動く四肢に感動した。騎士であった亡き兄の剣の使い方や動きも思い出しながら、一心不乱に剣を振り下ろす。


(……というか、私が皇太子殿下の婚約者って……)


 無心で練習しているつもりなのだが、定期的に集中力が途絶えてしまっていた。


(目的を思い出すんだ! 浮かれている場合では……)


 どうでもいいことは除かなければ生きていけない。

 そうして一人で剣を振り下ろしていたのだが、背後から、タン、と靴が土に触れる音がした。

 ルゼは瞬時に振り返ると剣を構え、前方を睨みつけて声を張り上げる。


「誰ですか!?」

「……」


 こんな夜更けに、敢えて足音だけを鳴らして気配を消して近づくような人物が、真人間とは思えない。現に、名を聞いているのに答えず歩み寄ってきている。

 前にも似たような状況が合ったような気がする。

 ルゼは剣を握る手を緩めると、確かめるように声を出した。


「……エーベルト様?」


 微かに息を呑んだ音がしたが、返事はない。


(ち、違う……)


 なんとなくそんな気がしたのだが違うようだ。本人であるのなら、名乗らない意味がわからない。

 それに、今回の相手は体内の魔力が揺らいでいた。クラウスならば、その辺にある無機物と同じく、体内の魔力が微動だにしていないはずなのである。こんな、ふしだらに魔力を垂れ流しているような破廉恥な人間ではないはずだ。


 ただ、コツ、コツ、とルゼに近づく足音だけが聞こえる。

 ルゼは短剣を投げようと、右手で長剣を持ったまま左手で太ももの短剣に手を伸ばしたのだが、寸前で手を止めた。


(……もし相手がこの家の関係者だったら、私はとんでもないことをしてしまうことになる……)


 これだけ敵意を向けているのに恐れず突っ込んできているというだけで、この家の人間のようにも思えないのだが、誰であれ殺すわけにはいかないのだ。

 ふう、と小さく深呼吸をすると両手で剣を握りしめ、気配のない相手と対峙する。


(来る……!)


 ルゼの右側から、首筋めがけてスッ、と剣が振り下ろされる音がした。


 一歩踏み込んで剣で受け止めたのだが、キン、と剣の触れる音がするだけであまりその衝撃が来ない。


「……?」

(殺す気はない……?)


 そうは思いながらもその剣を力強く押し返し、相手の手から剣を弾き飛ばそうと剣を横に振り抜いた。受け止められたのだろう、シャン、ともう一度甲高い音が鳴って二本の剣が触れ合ったようだ。

 そのまま数度剣を振るのだが、全て受け止められ、押し返される。


「ふむ」

(!! 近い!)


 相手がやっと一言声を発した。

 その声の聞こえる距離から、いつの間にか間合いを詰められていたようである。


 ルゼは後ろに跳んで相手から離れようとしたのだが、そうする前に剣を持つ右の手首を掴まれて背中側へと回されてしまった。


(……いつの間に背後に……)


 この状況であればルゼの首をはねるなんて一瞬で出来るはずなのに、なぜか相手は動く気配がない。ルゼがどうするかを見定めているようだった。


「……あの、ほんとに殿下じゃないんですか」


 殺す気もなく相手を観察するためだけに剣を振る人間なんて、一人しか思い浮かばない。エーベルトの屋敷が不審な人物の侵入を許すとも思えない。

 右手を後ろに回されたまま苛立ちを込めてそう尋ねるルゼの背後から、静かな涼しい声が聞こえる。


「どうでしょうか」

「殺しますよ」

「できるのなら」

「……」


 こんな、闇討ちのような真似をされて無駄に心拍数を上げてしまった。まず皇太子が危険な行為をしないでほしい。次にクラウスに剣を向けさせないでほしい。

 ルゼは、自分を舐めているその言葉と、易易と動きを封じてくる背後にいる男に無性に苛つき、クラウスの脇腹めがけて勢いよく左腕の肘で殴りにいった。しかし、それも止められてしまったようである。 

 両腕とも握られてしまえば成すすべもなく、離してもらおうにも力では敵わない。

 

「……何のおつもりですか」

「捕まる前に殺しにかかれ」

「そうしたつもりですが」


 ただ単にルゼが負けただけである。

 クラウスがルゼを解放すると同時に瞬時に距離を取り、弾かれた剣を拾って鞘に収めた。


「お前の反射速度なら、片手がとられた瞬間に短剣を使えば、相手の首くらい刎ねられたのではないか」

「……」


 なぜかルゼの剣の腕について講評されている。しかもどうやら、暗殺の手ほどきをしてくれるようだ。頼んでない。

 

