第11話 潜む恋人

 ルゼは別邸に行くとベッドに座るシャーロットの膝の上へダイブし、嫌がるシャーロットに薬を飲ませながらおしゃべりをしていた。


「それでね、私今日から大手を振ってシャーロット様のお見舞いに行けるんです」

「良かったわね。……というかあの人、別邸にまで来てたのね」

(……あの人。どういう関係なんだろ)


 なんだか渋い顔をしている。

 ルゼはシャーロットとクラウスの関係が気にならないこともなかったのだが、わざわざ素性を隠して学院に通っているシャーロットの秘密を暴いてまでは知りたいと思わなかった。そもそもルゼが秘密を持っているのだし、問いただすのはフェアじゃない。それに、そこまで踏み込む勇気もない臆病者なのだ。


(というか、あそこはシャーロット様のお屋敷ではなくて、エーベルト家の別邸なのね)


 この前のエレノーラの発言で、ルゼはようやく自分が皇太子の別邸に足繁く通っていたことを知ったのだった。

 ルゼはこれまでシャーロットの部屋にだけ入室が許可されており、シャーロットのおつきの侍女からの鋭い視線の中、肩身の狭い思いをしながら薬を投与してきた。しかしこの前クラウス直々に入城許可が出たこともあって、騎士の方達や使用人にここぞとばかりに話しかけていた。



「侍女様~、今から小雨が降りそうなので大きな洗濯物は乾かないかもしれません。……え、そんなに信頼していただいて……。……そうですね、行き場がなくなったらそうします」


「庭師様~、顔色がお悪いようですが体調が優れないのですか? ふ、二日酔い……。薬ありますよ。……え、花壇の一角を使ってもよろしいのですか。ありがとうございます!」


「お医者様~、これ、シャーロット様に調合した薬のレシピです。薬草も添えておきます。えっ……い、いえ私は薬学のみ多少知識があるだけで医学はちっとも……すみません」


 

 疎まれていても諦めずに一方的に話しかける。めげない対話……いや会話が、ルゼは得意だった。そうして次第にルゼの笑顔に皆絆されるのであり、ルゼは着々と他人の屋敷内に居場所を広げつつあった。

 他人の屋敷に居着くのは常識的ではないことはルゼにも分かっていたのだが、ベルツ家にいたくないあまり、学院帰りにシャーロットと勉強会兼診療と称して長時間別邸に居座っているのだ。

 

「あなたそれ、天性のものね。才能よ」

「何の話です?」

「……自覚のない人たらしって最悪よね」


 シャーロットはそう謎の言葉を呟くと、楽しそうにルゼの頭を撫でた。ルゼはその手を払い除けて一年間何度も繰り返された会話をするのである。


「ちょっと、子供扱いしないでくださいっていつも言ってるではないですか」

「だってかわいいんだもの」

「やめてください!」


 今の自分の容貌がどうなっているのか、ルゼには知ることができない。でもエレノーラが髪を切ってくれているし、エレノーラの捨てていた服を着ているし、きっとほぼほぼエレノーラになれているだろう。誰しもに醜いと言わしめるルゼの顔が、憧れのシャーロットのお気に召したようで何よりだ。


「貴方の方が顔色悪いけど大丈夫? クマがすごいわ」

「元気ですよ。心配させてしまって申し訳ございません」


 心配させるような顔色をしているのはいただけない。化粧で隠したいのだが、鏡が見られないので白粉を塗りたくることすらできない。

 ルゼは、ベッドに座って毛布をかぶるシャーロットの膝の上に上体を委ね、しばしぼんやりしていたのだが、頭に伸ばされた手を掴んで尋ねた。


「殿下ってどんな方なんですか?」


 その質問に、シャーロットが苦渋の顔をする。


「貴方も?」

「何がです?」


 空になった薬瓶をシャーロットから受け取ると鞄に入れながら質問したのだが、返事はなかった。

 シャーロットはルゼの耳たぶについている淡い緑色のイヤリングに視線をやり、「私が先に見つけたのに癪だわ……」と呟いている。

 ルゼが聞いたのに、逆に聞き返されてしまった。


「貴方はどう思ったの?」

「一度お目見えしただけですけど」

「それだけで十分なんでしょう、あなた達」


 よく分からないがシャーロットが少し思っているような声色をしている。ルゼは話しているだけで相手を怒らせることがよくあるのだが、シャーロットは大体いつも不機嫌なので気にしない。

