第2話 敵意はないです

 こちらの弱点を悟らせないよう、不調がばれないようににっこりと笑ったつもりだったのだが、なぜか挑発的な笑みに挑発的な文言を添えてしまった。落ち着き払った微笑みを絶えず浮かべるものの、この無意識下の無作法に混乱が収まらない。


 ルゼはこの屋敷の住人ではないうえに、別段歓迎されて立ち入っているわけでもない。そのためこの場で全面的に悪いのはどう考えてもルゼの方なのだ。自分には何の権利もないことを弁えているつもりなのに、突然ぶつけられた理不尽な対応に対する怒りが多少表れてしまった。


(……殺される……)


 しかし、特に自己紹介をしたわけでも、間者でない証拠を提示したわけでもなかったのだが、疑いが晴れたのか男はゆっくりと剣を下ろしたようだった。

 肌の表面がピリピリと焼けるような、相手からの威圧感が薄れたような感じがする。


 ルゼも男から目を離さないまま、そろそろと短剣を下ろした。敵対する意志のないことを示すために、顔は下げずにしゃがむと短剣を床に置く。


(……この家の当主……? それにしては声が随分若い……。とりあえず帰……)

「わっ」


 男を警戒したまま一刻も早くこの場を去ろうとしたのだが、突然男に右手首を掴まれた。その唐突の事態に焦燥と混乱が身を襲う。


(·····か、帰るのも駄目なの……? まさか尋問され·····動きが速……指……この人誰……!)


 あまり頭は回らなかった。


 ルゼは相手を睨みつけると右手首を放してもらおうともがくのだが、その大きな手は全く動かない。抵抗もままならないまま、右手にはめてある手袋を取られてしまった。


(まずい!!)

「返し……っ」

「この指輪」

「!!」


 ルゼの右手の薬指には銀色の指輪がはめられており、ルゼはこの指輪を隠すために常に両手に白い手袋をしている。

 どういうわけかこの男は、ルゼの手袋の下に隠されていた指輪に関心があるようだ。


(……何で気づいたんだ·····? 見ただけで何か分かる人がいるとは到底思えないんだけど、この人は分かっているような気がする……)


 ルゼは目の前の男の妙な反応に息を呑むと、にこりと堅い微笑みを浮かべた。


「……指輪がどうかしまして?」

「……」

「うふ……」

「……」


 怪しむ気持ちも分かるけれど、今日の所はこれで納得してほしい。平静を装って笑うのだが、男の沈黙に誤魔化せているような気がしない。 

 しかも、良くないことは重なるものだ。抵抗するすべもなく、体調も限界に近い。


(それ以上聞くな! 早く放せ! アホ!)


 全身で訴えたのが功を奏したのか、右手首を掴んでいた力が弱められた。


(え……もっと詰問されるかと思ったんだけど……)


 想定に反して、相手は不審な人物に対する警戒心が弱いようだ。安堵と困惑が見え隠れしている情けない顔を、無言でじっと見下ろされているぐらいだ。


「……夜分遅いですし、後日改めてご挨拶いたします。……それでは」

(勝ちました、お兄様! 私は強いです!)


 ルゼは歓喜に満ちた心に反して、これ以上長々と話している体力的な余裕はなかった。ぺこりと軽く頭を下げるともう一度男を見つめ、敵意はないと示すように微笑んでおく。

 相手はこの家の者だろうし、後日素性をはっきりさせれば穏便に済まされるだろう。


(背中を見せて斬り殺されたりしないかしら……)


 そんなことを考えながら、多少の緊張を纏いつつ玄関に向かって歩き出した。


 つもりだったのだが、足から崩れるように倒れたようだった。前に進まない足、遠のいていく意識──


(ああ……。やっぱり今日は魔力を使いすぎたみたい。人様の屋敷で、しかも自分を殺すかもしれない人の前で無防備にも倒れるなんて……)

「──おい……」


 体に倒れた衝撃がなかった。もしかしたら、暗殺者がルゼを支えてくれたのかもしれない。

 薄らいでいく意識の端に、意外にもルゼの身を案じるような声が聞こえた。


(……優しい方なのかしら……)


 そこでルゼの意識は途絶えたのだった。

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