応援コメント

04 最高存在の祭典 La fête de l'Être suprême」への応援コメント

  • 最高存在の祭典💦
    ロベスピエールもエベールと同じということになるのでしょうか

    この時は組んでいたフーシェからたった2ヶ月後に窮地に追い込まれるロベスピエール

    誰1人信用出来ないような時代だったのかなと思います

    作者からの返信

    最高存在の祭典……^^;
    ロベスピエールもエベールも、キリスト教による支配をやめたかったんだと思いますが、後世から見ると、似たようなことをしている、と思っちゃいます^^;
    ……まあ、エベールはみずから「宣伝」に使っているところが、余計に駄目ですが。

    今回のお話を書く時、フーシェがロベスピエールに「アカン」と思うラストが最初に浮かびました。
    おっしゃるとおり、誰一人信用できない時代でしたが、ロベスピエールはロベスピエールで、「離れていく」だけのことをしていた……という風に書きたかったのです^^;

    ありがとうございました。

  • 理性の祭典から最高存在の祭典、フーシェの立ち位置とロベスピエールの変容、の組み合わせの構成が秀逸でした。
    信仰からの解放の滑稽さはなんとなくしか知らないのですが、それをフーシェはどう見ていたのかな、といろいろと想像させられました。

    リヨンについて少し調べましたが、この期間のフーシェはちょっと異質ですね。この先御作で語られる機会はないかもしれませんが、もしか挑戦されることがあるならばぜひ拝見したいです。

    今回もとても充実したお話でした。ありがとうございました。

    作者からの返信

    「理性の祭典」を初めて知ったのは、フランスの史家ミシュレの著書なのですが、宗教からの脱却のはずが、新たな宗教を作っているという史実が凄くてびっくりした記憶があります。
    そして読み進めると「最高存在の祭典」とか出て来るし……フランス革命って何なの、と困惑しました^^;

    ロベスピエールは真面目に宗教脱却を狙っているのですが、それを周囲は――特に冷静な人たちはどう見ているかというと、やっぱり「?」だったのではないでしょうか。
    後世のわれわれのように。

    リヨンのフーシェは、さすがの彼も革命の熱狂からのがれられなかったのか、あるいは必要な措置として淡々とおこなっていたのか、難しいところです。
    反革命派に冷や水をぶっかけたかったのは確実でしょうけど……。

    そして、レビューありがとうございます。
    フランス革命の醜悪さ、まさにそれです!
    革命のダークサイド、汚職、醜聞……それらを一身に背負った男、エベール。
    この男の絶頂の象徴が「理性の祭典」で、そこから蹴落とすのがフーシェですが、そのフーシェすらも慄然とさせる「最高存在の法典」。
    この辺の連鎖反応がテーマなので、それをえぐり出す、素晴らしいレビューだと思います。

    ありがとうございました!

  •  うーん。人間って難しいですねぇ。

     宗教と理想と生活ですか。どの国でも苦労しますよねぇ。それにしても、この頃のフランスって血生臭いんですね。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    人間というのは、何かに縋っていないと生きられない生き物かもしれません。
    人類史上稀にみる市民革命&国王処刑で、当時のフランス国民も、興奮状態だったのかも。
    だから血なまぐさいんでしょう。

    ありがとうございました。

  • >人々の信仰心まで否定するつもりはない
    フーシェは、教会による支配や、信仰による制約は、打破したい。
    しかし、神は信じている。
    だから、代理品を発明したロベスピエールを、許せなかったのでしょうか。

    それとも、
    革命から第一帝政、王政復古と生き延びた人なので、
    政治情勢を見極めた上で、切り捨てただけなのか。

    どちらか一方、が正解ではなく、
    量子論のように、どちらもあり、なのかもしれない。
    そんな風に、あれこれ考えさせられる、一篇でした。

    フーシェの内面が垣間見えるような物語も、読んでみたいと思いました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    フーシェはその晩年、教会に通う日々を過ごしていたというので、信仰それ自体は否定していなかったと思います。
    おっしゃるとおり、革命以前のキリスト教会の支配や制約をやめさせたかったのでしょう。

    ロベスピエールを打破したのは、一般的にはフーシェ自身の生き残りのためと言われています。
    でも、最高存在の祭典を催すようなロベスピエールは「もう駄目だ」と思っていたのかもしれません。

    生き残り戦略か、信仰のあり方を守るためか。
    たしかにおっしゃるとおり、フーシェが何を思い、何を考えたのか、よくわかりません。
    フーシェはカメレオンという二つ名がありますが、まさにそのとおり、色が見えてきません。
    ……この辺を考えてみるのも、面白いかもしれません^^;

    ありがとうございました。

  • パリオリンピックもある中、タイムリーな内容でした。
    エベールの事は知りませんでしたが、こういう人、今の日本にむちゃくちゃいるじゃん!と思いました。
    理性の祭典とは、また最高存在の祭典とはどういうイメージなのか、さらに深く知りたくなりました。共産主義の社会でレーニンだの金日成だのといった個人が崇め奉られてるような感じなんでしょうか……。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    パリオリンピック、まったく見ていないので、ホントに意識していなかったんですが(笑)、言われてみると、たしかにタイムリーでした^^;

