第20話 可食フィルム
どこに行くのかと思いきや、執務室だった。確か今日はクラウスも別邸にいたはずである。
「ちょっと待……」
ルゼの制止も虚しく、アデリナはノックという概念のないまま扉を開けていた。
「こんにちは! この前ぶりですね殿下!」
当然そこにはクラウスがいた。何か作業をしているようだったが、アデリナの声にぶわりと殺気が漏れ出てしまっている。
(怖!)
ルゼはアデリナの背に隠れて部屋に入ったのだが、クラウスからの鋭い視線に顔を背けた。
(う……すみません! この人と話したい気持ちが抑えきれなくて……!!)
好奇心は身を滅ぼすとはこのことだろうか。
アデリナは扉を閉めると楽しそうに言った。
「結論なんだけど、とりあえずそれは魔法具と同じなんだよ!」
「……ルゼ」
「言ってないです! 何も話してないんです、自然にばれていました!」
顔で言っていたのかもしれないが、そこは知ったことではない。ただ、ルゼが指輪の存在を隠している理由は罪人と勘違いされないためであるので、口は軽そうだが話し相手の居なさそうなアデリナにバレたところで問題はなさそうだ。それが分かっていて怒るのは、安易に人に弱みを見せるなと言いたいからだろう。
「私は多分その魔法を解けないけど、できることもあるんだよ」
アデリナはそう言いながら進むと、気味の悪い笑みを浮かべてクラウスに何か小さな紙切れを押しつけた。そして耳元で何かを囁いたようである。
(……あの紙きれ、何が書かれているのかしら……)
どうせルゼに関することであろうに、なぜ本人に秘密にするのか問いただしたい。
クラウスは顔をしかめて舌打ちをすると、離れろ、と言うようにアデリナの頭を押し返している。
「んふふ、楽しいねえ。掟があるからこれ以上は言えないんだけど。私は殿下ほど頭が良くないので探偵の真似事などできませんが、私なりの推理もあるんですよ」
(掟?)
「……なぜそれを俺に教えるんだ」
「え? 殿下が人間になれそうだからですよ。その手伝いを微力ながらさせていただけたらなと思いまして」
「は?」
(元から人間では……)
アデリナの物言いは全て嘘くさい。本心など一つも混じっていないような気がする。
アデリナはにやにや笑ってそう言うと振り返り、ルゼに整った笑顔を見せた。何がそんなに愉快なのかわからないが、あまり良い予感はしない。
(この方……良い人か悪い人か判別しがたいけど、善い人でないことは確かだわ……)
ルゼはそんなことをぼんやりと思いつつ、クラウスは何を見て何を聞いたのか考えていたのだが、アデリナが扉の近くに立つルゼの頭をぽんと撫でて部屋を出てしまった。
「あっ、私も……」
「仲直りしなさいね」
「え」
まさかルゼが一方的に避けていただけの状況を、喧嘩中だとでも思われているのだろうか。
アデリナなりの気遣いなのだろう、アデリナが退室したことで部屋にクラウスとルゼの二人きりになってしまい、その状況に思考が中断されてしまった。
(……今二人きりにしないでください!)
クラウスは紙切れを数秒眺めると、びりびりと細かくちぎって小さな火の魔法で消し炭にしていた。
ルゼはその隙に静かに帰ろうとしていたのだが、呼び止められてしまった。
「ルゼ、こちらへ来い」
「……はい」
ルゼとしては一刻も早くこの二人きりという状況から逃れたいのだが、皇太子様の言うことをあんまり無視するわけにはいかないのである。
「何を言われたのですか?」
そう言いながらクラウスの近くまで行くと、クラウスに腰を掴まれて彼の膝の上に着席してしまった。
「ちょっと……」
(なんで?)
「可食フィルムを持っているだろう」
「え……使いますか? たくさんありますよ」
(私が持ってて当然だとお思いなのかしら……)
ルゼの肩掛け鞄は万能だ。
中から数枚、大小それぞれのオブラートを取り出して机に置くと、クラウスはそこから2枚取った。
(……? 何に使うんだろ……。というかなぜ膝の上……)
「口を開けろ」
「……えっ、なぜですか」
「いいから」
「や、やだ……」
「何もしない」
「いや·····」
「早く」
「……う……」
(横暴……)
クラウスが何がしたいのか分からなかったのだが、とりあえず従うことにした。口を開けろなど、義父からも言われたことのない命令だ。
「んっ?」
何故か口の中に薄い可食フィルムを入れられた。しかも両耳をクラウスの手で覆われている。
「……何か言いました?」
「もういい」
「え? 何だったんですか?」
数秒でルゼの耳と口は解放され、クラウスはルゼの質問には答えてくれなさそうだった。
(……というか、もういいと仰る割には腰を捕まえられてるんだけど……)
なぜか膝の上に座らされたままである。
ルゼはジタジタと足を動かしては離されない腕に青筋を立て、俯いたまま声を出した。
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