幕間2 敗走後の典雷 甲夜

 暴力とは近道だ。

 それは、己の意見を聞いて貰う為の最も簡単な手段である。

 力さえあれば、誰だって俺の話に耳を傾けてくれる。

 痛みを与えれば、相手は賢くなってくれる。

 俺を理解してくれる。理解してくれようとする。


 気持ち悪いことがあった。

 鈴が鳴れば席に座る。せんせいの書いた文字をノートに複製していく機械みたいな動き。大きな空間に規則正しく並び置かれ、声を出すことを許さない状況に疑問すらもたない人形共。壇上に上がったちょび髭のおじさんが喋っている間は黙り、喋り終わったら拍手をするおじさんに都合のいいさくら。

 束縛の中にある自由は自由ではない。それが許されるのなら、少しの自由さえあれば監禁も許される筈だ。そもそも、あの場所も監禁場所と変わらない。終業のチャイムがなるまで、子供達は大きな箱の中に監禁されている。

 自分が周りと横並びになれなければ、不具合を疑われて修正の手が入る。それを拒否し続けると、もっと大きな存在が縛りつけようとしてくる。箱の中にいようと、そうでなかろうと、俺を縛る“縛り”は多い。


 そんな束縛を振り払う為に必要なものは、暴力しかなかった。

 力は自分の気持ちを相手に伝えてくれる。暴力をふるえば、俺のことを理解して貰えた。困った顔をした人達が、怒った顔をした人達が、みんなみんな笑顔になった。みんな俺のことを理解してくれる。

 そんな笑顔を従えるのは楽しかった。殴っても笑っている、そいつの物を奪っても笑っている。そんな幸せの世界。

 親ともそれで仲良くなった。間にあった確執もなくなった。

 糞溜めみたいな世界が明るく変わる瞬間が分かった。

 それがを好むようになったきざししだ。

 あの瞬間はいつ体験しても気持ちが良い。

 まるで自分が中心で世界が回っているかのような高揚感。

 欲しいものは全部手に入った。

 周りには、自分と同じような世間では不良品扱いをされる人間達が集まった。


「おかしいな。お前の理論なら、お前は俺のことを理解してくれるんだろ?」

 薄暗い部屋の中、朧気に見える男がそんなことを俺に言った。体中に刺し傷を付けられた赤い男。重症で動ける筈のない体で、その男は俺を威圧していた。


 ……。おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい。

 こんな記憶はしらない。こんな記憶は覚えていない。


 たしかに俺は一度敗北した。独房へ送り込まれた。

 でもそれは、型乃坂かたのさか 瑛己えいきによるもののはずだ。

 俺はあいつに喧嘩で負けて警察に捕まった。


 きっかけはそう、ちょっと可愛い女を摘まもうとしたら、それが奴の女だっただけの話。


 そんなきっかけで俺の世界は壊された。

 だからこそ俺はあの男を許さなかった。あの男を殺して、再び俺の世界を刻もうとしている。

 それなのに。それなのに、この記憶が示す事実は違う。

 腰を抜かした俺の前に立っているのは隠奇おき 咲夜さくやであり、そいつに恐怖を感じさせられている。本能で勝てないことを思い知らされている。だが俺はその状況を知っていた。型乃坂かたのさか 瑛己えいきとやり合う直前に、このやり取りはたしかに存在した。しかしこの直後、当時の俺は型乃坂瑛己と対峙していた。おかしな記憶だ。型乃坂瑛己が駆けつける前後の自分の言動が変だ。


 なんだコレ。なんだコレ。自分がおかしい。自分がおかしい。

 ぐるぐると頭の中が回転し始める。現実を理解出来なくて、目が回って。


「ぱんぱかぱーん!貴方は、特別な人間に選ばれました~!ぱちぱちぱち~。」

 渦の底に、もう一つ知らない記憶が存在していた。どういう訳か、俺の意識はその記憶に接続されると共に、ズキリと内臓が痛んだ。

 そこは、若き日の型乃坂瑛己に敗北したことによってブチ込まれることになった刑務所。そこに何故か存在した、薄暗い“緊急治療室”の中であった。

 天井からの明るい照明に目が慣れるのには暫くの時間が必要だった。自分がどうして手術台の上に貼り付けになっているのか。その経緯は全くもって覚えていない。

 部屋の中には、自分と胸のデカい中年女性しか存在しない。そんな部屋。

 女は上乳が多く見えるようにシャツを着用していた。本来は隠れるであろう胸を支える下着も一部見えてしまっていた。それに加えて、下はミニスカートと露出度の高い服を着ている。そんな格好なのにも関わらず、色気は全く感じなかった。