    エベールさんは、新聞興行主としては有能でしたが、感性というか品性が下劣でした。
    たぶん、いつの世もこんな人はいるんじゃないでしょうか。
    職場とかクラスのレベルでも、たまにいますし。

    理性の祭典、最高存在の祭典……「祭典」というかたちを採るというのがすでに矛盾しているって感じです。
    個人崇拝ではないんですが、崇める対象が理性ってどうなの、という感じで^^;
    最高存在は……逆に、それは神とどうちがうの、という感じです。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    あの当時のフランスが、『理性の祭典』とか、『最高存在の祭典』とか、ふーん……。などと、失礼なことを、つい思ってしまいますが、(未だにスポーツの祭典で、アレですし……)様々な背景を考えて、そしてこの素晴らしい小説を拝読すると、また少し、見方が変わりました。
    それにしても素晴らしいです!

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    フランスの史家、ジュール・ミシュレの「フランス革命史」にちゃんと書いてあるんですよね、これらの「祭典」。
    「フランス革命史」のその辺を読んだ時に、「えっ」と思ったものです。
    宗教の支配から脱するのを目指した革命が、新たなそれを……と^^;

    スポーツの祭典は全く見ていないのですが、フランスって、昔からそういうところがあったかもしれません。
    ギロチンも、よく考えたら見世物みたいなところがありますし……。

    ありがとうございました!

  • フーシェさん、自分ではなにもしていないところがまたおそろしい……。
    エベール氏はなるべくしてこうなったのかもしれませんが^^;

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    史実ではフーシェはエベールに対して何もしていないので(笑)、こんな感じになりました^^;
    デムーランがトドメを刺す流れも、史実なんで変えられないし。
    そんなわけで(どんなわけだ)、エベールはどうあがいても討たれる運命に……^^;

    ありがとうございました。


  • 編集済

     こんばんは、御作を読みました。
     エベールは情報を弄び私腹をこやす、悪しきマスコミの典型みたいなヴィランですね。二一世紀になっても後継者がフランスで暴れて、えらいことになってるぞorz
     ロベスピエールさんが(一応は友人枠かつ共犯者の)フーシェさんに討たれた理由が、キリスト教の「神」に代わる「最高存在」を発明しようとしたから。
     というのが、本作のフーシェさんだとえらくしっくりきました。
     積み重ねの妙だなあ。面白かったです。

    作者からの返信

    いわゆる新聞興行主の、悪い方の側面を一身に背負った男です、エベール。
    こういう人はホント、後を絶たないですね^^;

    ロベスピエールは真面目なんです。
    神を否定するには、最高存在を作ればいい、なんて考えてしまうぐらい^^;
    でもフーシェからすると、それは神の否定ではなくて、単なる衣替えをした宗教だからね、と言いたいわけです。
    まあフーシェ自身の保身もあるでしょうけど(笑)、このあたりの考え方ややり方のちがいが、テルミドールへとつながっていったんじゃないかと思ったのです^^;
    「しっくり」と言われて、嬉しかったです。

    ありがとうございました。

  • エベールが軍から巨利を得ていたというのは、全くもって許せません! 現場がどれだけ困窮し、将校らでさえも、給料どころか、満足に食べるものさえない中で戦っていたかと思うと……。

    カトリックの神に代わる存在として、Providence という言葉を使っていた将軍がいました。ナポレオンは民衆を操るには神を出すに如くはなしと言っていましたし、結局人は、何かを信じ、何かに支配されたがるものなのでしょうか。

    以前、フーシェがお好きだとおっしゃっていましたね。彼を主役に据えた続編を希望します! ご負担でなければ、どうか、是非。

    とても興味深く拝読しました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    エベールは本当に困ったちゃんで、軍に新聞を購読させるとか、どんだけだよと思います。
    きっと、あることないこと書いてやるぞと脅したんでしょう。あとは、軍の支配層との癒着があったんでしょうね、キックバックとか。
    ヴァンデとかトゥーロンとかに、現地取材で送ってやれば良かったのに。

    Providence 、摂理ですか。
    そんなことを言い出すとは、やはり信仰からのがれられなかったのか、それとお、あらたな神を方便として作ったんでしょうか……。
    ナポレオンも、自身が「神」のように崇められるように振る舞った観はありますね。
    でも、おっしゃるとおり、人というのは何かを信じるということを捨てられないのでしょう。
    それが善性によるものなのかは、誰にもわからないでしょうけど……。

    フーシェ、好きなんです。
    実は彼を主役にした話、何作か書いておりまして……「さよならを覆す最高の方法」と「背徳を浴びる鳥の歌」がそれです。
    そしてまた、機会があれば別で書いてみようと思います!

    ありがとうございました!

