第5話 とっとと帰りたいよ

「くだらない。お前はシャーロットを利用して自分の存在意義を確認しているだけなんじゃないのか」


 ルゼの信義は、男には一笑に付すものであるようだ。


(なぜ不審者から説教されてるのかしら……)


 そうじゃない、と言いたいのだが、はっきりとそう言い切れるほど自分の中に潜む浅ましさを否定しきれない。

 ぐっと言葉を飲み込むと、返すべき言葉を探した。


 確かに、自分が役に立っていると思いたいがためにしている側面もあるのだ。しかしそれでも、シャーロットの力になりたいという気持ちは本物のような気がするのである。


「……例えそうだとしても、シャーロット様の力になりたいのは本当です」


 ルゼが男の瞳を見つめてそう言うと、男は呆れたように小さくため息をついて、どこか諭すような声で言った。


「あれがお前を友人だと言ったのは、お前を酷使したかったからじゃないだろう」

「……はい。ですが、目の前にあるできることは、私のすべきことです。シャーロット様の気持ちはどうでもいいことです」


 後半、しょもしょもと声が小さくなってしまった。ルゼにも相手の言い分は分かるのだが、目の前に自分にできることがあるのなら実行したいのである。ただその結果他人に迷惑をかけることはルゼの信義に反しており、今まさに自分に迷惑をかけられている人に対して言えることなど何もない。

 何も反論ができずに俯くルゼに、思いがけない言葉が降りかかった。


「あまり無理はしないように」

「……それはつまり、今後もお見舞いと称して投薬に伺うことを認めてくださる、と」

「お前は駄目だと言っても勝手に来そうだ」

「そんなことはない……です」


 ルゼは幼少の頃兄から、お前は頑固者だ、と言われることがあった。シャーロットも時折ルゼをそう評することがあるのだが、ルゼ自身は自分を頑固だと思ったことはこれまで一度ない。


 男は言い淀むルゼを冷たい視線で見下ろすと、胸元から小さな石を取り出した。


「ただし、このイヤリングをつけることが条件だ」

(……イヤリング?)


 手を差し出し、手のひらにイヤリングを乗せてもらった。何か魔法がかかっているようだが、複雑な魔法なのか、ただ魔力が込められていることしか分からない。でもおそらく監視の魔法か何かだろう。


(いつ作ったのだろうか……)


 最初からこの流れを見越して準備していたのだろうか。

 ルゼは両耳にイヤリングをつけると小さく頭を下げた。


「ありがとうございます。魔法がかけられているようですが、何の効果があるのですか?」

「体内にある魔力を増幅する。多少は楽になるはずだ」

(あれ? もっと複雑な魔法のような気がしたんだけど、教える気はないのかも)

「……え……監視ではなくですか? ありがとうございます」

「……」

(いや監視できる魔法だなこれは……)


 沈黙は是に違いない。監視されようがされまいが殺されないならどうでもいいのだが、とりあえずこの人は優しい人のようだ。


 確かに、視力回復には至らないものの、最低限の生命活動を維持する以上の魔力、すなわちルゼが普段から余分と称する程度の魔力が体の中に広がる感覚がある。多少、と言われたが、この状態であれば二日前に作った薬があと三つは作れそうだった。


 よく分からないが何か価値のありそうなものを、見知らぬ人間に平然と渡してくる眼前の男に、ルゼは紫がかった青い瞳を向けた。


「こんなに貴重な物をいただいてもよろしいのでしょうか……」

「たいした物ではない。魔力が大幅に増えるというわけではないから、倒れるまで魔力を使うな」

「善処します」

「……」

(お金持ちと見た!)