「実力不足です」

「違うだろう」

「……」


 その反論に、ルゼはクラウスの視線から逃れるように目を伏せたまま静かに答えた。


「……相手が誰か分からなかったからです」

「お前を殺しに来たのかもしれない」

「殺気が感じられませんでした」

「殺気など隠したままでも殺せる」

「……でも」

「殺すのを恐れたんだろう」

「……でも、……」

(関係のない人は殺せない……)


 自分の目的に無関係な人であるなら、たとえ自分が殺されるのだとしても殺したくなかった。人を殺す覚悟ができていないと言われればそれまでなのだが、ルゼには復讐の対象以外を殺そうとは思えないのだ。

 しかし、ルゼの剣の目的を知らない人間に、それを言うわけにはいかないのである。

 

 ルゼが言い淀んで俯くと、クラウスが一言、ゆっくりと言い放った。


「向いていない」

「……え?」

「お前のその甘さは、復讐には向いていない」

「なっ……んのことですか」


 動揺を隠して誤魔化そうとしたのだが、笑顔が引きつってしまう。クラウスはルゼの動揺にも構わず、変わらず静かな声で言った。


「その剣で殺したい人間がいるんだろう」

「……何を仰っているのか……」

「それなのにお前はいつ自分が死んでも良いと思っている」

「……私は自分が生きることしか考えていませんが」

「本当に?」


 本人が言っているのだからそれが全てだ。生きるために每日動いている。


「……私の生き様など皇太子様には関係ないのではないですか」

「そうだな」

「……」


 皇太子様、と言うときのルゼは大体、天上人は自分とは関係のない煌びやかな世界で生きている人間だ、という意味を込めて馬鹿にしている。そして多分その侮蔑は本人にも伝わっているだろう。

 何しに来たのかわからないが、どうせ復讐などという非効率なことはやめろとでも言いたいのだろう。

 自分を見下ろす冷たい瞳から逃れるように、ななめ下を向いて言い放った。


「……私は、誰に何を言われようとも絶対に目的を果たします。変わる気はありません」

「自分を殺しにかかってきた人間を殺す覚悟を持て。それでは復讐を果たす前にお前が死ぬ」

「覚悟? そん、そんなもの……」


 兄が目の前で殺された日から償おうと決めている。しっかりそう言いたかったのだが、忘れようとしていた光景が脳裏によぎり、息が上手く吸えなくなってしまった。この惨めな姿を冷たい目で見下されたら耐えられない。


(呼吸……っ……、殺す覚悟って何……)

「……う……っ」

「!」

 

 ルゼが、はっ、はあっ、と呼吸を乱し、口に手を当てて崩折れると、クラウスが驚いた様子で隣にしゃがんだ。


「……ゆっくり息を吐け」

「……は……っ」

(やさしい……とか言うから、シャーロット様が傷ついている……)


 死ぬのかと思うほどに苦しいのに、かなりどうでもいいことが脳裏によぎった。家で微妙に嫌われているせいで、最近罵倒以外の言葉になら何でも喜べるような犬になりかけている。

 吸って、吐いて、とクラウスが囁くのに合わせて、ルゼも息を吸い、吐き出す。


 次第に呼吸が整ってきたように思われたが、微かな目眩がして倒れそうだった。倒れないようにクラウスの胸元を掴みながら顔を上げ、心配させないようににこりと微笑んだ。


「……すみません。いつもご迷惑を……」

「いや、俺が思慮に欠けていた」

「……あと、失礼なことを言って申し訳ございません。関係ないなどと……」

「今気にすることではない」

「……あの、聞きたいことがあるのですが……」


 ぎゅっとクラウスのシャツを握りながら息も絶え絶えにそう言っていると、呆れたような小さなため息が聞こえてきた。何故か背に手を回され、抱きかかえられている。


「うぇっ!?」

「落ち着け。外でするような話でもないだろう。俺の部屋なら誰にも聞かれない」

(へ、部屋!?)


 こんな夜に部屋などに行ったら、余計にシャーロットが可哀想だ。

 歩けますよお、というルゼの反抗も無視して、クラウスはすたすたと自室へ向かうのである。

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