 女は上半身に申し訳なさ程度に白衣を着ている。それは彼女が医療に流通しているようなイメージを俺に与えた。ちょい役である筈のその白衣は、妙に彼女に似合って見えた。

 部屋の中には物騒な機材が沢山存在してあり、治療用器具には赤いが付いていた。


「ああ。ここには人のお腹を空けるようなこわ~い器具があるけれど、それはそんなに気にしないでいいからね。あれはもう、使った後だから。」

「え。」

 女の発した言葉の意味が分からなかった。朦朧な意識の中で女の顔を見ると、彼女は笑顔で俺の“内蔵”を掴む。


「ぐああああああああああああ!」

 痛みで悲鳴が漏れる。生々しいその感覚に頭が混乱した。

 おかしい。本来、内蔵それを守る為に存在する筈の外壁が機能していない。女は直接、体を開くこともせずにそれに触れて来た。


「あー、やっぱり気づいてなかった?でも意外だな~。女の子ならともかく、男の子はスースーする感覚には敏感なんだと思っていたのに。ほ~ら?男の子がスカートを履いた時にはよく言うでしょ?足がスースーして気が気じゃないって。」

 訳の分からない戯言を言った後、そのまま女は掴んでいた内臓を引き抜いた。

 女は体を開かなかったのではない。既に俺の体は開かれてしまっていたのだ。

「あ、これいらないからぽいっね。」

 視界に、びくびくと痙攣する引きちぎられた自分の内臓が落っこちる。

 それが、ばくばくと煩い自分の鼓動と共鳴している。

「――は。―――っ!!!!」

「あーあー。叫ばないで。大丈夫だから。ちょっと内臓を新しくするだけよー?あ、でもショック死したり、気絶したりしちゃわないようにはしているから。頑張って我慢だけはしてね?」

 そんなことを言いながら女は俺の体内をかき混ぜだ。

 当時の痛みが鮮明に思い出される。

 恍惚な笑みを浮かべながらわらう女。耳を破壊しそうなほど轟く自分自身の叫び声。

 そんな地獄のは長時間に渡って行われた。

 最後に蓋をして、まるで何もなかったかのように俺の体を整えた女はとても幸せそうにして笑っていた。俺はその表情にすら恐怖した。


「うん完璧。無心にならなかったその表情を見るに、心の強度も完璧だね!これなら完璧なになれるかも?よかったね!」

 苦痛に顔を歪め、彼女を恐怖する俺の顔を見て、女は何かを納得するように頷いた。

「分かるよ。私が怖いと思う感情は不要だよね。でもそれも安心して。貴方は、今日あったことはから。怖いことはな~んにもなかったっていうことになる訳。」

 人の体を弄くっておきならがら、女は上機嫌にこのことを忘れろという。そんな無茶なことは出来ない。こんな記憶、忘れられる訳が

「大丈夫大丈夫。明日から私とあなたはただの囚人患者と先生の関係に戻るから。君の変化はとても気になるところだしね!」

 女はそうして俺の前に手の平を翳すと、不思議そうに顔を歪ませた。


「んー?あれー?もしかして、もう弄られちゃってる?もしかして昔、陰陽師にでもお世話になった?あ!それで異物にも少しは耐性があったのかな?え、嘘ほんと!?私、一回だけでいいから耐性付けられた体を弄ってみたかったんだよね。ラッキー!」

 そうだ。たしか女はそんなことを言っていた。そして俺が忘れていたそれに近しい記憶。それは間違いなく、先程見た隠奇おき 咲夜さくやのそれだろう。その際、俺は何かしらの耐性を付けられてしまったようだ。そんなものがなければ、あの時苦痛に耐えられずに死ぬことが出来たかもしれないのに。


