第6話 分かりあえないよ
ベルツ邸にたどり着いたのは、最後に家を出てから三日後の昼過ぎだった。
玄関の扉を開けると、いつから待っていたのか義姉のエレノーラが仁王立ちで腕を組んで待っている。顔を見たことはないがルゼの中では、少しつり目の貴族令嬢らしい美しい風貌のお姉さんだ。
(……案外この人は私のことが好きなのではないかしら……とか……)
それはルゼのただの願望なのだろう。
ルゼがそう感じるのも束の間、エレノーラはルゼの悪びれない態度に顔を顰めると、すぐさま高い声で怒りを露わにした。
「最近帰ってくるのが遅いのではなくて? あなたがどこで何をしていようとどうでもいいけれど、この家の名に泥を塗るようなことはしないでちょうだい」
「……申し訳ございません。友人のお屋敷にお邪魔しておりました」
(家の名? そんなものあったかな……)
ベルツ家は爵位は子爵であり、小さいながらに所領もある。ただ、不幸なことに領地経営の才を持つ者がいないため、赤字続きの家である。一番の不幸は領民なのだが。
ルゼは深々と頭を下げるのだが、謝っても黙ってもエレノーラを余計に怒らせてしまう。この人はルゼの言うこと為すこと全てが癇に障るらしい。
エレノーラはさらに声を荒げてルゼに怒りをぶつけた。
「知ってるわよそんなこと! あなた、毎日のようにエーベルト様のお屋敷に通ってるんですって!? 何を考えているのかしら、あなたが皇太子殿下の妃に選ばれるとでも思ってるの?」
「学院に通う友人と勉強をしているだけです」
今日までなぜ皇太子殿下のお屋敷だと気が付かなかったのか、ルゼが一番知りたい。
「黙りなさい! 毎日当てつけみたいに勉強して、馬鹿みたい。孤児のあなたには分からないのでしょうけど、私たち貴族の女に求められているものは美貌と社交性なのよ。賢くたって嫌われるだけよ」
(ボケでしょ…)
思っても言わない。いや言えない。
エレノーラは昔から、ルゼが勉強している姿を見ると嫌みを言ってきた。ルゼは学問だけが心のよりどころなのであり、納得できない道理で言いくるめられたくはないのだが、どうにも言い返せない。
しかし今日ばかりは、と毎度毎度ルゼは懲りずに顔を上げ、エレノーラをまっすぐ見据えて言い返そうと試みてしまう。
「私はそうは思いません。学ぶことは……」
「あら、親切に教えてあげてるのに口答えするつもりかしら。あなた、そうやって自分は正しいんだと思い込むことで現実から目を背けているだけなのではなくて? ああでも、顔も醜くて根暗なあなたは学問に縋るしかないのね、かわいそうに」
「……」
(そうかも)
エレノーラの怒りの修飾は美しい。彼女の前では皆間違いを犯している迷える子羊だ。
「何か言ったらどう!? あなたが売れ残ろうと惨めな人生を歩もうと勝手だけど。お父様にまで色目を使って、本当に気持ちが悪いわ。お父様も何を考えているのかしら。ああ、本当に早く消えてくれないかしら」
「……申し訳ございま」
「口を開かないで頂戴!」
「はい!」
(あっ……)
エレノーラはルゼの意見など求めていないようだ。言いたいことだけを言い捨てると、頭痛がする、と言って自室へと戻っていった。
一点訂正するとしたら、別にルゼと義父は普通に義理の親子関係を築いており、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、義父が度々ルゼのことを自室に呼び出すために、あらぬ噂が兄姉や使用人の中で広まっているのである。
ルゼには割とどうでも良いことではあるのだが、こうして訳の分からない理屈で時間を取られるのは面倒だった。しかし今更どう弁明したところで信じる者など誰もいないだろう。
二階にある自室へ引きこもろう、と階段を上るのだが、今度は義兄のゲオルクがニヤニヤしながら話しかけてきた。彼はルゼがエレノーラに理不尽に怒鳴られていると、なぜか嬉しそうにその一部始終を見届けるのである。
この家の者は暇な人ばかりに違いない。
「ははあ、またエレノーラ姉さんに怒鳴られちゃってかわいそうに。俺が慰めてやろうか」
「結構です」
「はは、そう怖い顔すんなよ。なあ、俺が話しかけたら笑えって言っただろ。すぐ忘れてんじゃねえよ」
(めんどくさい方だな……)
ゲオルクは相手が怖い顔をしていたら怯えてしまう小心の兎であり、常に相手に笑顔を強要している。笑ってもらえない理由、それはひとえに笑わせられる能力を有さないからである。しかしそれも言わないでおく。
ルゼはふわりと柔らかく微笑むと、ゲオルクに優しく声をかけた。
「それでは失礼致します」
「待て、また父様がお前のこと呼んでたぜ。早く行かないと怒られるんじゃないの?」
「……ありがとうございますう」
「なあ、お前いつも父様と部屋で何してんの?」
「お話ですよお」
エレノーラに比べると、ゲオルクの方が多少は話しやすいような気がしている。話しやすい、というか、ルゼが言い終わった後に話し出してくれるだけではある。
しかしこちらの場合ルゼ側に対話をする気がなく、ルゼは話を切り上げるとスタスタと自室まで歩いた。背後から、俺も混ぜてくれよお、とゲオルクの楽しそうな声が聞こえてきたが無視でいいだろう。無視、無視。
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