 ルゼは首だけ回してシャーロットの方へ顔を向けると、うーん、と少し唸り、躊躇いがちに答えた。


「剣さばき、歩き方、魔力の使い方、とか、どう考えても尋常じゃない努力をしてきた方ですよね。どういう風に生きてきたのか知りたいです。すごいですねえ」


 一言二言言葉をかわしただけである上に、目が見えないために第一印象もない。自分の理想と比較した評価しか語れなかった。

 ヘラヘラしながら知ったような顔をしてそう語るルゼに、シャーロットが顔をしかめている。


「最悪……」

「何が?」

「あの人の顔は?」


 あの人、という言い方が気になる。もし恋人同士であるのなら、その冷めた感じ、かなり素敵だ。切れ長の瞳に高身長、無口で眉目秀麗の二人、お似合いのように思える。


(ミステリアスな二人……)

「あーなんか、懺悔室……みたいなとこだったので、声しか聞いてないです。涼しい声してましたよ」

「……顔に騙されてたほうがマシ……」


 絶対に誰の賛同を得られない内容の呟きが、シャーロットの口から飛び出している。顔に心酔していたほうがマシな場面とは、例えば何があるのだろうか。

 ルゼは上体だけうつ伏せになりながら、喜びに満ちた声を出した。


「恋のお話ですか? シャーロット様顔に騙されてるんですか?」

「うるさいし鬱陶しいわ」


 心臓が痛い。

 

 ルゼがモソモソと気だるげに体を起こして、乱れた髪を適当にバサバサと整えていると、シャーロットがルゼの頰に柔らかく触れた。

 柔らかく撫でられたかと思いきや、何故かぎゅっと親指で押し込まれた。


「……痛いのですが」


 数日前に、学院のきれいな女子生徒に殴られてできた痣が、数日かけて青紫色に腫れ上がっていた。痛いと言っているのにシャーロットが何故か押し込むため、ルゼは潤んだ困惑の目を向けた。


「いた、痛いです」

「私ね、本当は見てたのよ。貴方が殿下と親しいって理由で学院の裏庭で殴られてるとこ。怖かったから助けなかったけど」

「……恥ずかしいです。忘れてください」

「嘘だけど」

「……」


 シャーロットはいつもよくわからない嘘をついては、ルゼが隠したがっていることを聞き出してくるのだ。そろそろ見分けられても良いだろうに、ルゼは毎回その巧みな罠に引っかかっていた。

 ムーッと涙目で睨みつけるルゼを、シャーロットが鼻で笑っている。


「私ね、あの人の婚約者なのよ」

「……凄い……」

「言っておいて。私に手を出せる人はいないのよ」

「……凄い……」


 さらっと、皇太子の婚約者がここにいた。

 驚嘆の声を漏らすルゼを、シャーロットが笑いを抑えて見ている。


 ✽ ✽ ✽


 クラウスは本邸の自室で一人、一枚の紙を眺めていた。そこには、『ルゼ・ベルツ、本名ルゼ・レンメル、十年前のレンメル公爵家惨殺事件の生き残り──』と記されている。


 当時クラウスはまだ九歳であったのだが、レンメル家とは面識があったこともあり、その衝撃は今でも記憶に新しい。

 この事件の情報は、その残虐性と生き残りがいることから一部の貴族間の間で留められた。ルゼは今まで一度も社交の場に出席していないこともあって、これまで身分を隠してこられたようだ。


 この事件には不可解な点がいくつかある。

 ハインツの妻エルダの死体だけ離れた海から上がったことと、レンメルの人だけではなく実行犯と思われる男らも数人、魔力を全て奪われた状態でその場で死んでいたことである。



 クラウスは報告書を乱雑に放ると、昨日の出来事を思い返した。

 ごめんなさい、ごめんなさい……と眠りながら泣くルゼを思い出し、小さくため息をつくのであった。

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