第二章

第18話 猫のような人

 翌日、ルゼはシャーロットが内緒で飼っているという猫を無心で撫でていた。猫は灰色で金の瞳をしており、誰にでもよく懐く。


「ニャー」

「にゃーん」

「ミャアー」

「にゃあー」

「猫と話せるの?」


 鳴きながらすり寄ってくる猫の顎をなでていたルゼに、アデリナが背後から話しかけてきた。


「……アデリナ様。その節は大変お世話になりまして……」


 ルゼが立ち上がってアデリナにぺこりと頭を下げると、猫が、にゃーん、と一声鳴いてアデリナの三つ編みに飛びついた。ずるりとアデリナの髪が落ちている。  

 アデリナは実際の髪も目に刺さるような眩しい赤毛だが、短髪であるようだ。


「ああこら、返しなさいね」

「地毛ではないのですね」

「あれ、私の性別知ってたの? 君ほんとに反応がつまんないなあ」

「すみません。皇太子殿下から聞いてしまいました」


 アデリナは赤毛の三つ編みを被り直しながら、ちぇ、とつまらなそうに声を出している。三つ編みの重量が重いのか被りにくそうである。


「全然構わないよ、特に隠してないし。このかつらは自分の髪で作ったんだよ。年取ってからの禿げ隠しにさあ」

「……あの、これはただの興味なのですが、ご年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「ふふ、好奇心も過ぎたら身を滅ぼすよ」

(体験談かしら……)


 禿げを気にする年齢ではあるようだ。ルゼも最近頭頂部を蚊に噛まれ、齢16にしてもしかしたら禿げているのかしらと思ったところである。

 ルゼはいつになくぼんやりしていたのだが、アデリナが楽しそうな笑みを浮かべてルゼを眺めていることに気づき、はっと我に返った。


(いけない、エーベルト様があまり関わるなと仰っていたわ)


 そうは言っても、訝しんでいた相手にも屈託のない笑みを向けて寄ってきてくれる気ままなアデリナは、どこか猫のような雰囲気をもった人間であり、あまり警戒心がもたない。

 こほん、と小さく咳払いをするとアデリナを見据えた。


「それで、私に何かお話があるのではないですか」

「そうなんだけど、そう気負わないでよ。外でできない話はしないよ」


 アデリナはそう言うとしゃがみこみ、足にすがりつきながらしきりにひっくり返っている猫の腹を撫でている。

 ルゼも隣にしゃがみ込んで猫を眺めた。


「あの後、君にかけられた呪いはどんなものがあり得るのか考えたんだけど……」

「え! ありがとうございます!」

(優しい……!)


 隠し事ばかりのどうでもいい人間なんて捨て置いても良さそうなのに。

 笑って感謝を伝えると、アデリナは少し驚いた後に困ったような顔をした。


「……ん~……。私はそんなに信用してもらえるような人間じゃないよ。そんなにいい笑顔を向けられても困る。君はちょっと警戒心が薄いというか、お人好し過ぎるんじゃないのかな」

(……自分で言うのね……)


 アデリナはそう言うのだが、本当に悪い人というのは、自分への警戒を怠るなというような忠告はしないのではないだろうか。ルゼは暫く考えると、自分を案じてくれている人ににこりと笑いかけた。


「……でも多分、アデリナ様は気づいているのに言わないでくださっていますよね。それだけで十分です。信用できるかはともかく、頼りにできると判断した人のことは信じたいですし、その判断が間違っていたとしても後悔はありません」


 信じたい人間は自分で決めるものだ。信用できるかはともかく。


 言いながら、ルゼも猫の腹を撫でた。猫はルゼにそこまで気を許していないらしく、すぐに背を上にして抵抗する。


「……荷が重いよ」

「そのままでいいってことですよ」


 ルゼの言葉はアデリナにはあまり嬉しくないようで、はあ、と小さなため息が聞こえてくる。


「どこから話そうか……。とりあえずそれは、呪いの類いじゃなくて魔力吸収の鉱石が関係してるんでしょ?」

「は、はい。すごいですね、たったあれだけの会話で……」

「いや、私は逆算できるだけの情報を持っているというか……。ごめんね、君のお父さんに犯罪の片棒を担がせてしまって」

「いえ。私も好奇心に勝てませんでした」


 申し訳なさそうな顔をしていた割に、アデリナはルゼのその言葉に表情を一変させると、目を輝かせて立ち上がった。


「……だよね! そうだよね!! 私は間違ってないんだよ。皇帝がさあ、とにかく隠蔽したがるから本当に出来心で私の悪い手癖が」

「続けてください」


 急に立ち上がって熱く語り出したアデリナを、ルゼは冷ややかな目で制止した。猫もアデリナの挙動に驚いて逃げてしまった。


 皇帝が隠したがるということを知っているということは、アデリナは軟禁される前は本当に宮殿に勤めていたのかもしれない。かなり実力も才能もある魔導師であるようだ。

 アデリナはルゼの声に我に返ると静々としゃがみこみ、地面にぐるぐると指で渦巻きを描きながら話し出した。


「……えー、この国の東の方に、タバナの洞窟っていう、小さな洞窟があるんだよ」


 洞窟は、帝国の名所にもなっている。剥きでた岩肌に、微かな光を集めて輝くとりどりの鉱石が埋まっており、目を見張る美しさであるらしい。遠いので見に行ったことはない。


「そこでしか採れない鉱石を、色んな自然環境が適した空間で保管すれば、いつか別の鉱石に変成すると言われてたんだ。まあ、普通の石が普通の石に変化するんだったら私たち魔導師の出番なんてないんだけど」

「それが魔力吸収の鉱石だった、と」

「そう。この変成の条件は長く解明されてなかったんだけど、ちょうど十年前にモーリスがその作り方を見つけたんだ」

「……へえ」

(……意外と能力ある方なのかしら……)


 あんなに気持ち悪いのに。

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