第12話 クラウスの例え話

 ルゼは、ここが皇太子の所有物だと知ってからも別邸に入り浸っていた。結構図太い精神をしている。

 本と剣の授業を求めて学院に入ったのだが、エーベルト家の別邸には専門書が学院の比でないくらいたくさんあるのだ。


(……お金持ちだ……)


 根本的にルゼはさもしい人間なのかもしれない。


 ルゼは集中すると時間の流れを忘れてしまうという悪癖があり、夕方になっても書庫に入り浸るルゼをクラウスが探しに来る事が多々あった。その度に自分の厚かましさを反省するのだが、悪癖は治りそうになかった。

 この日もまた迷惑をかけている。


「もう帰った方が良いのではないか」

「!! すみません!」


 積み上げられた本の前で何かを書きしたためるルゼの頭上から、クラウスの無機質な声が聞こえた。

 ばっと勢いよく頭を上げて見下ろしてくるクラウスを見ると、どういうわけかわしゃわしゃと頭を撫でられた。


「わっ」

「謝らなくていい。好きに使って良いと言ったはずだ」

「……ありがとうございます……」


 この人はなぜか突然ルゼの頭を撫で、髪をボサボサにすることがあるのだ。その間ルゼはどうしたらよいのか分からず固まっているのだが、なんだがむず痒い気持ちになる。

 

 クラウスはルゼの書いた図形を一瞥し、コツ、とその図形に人差し指を立てた。


「魔法解除の魔方陣でも作ろうとしているのか」

「……これだけお分かりになるのですか? す、すごい……」

(魔方陣のなりかけで分かるなんて……変わった方だわ……)


 包まずに言うと変人及び変態。

 魔方陣は基本的に古代語で書かれるのだが、重ねたり省いたりして洗練していくために、何か円の中に曲線や直線が交差している図形にしか見えないのである。

 ルゼは指輪にかけられた魔法を解除するための魔法を十年かけて調べているのだが、一向に手がかりは掴めなかった。クラウスもルゼの目的に気づいているのだろう、いくつか案を提案してくれる。


「お前の指輪は魔法具のようなものだろう。魔法を解除するのではなくて、指輪の方を壊せばいいのではないか」

「……私もそう考えたことはあるのですが、……」

(……どの方法もできそうにないのよね……)


 魔法具とは、魔方陣を刻み、魔力をこめた魔石を埋め込むことで、魔石に込められた魔力を動力源に稼働する道具のことである。魔法具を壊す方法には、動力源である魔力がなくなるか、経年劣化で自然に壊れるのを待つか、魔力を大量にこめて負荷をかけるか、の三つがあった。

 ルゼの指輪に刻まれた魔法陣は、ルゼ自身の体内の魔力を動力源に発動している。そのため動力源の魔力がなくなることは、ルゼが命を絶つことと同義なのだ。また、十年ルゼの体から魔力を吸っておきながら、今でも銀色に鈍く光る指輪が自然に壊れるまでに、どのくらいの年月を要するのか分からない。

 ルゼが生きた状態で指輪を外すには、三つ目の大量の魔力を込めることしかないのだが、十年ルゼの魔力を吸い続けてひび一つつかない指輪が壊れるまでに、どれほどの魔力を込めれば良いのか想像すらつかない。


 クラウスは口ごもるルゼを見て、他愛のないことのように言った。


「俺の魔力を渡そうか」

「それは駄目です」

「なぜ」


 即座に否定されると思っていなかったのか、不思議そうに尋ねられた。


「貴重な魔力を他人から奪うなんてできません。それにこれは私の問題です。他人にそこまでしてもらう義理はありません」


 クラウスの言う魔力を渡すというのは、クラウスの魔力をこめた装飾品を増やすということを言っているのだろう。

 確かに魔力増幅の魔法をかけた魔法具を装飾品として身につければ、僅かな増幅効果が塵も積もって、いつかはルゼの指輪も外れるのかもしれない。


 しかし、その選択肢はルゼの中には存在しなかった。クラウスにとっては魔力を渡すことなど造作もないことなのかもしれないが、彼の言い分などはどうでもいい。

 自分が助かるために他人を踏み台にするのはルゼの道理に反していたし、善意でルゼに魔力をあげようという者がいるのなら、その人はきっと指輪が壊れるまで魔力を譲渡するような、自分を顧みない者に違いないからだ。


 クラウスはきっと見てわかるよりも多くの魔力を持っているのだろうが、それでもルゼにはクラウスの提案は呑めなかった。


 クラウスはルゼの芯のある瞳を見つめ、静かに言った。


「お前のその優しさは身を滅ぼす」

「……ただの保身です。優しさなんてものではありません」

「……」


 誰かから奪えばその分業が返ってくるものだ。


 クラウスは何かを言いかけたようだったが、口を閉じてしばらく思案していた。諦めたのかと思ったが、再度ルゼの説得を試みるようである。


「例えば、人体を器だとして」

「……はあ」

(人間が皿……)


 何かよくわからない例え話が始まったが、説教ではないようなので黙って聞くことにする。


「健康体でいるには、器が満杯になるまで魔力を取り入れなければならない。お前のような魔力が多い人間は、生来この器が大きいと言える」

「はあ〜なるほど。クラウス様もそうなんですか?」 

「いや、俺は人並みだ」

「え」

(まさか私のせいでこの人死にかけてるのでは……)


 ルゼは今まで、クラウスの言動から彼は魔力が多いのだと思っていたのだが、そうではないらしい。それなのに、この人の魔力が込められたイヤリングを頂いてしまった。


 一気に焦りと罪悪感が湧き出して血の気が引いたのだが、クラウスはルゼが謝罪をする前に淡々と話を続けた。


「魔力の放出能力と吸収能力には個人差がある。俺は器の大きさは人並みだが、このどちらの能力も人より大分優れているおかげで、常に新鮮な魔力を取り入れることができる」


 その二つの能力の程度は、どうやったら自分で把握できるようになるのだろうか。


「……器の中身がすごい速度で入れ替わっていると言うことですよね」

「そうだ。だから、魔力を消費してもすぐに補充される」

「へえ〜。ただ魔力が多いよりも優れた機能ですねえ……」


 魔力が多くても、吸収能力が劣っていれば瞬間的に大きな魔法が放てるだけで、そのうち魔力が枯渇してしまう。しかしクラウスのように吸収能力が高いなら、魔法を放つほどに次から次へと魔力が生産されるのだろう。

 巧みな魔法は魔力量の多さが全てだと思っていたのだがその実、吸収能力と放出能力のバランスに依るのかもしれない。


 ルゼは感嘆の声を上げながらクラウスと視線を交わらせ、にこりと微笑んだ。


「だからと言って、殿下の魔力を頂くわけにはいきません」

「どうしても?」

「駄目です」

「駄目か」

「……だめです」

「ふ」

「……ふふ」

 

 意外に面白い人のような気がする。ルゼもクラウスにつられるようにして小さく笑う。


「話上手ですね。分かりやすいです」

「そうか」

「その例え話、私も使ってもよろしいでしょうか」

「そんなことに許可はいらない」


 窓から入り込む夕日が赤く染まっている。

 そろそろ帰らなければ折檻の時間になるなあ……などとぼんやり考えていると、クラウスが机に積まれた魔女の伝承が書かれた本を一瞥して言った。

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