03 理性の神殿 Temple de la Raison

「ジョゼフ・フーシェ?」


 エベールは自邸で演出家のモモロと、来たるべき「理性の祭典」の打ち合わせをしている最中に、その名刺を見た。


「たしかジャコバン派の、山岳派。還俗僧で……」


 さすがに情報通らしく、エベールはその秀でた頭をとんとんと叩きながら、名刺の主の属性を思い出す。


「……ふむ。そういえば、このフーシェ、ニエーブルの教会から財産を没収していたな」


 それは「理性の祭典」開催のきっかけのひとつではあった。

 そこでエベールは、フーシェの訪問を受けることにした。


「危険ではないか」


 モモロは忠告した、シャルロット・コルデーの例もある、と。

 シャルロット・コルデー。

 この美貌の二十四歳は、ある日、何を思ったのか、北仏カーンからでて、パリにおもむき、山岳派の領袖りょうしゅうであるマラーを訪れた。

 持病の皮膚病の治療のため、浴槽に入っていたマラーを、コルデーはナイフの一突きでほふった。

 その場にいたマラーの支持者に捕まえられ、革命裁判所に連行され、ギロチン刑に処されたが、彼女が何を思ってマラーを殺したのか、未だにはっきりとしない。

 しかしその凄絶な所業から、暗殺の天使 l'ange de l'assassinatという二つ名と共に、歴史に名を残した。


「なるほどシャルロット・コルデーのような美女であれば油断もしよう」


 エベールは、マラーが美女を前にして鼻の下を伸ばしたせいで死んだと思っている。

 だがフーシェは貧相な小男だ。だから大丈夫だという冗談を言った。

 モモロはあいまいな表情を浮かべ、なら先に「理性の神殿」へ行っていると述べ、出ていった。

 出ていく途中で、フーシェとすれちがい、軽く会釈したモモロだったが、底冷えのする視線に、場を去って正解だったと、わけもなく思った。



「さて市民シトワイヤンフーシェ、君はいったい、何を求めて私に会いに来たのかね?」


 エベールはもったいぶって話しながら、それでいて頭の中で忙しく計算している。

 フーシェは何者か、いや、何者から命じられたのか。

 命じられた何かとは何だ。

 フーシェはロベスピエールの妹と交際しているらしい。

 もしや……。


「先の革命裁でのマリー・アントワネットに対する『証言』、について」


 直截ちょくせつの言葉に、エベールは息を呑んだ。

 ロベスピエールのねらいはそれか。

 法廷を侮辱したとでもして、このエベールの失脚を目論むか。

 だがそれにしても直截すぎる。

 もっとこう、同志然として付き合いを重ねてから、聞くべきではないのか。


市民シトワイヤンエベール、何か勘ぐっているようだが、これだけは言っておこう……私はロベスピエールの意図は知らん。ただ、君が宗教の否定にどこまで本気なのか、ということだ」


 フーシェは非キリスト教化運動に身を投じており、ついこの間も「墓地令」という命令を出して、共同墓地から十字架を排除している。

 そもそも、還俗したり、ニエーブルの教会から財産を没収したり(これが「理性の祭典」の引き金のひとつである)しているではないか。


「あのような稚拙なやり方で王妃マリー・アントワネットの処刑を求めていると、どうにも不安でね。このままでは、『理性の祭典』も、挙行ままならぬのではないか? ひいては、この国から宗教を撲滅するという崇高な使命が、果たされないのではないか」


「……ふん」


 どうやらこいつは狂信者のたぐいのようだ。

 それも、性質たちの悪い。

 このような輩にとって、やってみせる方法はひとつ。


市民シトワイヤンフーシェ」


「何だね」


「では私と共に、行ってみるかね? 『理性の神殿Temple de la Raison』へ……さすれば、わが理性と自由への忠誠は証明されるはずだ。今、モモロが先行して、『理性の祭典』の振り付けをしている最中だろう」


「…………」


 フーシェは返事こそしなかったが、実に興味深そうにエベールを見つめた。

 エベールはそれを肯定と受け取り、妻のフランソワーズに「出かける」と言って、フーシェを外へ誘った。

 その時フランソワーズが、自分も友人のリュシルと食事の約束があるというと、「行って来なさい」と背中越しに返事をした。


 ……こうしてエベール邸から、主人のエベールと妻のフランソワーズは出かけていった。

 メイドたちもひと時の休息に羽を伸ばし、厨房で菓子などつまみながら、おしゃべりに興じ出した。

 その喧噪の陰に。

 エベール邸の裏口から、そっと忍び入っていく、ひとつの陰があった。

 

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