03 理性の神殿 Temple de la Raison
「ジョゼフ・フーシェ?」
エベールは自邸で演出家のモモロと、来たるべき「理性の祭典」の打ち合わせをしている最中に、その名刺を見た。
「たしかジャコバン派の、山岳派。還俗僧で……」
さすがに情報通らしく、エベールはその秀でた頭をとんとんと叩きながら、名刺の主の属性を思い出す。
「……ふむ。そういえば、このフーシェ、ニエーブルの教会から財産を没収していたな」
それは「理性の祭典」開催のきっかけのひとつではあった。
そこでエベールは、フーシェの訪問を受けることにした。
「危険ではないか」
モモロは忠告した、シャルロット・コルデーの例もある、と。
シャルロット・コルデー。
この美貌の二十四歳は、ある日、何を思ったのか、北仏カーンから
持病の皮膚病の治療のため、浴槽に入っていたマラーを、コルデーはナイフの一突きで
その場にいたマラーの支持者に捕まえられ、革命裁判所に連行され、ギロチン刑に処されたが、彼女が何を思ってマラーを殺したのか、未だにはっきりとしない。
しかしその凄絶な所業から、
「なるほどシャルロット・コルデーのような美女であれば油断もしよう」
エベールは、マラーが美女を前にして鼻の下を伸ばしたせいで死んだと思っている。
だがフーシェは貧相な小男だ。だから大丈夫だという冗談を言った。
モモロはあいまいな表情を浮かべ、なら先に「理性の神殿」へ行っていると述べ、出ていった。
出ていく途中で、フーシェとすれちがい、軽く会釈したモモロだったが、底冷えのする視線に、場を去って正解だったと、わけもなく思った。
*
「さて
エベールはもったいぶって話しながら、それでいて頭の中で忙しく計算している。
フーシェは何者か、いや、何者から命じられたのか。
命じられた何かとは何だ。
フーシェはロベスピエールの妹と交際しているらしい。
もしや……。
「先の革命裁でのマリー・アントワネットに対する『証言』、について」
ロベスピエールのねらいはそれか。
法廷を侮辱したとでもして、このエベールの失脚を目論むか。
だがそれにしても直截すぎる。
もっとこう、同志然として付き合いを重ねてから、聞くべきではないのか。
「
フーシェは非キリスト教化運動に身を投じており、ついこの間も「墓地令」という命令を出して、共同墓地から十字架を排除している。
そもそも、還俗したり、ニエーブルの教会から財産を没収したり(これが「理性の祭典」の引き金のひとつである)しているではないか。
「あのような稚拙なやり方で
「……ふん」
どうやらこいつは狂信者のたぐいのようだ。
それも、
このような輩にとって、やってみせる方法はひとつ。
「
「何だね」
「では私と共に、行ってみるかね? 『
「…………」
フーシェは返事こそしなかったが、実に興味深そうにエベールを見つめた。
エベールはそれを肯定と受け取り、妻のフランソワーズに「出かける」と言って、フーシェを外へ誘った。
その時フランソワーズが、自分も友人のリュシルと食事の約束があるというと、「行って来なさい」と背中越しに返事をした。
……こうしてエベール邸から、主人のエベールと妻のフランソワーズは出かけていった。
メイドたちもひと時の休息に羽を伸ばし、厨房で菓子などつまみながら、おしゃべりに興じ出した。
その喧噪の陰に。
エベール邸の裏口から、そっと忍び入っていく、ひとつの陰があった。
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