第21話 戯れでしょうに

「あの、こういうことはみだりになさらない方がよろしいのではないでしょうか」

「こういうこと」

「いえ、だから、婚約者の方がいらっしゃるのに他の人に……」

「婚約者?」


 白を切るようである。


「シャーロット様ですよね。先日本人から教えていただきました」

「ああ……。なるほど」

(なるほど?)

「あの、お分かりになりましたら下ろしていただけませんか」


 ルゼが下りようとするたびにクラウスの手に力が入るため、ルゼは舌打ちをするとクラウスが笑っている。諦めて数刻クラウスの膝の上に鎮座した。


(……どういうおつもりで……)

「それで」

「はい?」


 沈黙して俯くルゼを暫く見下ろしていたクラウスだったが、静かに声を発した。ルゼも少し顔を上げて返事をする。


「それでお前はどう思ったんだ。俺に婚約者がいることについて」

「……ええ? 好色な方なのかな程度で……」

「ほんとに?」


 何を疑うことがあるんだ。本人が言っているのだからそれが全てだ。

 この人はきっと、甘い言葉を吐けば誰にでも好かれると思っているのだろうし、事実そうなのだろう。遊び相手なら他を当たって欲しい。


 顔を覗き込んでくる浮かれた男を睨みつけると、憎らしげな声を出した。


「……なんです? 大事にされた方が良いですよ。言っておきますけど、私には友人が彼女しかいないんです。こんな訳の分からない三角関係の渦中に無理やり入れられて、私が嫌われたらどうするんですか」

「その場合嫌われるのは俺ではないのか」

「いえあの人、私には辛辣なことしか言わないくせして、あなたのことはベタ褒めしていました。愛されていますよ」

「……俺が?」


 惚気かな。

 最近のシャーロットは、何故か頻繁にルゼに対してクラウスへの愛を吐いていた。顔が綺麗だ頭が良い私の婚約者は素敵だと囁いては、微妙に顔をしかめて話題をそらそうとするルゼに、満面の笑みを向けていた。


(とぼけて……)

「は? なんですか喧嘩中なんですか。私が恋のキューピッドにでもなりますから、女の人を手当たり次第に褒めそやすのをやめたほうがいいです」

「そんなことはしない」

「白々しいですよ。私もシャーロット様に謝りますから、殿下もシャーロット様に、あなただけを愛しているとちゃんと伝えて下さいませ」

「……俺が?」

「あなた以外に誰がいるんですか」

(何を笑ってるんだこの皇太子は……)


 シャーロットからあんなに熱く想われているというのに、誠意を持って応えようとしないこの男にルゼは若干苛ついていた。

 シャーロットに選ばれる人間がこんな不誠実な人間だなんて考えたくない。誰からも愛される人間は、一人から嫌われたところで大したダメージもないのだろう。ルゼには狭いの人間関係が自分の全てなのだ。


「政略的なものかもしれませんが、私には彼女の気持ちの方が大事です」

「あれは俺を認識していないと思うが……」

「ううう羨ましいんですよ!! ごちゃごちゃ言ってないで私を離してください! 私に粉をかけないでください!」


 ルゼは、皇太子殿下からの謎の求婚を受けた瞬間少しだけ考えてしまったことに、最近毎晩思い悩んでいた。シャーロットが恋人であることは先に知っていたのだから、瞬発的に断るべきだった。自分の隙でこんなに付け込まれている。

 ルゼはそう叫ぶと手を払い除けて膝から下り、椅子に座るクラウスを顰め面で見下ろした。急に怒り出したルゼにクラウスが多少驚いている。


「羨ましい?」

「私は会う人会う人嫌われていくんですよ! 折角私を憎からず思ってくれる方に出会えたのに、その人の一番は私ではないではないですか。挙げ句こんな不貞の真似事をさせられて……」

「仲が良いな」

「羨ましいですか」

「ああ」


 恋人とうまく行かない理由は、己の素行の悪さにあるのだろうに。

 ルゼはそっぽを向いて、クラウスを嘲笑した。


「はっ。天罰ですよ。言うほど私は彼女に好かれておりませんが」

「俺にも好かれたいと思わないか」

「……」

「ははは」

 

 蔑みの目を向けたというのに、愉快に笑う声しか聞こえない。


(……いやちょっと待って……)


 怒りを発露させていたルゼだったが、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯くと躊躇いがちに口を開いた。


「あの……思い違いだったらそう言って欲しいのですが……」

「うん」

「ふ……私を友人にしたいと言うことでしょうか」

「婚約者だと言ったはずだが」

「あーあ……」

「……」


 自分からしっかりと確認しにいってしまった。

 おそらくじっと見つめられているので、ルゼも顔を少し下げて椅子に座るクラウスと目を合わせるようにした。


「……本気ですか」

「ああ」

「私は結婚などしません」

「なぜ」

「私の生きる目的において必要ないからです」

「その目的もいつか終わるのだろう」

「私の目的が終わる類のものかどうかは知りませんが、その後の人生などありません」

「そうか」


 クラウスは興が削がれたのか、何も言うことなくルゼを眺めている。

 ルゼもその目から逃れるように顔を背けたのだが、内を覗くようなその視線に対する落ち着かない気持ちを隠すように、棘々した声を出した。


「……なんでしょうか」

「自由に生きろ。生は短い」

「あなたに言われるようなことではないです」

「それもそうだな。では、何かあったら俺を頼れ」

「私は一人で生きていきます。これ以上優しくしないでください」


 何が面白いのか、クラウスは少し驚いた顔を見せた後、小さく笑っているようだった。

 ルゼは、椅子に座るクラウスよりも頭が下になるように深く頭を下げると、はっきりと述べた。


「煮えきらない態度をとってしまって申し訳ございませんでした。皇太子様もお戯れは大概になさりますようお願いします」


 ルゼはクラウスの言葉に重ねてそう吐き捨てると部屋を出るのだった。


 * * *


 クラウスは部屋で一人、アデリナに言われた言葉を思い出していた。


『──ルゼちゃんは言わないだろうから私が教えてあげる。それと、魔女の生き残りは結構いるんだよ──』


 アデリナのにやついた笑みを思い出し、小さく舌打ちをする。

 そして、よく変わるルゼの表情を思い出し、小さく笑うのだった。

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