 よく知らない相手に易易と宝飾品を送る。これは相当な富裕層に違いない。

 ルゼは笑顔で返事をすると立ち上がり、今度こそ声のする方へ丁寧に深く一礼した。


「ありがとうございます。それと私、名乗り忘れていたのですが、ルゼ・ベルツと申します。シャーロット様と同じ学院に通っておりまして、本当にただの子爵の娘です。ご挨拶が遅れてしまって申し訳ございません」

(……でも多分もう調べられた後なんだろうな……)


 そうは思うものの、初対面の人には名乗るのが礼儀だ。しかも相手は、二日も滞在させてくれた上にわざわざイヤリングも作ってくれたのである。礼を欠くようなことはしたくなかった。


「そうか」

(……そうか? 名乗り返してくれよ)

「あの、差し支えなければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「……ああ……」

(……差し支えあるってことかしら。いや誰だよ……)


 自分の名前を言うだけなのに悩むことがあるのだろうか。関わりを持ちたくないと思われているのかもしれない。

 何も言ってもらえないせいで頭を上げるタイミングを逃したのだが、困っているのが伝わってしまったのか漸く名乗ってもらえた。


「……クラウス・エーベルトだ」

「エーベルト様。この度は…………ん!?」

(……クラウス・エーベルトって、この方、この国の皇太子じゃない!!)


 先程から微笑で誤魔化そうと努めていたルゼであったが、男の名に素直に驚いてしまった。


 クラウス・エーベルト。ここレムナリア国にいれば誰もが知っている名だ。ただしその理由は決して尊敬からなどではなく、恐怖からである。

 彼は齢19にして、その政治的手腕で国内外問わず名を馳せている一方、膨大な魔力と洗練された剣術で遠征先では敵の一個小隊を単身で壊滅させた、と誰もが恐れるエピソードを持っているのである。

 無数の噂の真偽は定かではないが、その表情筋の無さも相まって、皆口々に、あの皇太子は化け物だ、氷でできている、と恐れていた。


 その一方で、乱雑に跳ねた短い黒髪に深い青の瞳、高く細い鼻に薄い唇という端正な顔立ちを好んでクラウスに求婚する女性も少なくないらしい。


(一年程前に遠征に行ったと聞いてるけど、最近この国にお戻りになったのかしら……)


 ルゼはそんな方に刃を向けた上に、その部屋で二日も爆睡したのである。

 衝撃の事実にぼんやりとどうでもいいことを考えていたのだが、すぐに我に返ると焦って俯いた。平身低頭が似合う人間だと自負している。

 

(は、恥ずかしい……!! いや、先に剣を向けたのはあっちだから!!)

「……ふ……」

「!!」


 恥辱と混乱に溢れた心境が見透かされたのか、鼻で笑われてしまった。


(……いや嘲笑か……)


 一瞬その愉快そうな笑い声に驚いたのだが、にこりと整った笑みを浮かべるともう一度改めて挨拶をした。


「……皇太子殿下。この度は、本当にご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。何か私に咎がありましたら、どうか内密に処罰していただけませんか」

「分かった」

「……」

(……分かられた……)


 身勝手な申し出を受け入れられた。

 ルゼが下げた頭を上げないまま硬直していると、熱のこもらない冷たい声が飛んできた。

「シャーロットの入れる場所なら、この邸内のどこを利用しても構わない」

「……こんなに怪しい人間に、そこまで許してもよろしいのですか?」

「お前が本当に怪しい人間だとしても、この屋敷内の警備は万全だ。何もできないだろう」

「た、たしかに……。ありがとうございます」

(優しい……。裏があるかもなあ……)


 ふわ、と柔らかく笑えたような気がする。

 

 シャーロットの部屋の窓からは、広い中庭を忙しく動く使用人が見え、西の方には温室が、東の方には大きな書庫が見えた。シャーロットが窓から指さして教えてくれたのだが、彼女はどこまで入れるのだろうか。

 何にせよ、ベルツ家以外にも自分のいて良い場所ができたことが嬉しい。


 クラウスはルゼの笑顔に毒気を抜かれたのか、ふ、と小さく笑うとルゼを残して部屋を出ていってしまった。


 こんなに緊張したのは久々かもしれない。

 ルゼも、これでやっと解放された、と気の抜ける思いでベルツ家へ戻るのだった。

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