  • カトリックの支配が強かったがためにその否定をせざるを得なかったフランス。
    否定した後をどうするかで三者三様の考えがぶつかる。

    偏執的に宗教の支配を嫌う現在のフランスの始まりは、この革命だった。
    後に国外に住んで信仰の生活に入ったフーシェは何を思ったんでしょうね。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    カトリックの支配を脱しようとするばかりに、崇める対象を変えたり、新たな神を作ったり……迷走するフランスと、狂っていく革命家たちを描きたかったのです。

    フランスが宗教に対して一歩引いてしまうのは、おっしゃるとおり、このあたりに遠因があると思います。
    非キリスト教化に先鞭をつけたフーシェですが、最終的にはトリエステの僧院に通う日々を送ります。
    ……彼自身は、素朴な信仰心は否定せず、崇められる側の「やり過ぎ」をやめさせたかったんじゃないかな、と思います。
    ナポレオンがローマ教皇と和解するのを止めなかったし。

    ありがとうございました。

  • 完結お疲れさまでした。

    毎度というか、さらに磨きがかかった文章に、とても感服しております。
    フランス革命は、何度読んでも興味深いです。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    フランス革命となると、つい筆が走る側面もありますが(笑)、磨きがかかったと言われると、とても嬉しいです^^;

    ありがとうございました。

  • 拝読致しました。
    「祭」で踊らされた人々から「熱」が生み出されて。
    あまりの「熱」に浮かされた人々は「狂」に至る。
    そんな、フランスという国そのものが浮かれて熱に冒されて行く中で、渦中において自身の熱にうなされてゆくロベスピエールさんと、一歩引いた視点でそれでもなんとか排熱しようとしているかのようなフーシェさん。
    それぞれ、自身の志向する世界をめざして、手段を選ばずに「熱」に対して行く様の歴史上の映像を切り取って見ているようで、面白かったです!(^^)
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    「祭り」で沸騰する人々が生み出す「熱」。
    うまくすると、歴史を変えるエネルギーになるんでしょうけど、そううまくいくことはなく、人々はその熱に動かされていく。
    そういうのとは無縁、というか拒絶しそうなロベスピエールですが、彼自身の良心からか、あらたな「神」を創始してしまう……。
    この辺の恐ろしさというか虚しさというのを描きたかったのです。

    そして、そういうのとは、まさに距離を置いて接するフーシェ。
    彼自身も非キリスト教化を推進していたということもあって、ロベスピエールに対して危うさを感じてしまい……。
    ……こういう、テルミドールへと至るファクターもあったんじゃないかと思って書いてみました。
    「見ているよう」と言われて、嬉しかったです。

    ありがとうございました!

  • 前回の最後に意味ありげに登場したのがだれかと思ったら、デムーランでしたか。

    やっぱり、エベールは「自分だけはだいじょうぶ」という思いこみがありましたね。

    それはそうと、従来の宗教を否定して(否定しないこともあるけど)新しい信仰心の行き先を作ってしまい、それを利用して独裁権力を固める独裁者が20世紀には続出するわけで、そういうことを考えると、御作が描いている「理性の祭典」の意味は深いと感じます。
    「祭典」を創始したエベールは倒れても、その「熱」は百年以上も世界の各地で持続した、と。

    おもしろかったです。それに考えさせられました。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    長文にわたるレビュー、ありがとうございます。

    まず、「理性の祭典」」とは何ぞや、というところと、それをめぐる革命家たち――エベール、ロベスピエールのこと、そして拙作オリジナルのフーシェのかかわりを述べていただき、ありがたい限りです。
    西洋史の、それも知る人ぞ知る出来事なので^^;

    そしてまさに「革命」と「信仰」のことを押し出していただき、嬉しい限りです。
    王権神授説のとおり、信仰は支配の方便として使われてきており、人々を狂信に駆り立てていました。
    革命はまさにそれを覆したはずなのですが……革命自身がそれをおこなおうとする、という撞着――これを書きたかったのです。

    宗教と支配と革命というテーマは、真正面から述べる価値はありますが、これをやってしまうと、長編どころか大長編になります^^;
    ですので、おっしゃるとおり、フランス革命における人間模様の中で、「理性の祭典」についてを述べることにしました。
    というか、やはりフランス革命における「理性の祭典」という、特徴的な出来事を描きたかったのです^^;


    ここからは、コメントへの返信です。

    デムーランは、「ベルサイユのばら」のベルナール・シャトレのモデルとなった人物なので、出したいと思ってました。
    盗賊まがいの真似をしたのも、シャトレの影響です(たしか「ベルばら」でそんなことをしていたので^^;)。

    エベールは、おそらく革命後に権勢を得て、調子に乗ってしまい、それゆえに「だいじょうぶ」と思ってしまったのでしょう。
    そんなエベールが催した「理性の祭典」、そしてロベスピエールの「最高存在の祭典」ですが、おっしゃるとおり、信仰という問題に対して、崇める対象を変えてそれを利用することは、史上、まま見受けられます。
    このことについて、私が思い起こすのは「火の鳥 太陽篇」です。とある宗教国家を倒した革命家が、新たな宗教を……という筋立てです。
    さすが手塚先生は凄いなと思った記憶があり、そして今回の同題異話のお題を見て、こういう感じにしようと思ったのです。
    ……たしかに、考えさせられるテーマですね^^;

    こちらこそ、ありがとうございました。
    ありがとうございました。