タップ音

タップ音

　これは私が、十年以上前に体験したお話です。

　埼玉県にある大宮駅の近くに、大宮公園という大きな公園があります。

　現在の県営公園の中では、最も長い歴史をもつ公園なのだそう。

　散歩やランニングを楽しむ利用者も多く、桜の名所としても有名です。

　コロナ過でＮＧになる前は、お花見の季節に屋台も並び、昼も夜も花見客で賑わっていました。

　かくいう私も毎年、桜を見に赴いています。

　開花前までは、近所の桜で十分と思っているのです。

　混雑している場所へ出向いてまで、季節の風物詩を楽しもうとは思いません。

　ただ、桜だけは別物でした。

　開花予想などのニュースが流れ始めると、満開の桜を見上げたくなるものなのですよね。

　開花宣言直前の夜なら、まだ人出も少ないのではないか。

　そんな風に、思い立った年がありました。

　満開ではなくても、早咲きの桜が咲き始めているのではないかと。

　大宮に用事もあったので、ついでに歩いて行ってみる事にしたんです。

　とは言え、花冷えの季節の夜です。

　大宮駅から大宮公園までは少し距離があり、到着する頃にはお手洗いに行きたくなりました。

　大きな県営公園なので、夜でも明るい公衆トイレが何か所も設置されています。

　その内の一か所に立ち寄りました。

　カツカツ、カツカツ。カチカチカチ。

　私が女子トイレで用を足していると、床のタイルを鳴らすような細かく硬い音が聞こえてきました。

　排水関連の音なのか、なにかの機械音なのか。

　トイレに入った時は、聞こえていなかったのですけど。

　カツカツ、カチカチ、カッ、カッ、カツカツ……。

　リズミカルで、タップダンスでも踊っている音のように聞こえるのです。

　その公衆トイレは天井付近が吹き抜けになっていて、男子トイレの音が女子トイレにも聞こえてしまいます。

　そのため、響いている音の出どころが女子トイレなのか隣の男子トイレなのか、多目的トイレなのかもわかりません。

　個室に向かって耳を澄ませてみましたが、どうやら女子トイレではなさそうでした。

　カツカツカツ――カカカッ、カツン！

　いま、ポーズを決めたのかなと。

　数秒の間を開けて、また、カツカツ、カツカツ……。

　息遣いや衣擦れの音は聞こえなかったと思います。

　それでも、カツカツという音には強弱もあり、アップテンポで踊る姿がイメージされました。

　もし、本当に夜の公衆トイレで踊っている人が居るのなら、やっぱり不気味です。

　私が水洗トイレの水を流しているので、誰か居るなら気付かれてはいるはず。

　邪魔をしてもいけませんし、長居せず公衆トイレを後にしました。

　音の正体は、わからないままです。

　街灯があるものの辺りは暗く、トイレの外には人の気配もありませんでした。

　お花見テンションの私の耳に、機械音が踊っているように聞こえただけなのか。

　もしかしたら私と同じように、開花直前から花見気分を楽しんでいる人が居たのかも知れません。

　お酒でも飲んで、トイレで踊っていた人が本当に居たのかも。

　いま思えば、お花見という季節で良かったです。

　夜の公衆トイレで正体不明の異音が聞こえる……きっと、結構な恐怖体験になっていたでしょう。

　これが花冷えの夜、公衆トイレで体験したお話です。