オークション③

「――っ、パーカー、どうした⁉」

 馬車が走り出してすぐのこと、アルゴは不意に飛び付いてきたパーカーに素っ頓狂な声を上げる。

『非・海后スキュラ・フェイカ』へ進化して以降、彼女は時々――特に任務を終えた直後に、このような行動を取るようになった。そして最近になってその頻度は増してきている。

「待て!待てパーカー。どうしたんだ⁉」

 装咬ミミックであった頃より理解出来る単語が増え、意思もお互い伝えやすくなった。しかしこの行動だけは未だ理解出来ないままだった。

 食事や睡眠の要求とは違う、胸に顔をうずめる、まるで甘えるような仕草。一度こうなると彼女は中々離れなくなる。

「パーカー、くれ!何が欲しいんだ⁉」

 荷台に乗った理由の一つは、保護した魔獣をなだめるためだ。使役している魔獣に身動きを封じられては、務めもろくに果たせない。最近訓練を始めた言葉を、アルゴはだめ元で、パーカーの頭を撫でながら掛けてみる。

――――

 やっと顔を上げた彼女は、しかしじっとアルゴを見詰めるばかりで、何かをするわけでもない。まるで「察せ」とばかりだ。

 愛くるしくはあるが、いつもこうでは参ってしまう。

「伝えてくれ、パーカー。何が欲しい?」

 その目を真っ直ぐに見詰め返し、アルゴはもう一度、今度は先よりもゆっくり、口を大きく動かして言葉を発する。

――

 すると僅かな間を空けて、パーカーは頭に乗っているアルゴの手を掴み、自身の頬まで持ってきた。ここを撫でろということだろうか、アルゴがそう思っている内に彼女は親指を唇に運んだ。

 親指で形の良い唇が僅かに歪む。

「……っ!」

 魔獣に対し性的興奮を催す者は、決して少なくない。寧ろヒトを誘惑するためにそのような姿を取っているのではとさえ考えられるほどに、ヒトの目から見た彼女たちは蠱惑的、官能的なヒトの体の一部を備えている。

 被せた布の隙間からじっとこちらを観察している人鳥ハーピー人魚マーメイドはその筆頭格だろう。

 ヒトよりも魔獣と交流することを好ましく思うアルゴにとって、自身の胸に湧き上がる背徳感という感情は、容認しがたいものがあった。

 親指が咥えられる。口内であっても非・海后の体温は低く、冷たいとさえ感じるほど。唇の隙間からヒトのものとは明らかに異なる黒い歯が覗き――

「――待、て。パーカー」

 そこでアルゴは我に返る。指を噛もうとしているのでは、そう思った。

 装咬の歯――嘴は頑丈な殻や骨を持つ魔獣も咀嚼、嚥下出来るよう、硬く鋭く発達している。加えて噛む力もかなり強い。非・海后のそんな装咬の嘴と同じものだ。淵を撫でるだけでも指が切れることもある。

「……」

 食べようとしている?それは違うと首を振ったのは感情の部分だけ。理性は冷静に観察を続けている。

 甘えるような行動が任務終了後に集中しているのは?――空腹で衝動が抑えられなくなっているから?――有り得る話だが

――だとして、ではなぜ首筋などの急所を狙わないのか?契約に抗えるだけの力があるのならば、本気で食べるつもりならば、自分はとうの昔に死んでいる筈だ。

 非・海后は食べた生物の因子を取り込み再現出来る。

 彼女達にとって食事は、ただの栄養摂取だけではない。パーカーの擬態能力がある日突然復活したことをアルゴは覚えている。――彼女の腕には輪型の切り傷があった。

 非・海后にとって食事は「能力の拡張」の意味も持つ。

「パーカー、俺の血が欲しいのか?」

 律義に待てのいいつけを守るパーカーは指を咥えたまま首を傾げてみせる。「分からない」の意思表示。分からないのはおそらく「血」という単語。

 アルゴは徐にナイフを取り出し、人差し指を浅く刺す。小さな痛みと共に指には血の粒が出来た。

――

 横一文字のパーカーの瞳が大きくなる。やはりか。アルゴは得心する。

「『血』『血液』――これが欲しいのか?」

 紅い滴を差しアルゴがそう尋ねると、パーカーは大きく頷いた。

「……」

 アルゴは口に手を当てる。非・海后の能力を鑑みれば、ヒトの因子を取り込むことでパーカーはヒトにまつわる何らかの能力を得ることになる。

 与えていいのか?ヒトなどという生物の特性を。

 それは彼女にとって幸せなことなのか?

 葛藤する。彼はヒトの醜さをよく知っている。

 或いは、この感情さえ彼女に伝わってしまうとしたら?パーカーがヒトに害を為す存在になってしまうとしたら

 それだけは避けなくてはならない。

「――あ!」

 表面張力が限界を迎え、滴が指から零れ落ちる。床に血だまりを作るより早く、パーカーがそれを掴む。

 制止するよりも早く、彼女はそれを舐め取ってしまった。

「パーカー!今すぐ吐き出せ、そんなもん!」

 堪らず肩を掴み声を荒げてしまうも、パーカーは既に血を嚥下してしまっていた。

「――……」

 アルゴの顔が悲嘆に歪む。パーカーはその表情の意味を理解しているのかいないのか、じっと彼の顔を見詰めた後、そっと彼の頭に手を伸ばしゆっくりと撫でた。

 彼女のその行動が、更にアルゴを困惑させる。

 優しさや思いやりのように見えるその行動は非・海后の習性か、それともヒトの因子を取り込んで獲得した感情か。

「ああ、ありがとう。パーカー」

「――――」

 絞り出したその一言にパーカーは動きを止める。瞳が小さく収縮する。そして彼女は

「……」

 まるで照れるように俯いた。紅潮は見られないが。

 アルゴは複雑な想いを抱えたまま彼女を見る。

 情緒が豊かになっただけ、と楽観視も出来ない。一方で彼女の一連の行動を愛おしくも思う。

 恒久的に摂取を続けない限り、一度取り込んだ因子は二、三日で効力を失う。

 これまでと、これからを今まで以上に注意して観察しなければならない。それだけは確かだった。

「パーカー。休んでいてくれ。また呼ぶから」

 パーカーが頷くのを確認して、アルゴは保護した魔獣たちに向き直った。

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