第10話 ただ修練すべし

 ルゼはその日から毎日、剣の鍛錬を欠かさなかった。かつて兄に教わった剣の扱い方を必死に思い出し、家を忍び出てはたまに開催される剣術の大会を見て参考にした。教わることのできる人がいないこと、相手がいないことが難点であった。意味のない訓練だったかもしれない。


(私がもっと、強ければ……っ)


 その一心で、ルゼは剣を振り続けた。

 いくら剣が達者であったとしても、六歳の少女だ。複数人の大男には太刀打ちできなかっただろう。しかし、兄が目の前で自分を守ったせいで死んだという自責の念が、ルゼを突き動かした。それに、動機不明の暗殺者に、唯一の生き残りであるルゼ自身が狙われる可能性も十分にある。


(今度は誰も、殺させない!)


 ルゼは剣の他にも、薬学、魔法学と、とにかく習得できる全ての知識を手に入れようと書庫に入り浸った。


(自分……そして他人の身を守る術は、多い方が良いに決まってる!)


 ベルツ家の書庫はわりかし大きい方であったし、幸運にもルゼは記憶力が良かった。一度読めば大体のことは忘れなかった。

 

 その驕りから、ルゼは当初、ここにある全ての本を暗記すれば良いだけだと思っていた。しかし、知識の習得とはそう容易なことではなかった。覚え、実践し、考え、また実践することで、やっと自分の物になるのである。

 薬学は、分からなければ薬草を探し、あるいは育てて、実際に薬を調合した。

 魔法は、指輪のせいか簡単なものしか発動させられなかったが、魔法の知識だけは蓄えた。


(目下の目標は、指輪を外すことね)


 そのために、まずは指輪に刻まれた魔法陣について調べることにした。

 魔方陣を構成する古代語を学び、魔法に関する書物は読み漁ったのだが、解決の糸口になりそうな情報は得られなかった。しかし、新たに分かったこともある。


 指輪に刻まれた魔方陣は固着の魔法、すなわち糊のような作用しかない低位の魔法のようであった。低位であるはずが、なぜか強力な効果を生み出しているようだ。ルゼがいくら引っ張っても、金具を使って捻じ曲げようにも外れなかったのである。


(……指切る……とか……)


 しかし、切られた指が目の前に残る光景とその痛みを想像して、それだけは試すことができなかった。


(視力も戻らないままなのよね……)


 あの日からずっと、ルゼの瞳は暗闇に揺らぐ魔力を映すだけだった。


 人間は体内に魔力を循環させており、その魔力をもとに臓器やあらゆる器官が活動している。いわば魔力は生命源であるのだが、ルゼは過度に魔力を吸収されているせいで、ほとんど目が見えなくなっていた。強い色ならぼんやりと見える程度である。


(……本当に、悪くなっているのは目だけなのかしら……)


 視力が低下した原因を知ってからというもの、いつもこの不安に苛まれた。目に見える指輪の弊害は視力の低下だけなのだが、臓器、特に心臓など、目に見えない部分に弊害が出ているのなら、ルゼには知りようも無い。


(目に見える弊害は、目が見えなくなること、なんてね)


 もしかしたら、余命幾ばくも無いのかもしれない。


(それでも、死を恐れて生きるなんてもったいないわ。私にはすべきことがたくさんあるのだし……)


 しかし、できるだけ早く指輪を外して事件の黒幕を暴き、復讐を果たしてやり遂げなければ、とルゼは焦らずにはいられないのであった。


 * * *


「あなたがルゼ? 醜い顔ね。前髪で隠しときなさい。ああ、髪も汚いわ。私が切ってあげるからそこに座りなさい」

「……」

(絶対に仲良くなれない……!)


 ベルツ家にはルゼより年齢が一つ上の娘と息子が一人ずついた。ルゼがエレノーラに挨拶に伺った日、エレノーラが初対面のルゼに言った言葉がそれだったのである。

 そしてルゼは紅梅色の長い髪を、令嬢にあるまじき短髪へと変えられた。エレノーラは今でも時々ルゼの髪を短く切りそろえてくれる。なんと調子の良いことに、ルゼは鏡が見えないので醜い自分を見ずに済んでいた。


 ゲオルクはエレノーラに比べると淡泊な反応で、ルゼの顔を見るとそっぽを向いて一言言い放った。


「……ブス!」

「……」

(……なんだこの人……)


 ルゼは湧き上がる怒りと当惑を押し殺して笑顔で接したのだが、ゲオルクはそう言い捨てるとどこかへ走り去ってしまった。

 あの時はルゼよりも少し背の低かったゲオルクも、今やルゼより頭一つ分背が高くなっており、かわいかった少年は嫌味な青年へと仕上がっていた。


 この頃のルゼはまだ、エレノーラやゲオルクと仲良くなろうと必死になっていたのだが、モーリスが頻繁に部屋に呼び出すようになってからは無駄な努力はしなくなった。


 * * *


 十五歳の春、ルゼはモーリスに頼み込んで学院への入学を許可してもらった。ベルツ家にある本と、訓練の真似事では限界を感じたのだ。第二の目的には寮に入ることであったのだが、それは許されなかった。


 学院には国随一の教師や剣の監督官が揃っている。女子生徒は剣の授業を受けられないのだが、人数が多いため男装して入り込むのは容易かった。ただルゼは筋力と体力が無かったため、勝手に受けている剣の授業が全ての授業の中で一番過酷なものだった。


(辛い方が、骨身になっている気がする!)


 ルゼはそうして時々訓練や学問そのものを楽しく感じてしまうときがあり、それに気づいたらすぐに自分を戒めた。楽しむために努力をしているのではない、と自分に言い聞かせるのだ。

 しかし困ったことに、どうしても楽しいと思ってしまう自分がいるのも事実だった。


 シャーロットと知り合ったのは、入学して割とすぐのことである。魔法学の授業で席が隣同士になり、シャーロットが第一声に、「あなたかわいいわ」と言い放ったのである。

 ルゼにはシャーロットの顔を見ることはできないのだが、きっと眉目秀麗でスレンダーな女王だ、と勝手に妄想していた。


 ルゼはシャーロットにルゼの事実を何一つ教えていないのだが、生来魔力の少ないシャーロットが、私たち似たもの同士ね、と声を弾ませて言うたびに胸が痛んだ。言っても良いものか、いつ言えば良いものかと悩んでいるうちに一年が過ぎてしまった。

 そんな葛藤を抱いた頃もあったが、シャーロットに薬を調合するようになってからは、騙してるのだとしても絶対に言わないようにしよう、と心に決めたのだった。



 ルゼは今年十六歳になり、家族が殺されてからちょうど十年の月日が流れた。しかし、ルゼの努力を裏切るように、指輪の解除も、事件の究明も、何一つ進展してはいないのである。

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