「さぁ。この森を楽しんでいけ。」

 つい先程、隠岐咲夜に再戦した出来事を思い出す。

 結果は好ましくなく、“雷のデモ悪魔”である自分を上回るほどの実力を見せ付けられた。その姿は、かつての自分が恐怖したナイフで滅多刺しにされた少年隠岐咲夜そのものだった。


 そういえば、あの後はどうなったのだろうか。

 たしか、携帯電話の中に“非通知”の電話番号から電話が掛かってきて。

 その電波を辿って俺はあの空間から逃げ出し


「ヤッホー!元気にしてた?典雷てんらい 甲夜こうやくん。」

 目が覚める瞬間、俺は聞き覚えのある嫌な声を聞いた。目が丸くなるのが分かった。顔を上げたくなかった。目の前の女を視認してしまうことが嫌で嫌でたまらなかった。

 体は動かない。あの日同様、何かに縛り付けられている。違うところがあるとすれば、今回は横たわっていないことくらい。手や足、体の感覚からして俺は今十字架に貼り付けにされていることが分かった。


「いやー。そろそろ危ないかなって思って連絡したんだけど、元気そうで何よりです!」

 陽気な声が耳を刺激する。嫌な記憶がフラッシュバックをして全身から冷や汗が溢れ出す。

「その感じ。私のことは思い出してくれているみたいだね。」

 女は少し声のトーンを落とす。

縫螺依ぬらい、先生。」

 俺はゆっくりと顔を上げる。そこには、あの日と変わらない中年の女がいた。あれからもう十年は経っている筈なのに、女には老けた様子など全くない。


 どうしてこの女がここにいるのか。あの刑務所は中部地方の山奥にあった筈だ。

「どうして私がここに?って顔だね。ほんとう、わっかりやすいよねぇ。君は。そういう素直な子は嫌いじゃないぞ。」

 茶目っ気を演出しているのだろうが、怖い物は怖い。ただ彼女が目の前に居るという事実があるだけでお腹が疼く。内臓が掻き乱される感覚を思い出して吐きそうになる。

「ここにいるのは偶々よ?知り合いに“上宮”っていうお金持ちの資本家がいてね。今はそこの専属医師として働いてるってわけ。ほ~ら~?私みたいな医者にしかれないものもあるし?」

 いいながら女は俺のを指でなぞった。そこは丁度、かつて体を開ける為に使われたで。

 当時の記憶がフラッシュバックし、俺は思わず胃の中にあったものを全て吐き出した。

「あはは。ばっちぃ。」

 女は俺の吐瀉物としゃぶつを頭から被ってしまわないようにさっと後ろに身を退いて笑う。


 嘔吐したからか、少しだけ思考がクリアになる。自分が“雷のデモ悪魔”ということを思いだし、その“強さ”を支えに恐怖が紛れ始めてくれる。そうだ。今の俺には“雷のデモ悪魔”としての力がある。こんな束縛、電撃で破壊してやれば。

 そう思ったが、俺を縛り付けるナニかは俺を解放することはなかった。

「あははー。無理無理。君じゃそれを破壊出来ないよ。そんなことが出来たら、私はこんなところにいないしね。だって、君を殺しちゃったらこの面白いが幕を降ろしちゃうでしょ?」

 女は邪悪な含み笑いを浮かべていた。喜劇?いったいそれは何のことを言っているのだろうか。

「私、この喜劇じけんの結末には興味があるの。でも君、弱すぎ。物語を彩る悪役としてはインパクトが無さ過ぎるわ。さしずめ、に殺されて終わりでしょうね。そんなつまらない結末、どうでもいいわ。」

 女の鋭い視線が俺を射貫く。しかし分からない。喜劇とはなんだ。女の意図する主人公とは、俺を殺す脇役とは誰だ。

 いや違う。疑問を持つべきところはそこではない。そんな枠に当てはめられたくはない。俺は。俺は悪役なんかじゃない。


「俺が。俺こそが主人公だ。」

「あら。やっと声が出たの?よかったわね。」

「世界を変える。この国を変える。圧政から民を解放する!どうだ!俺の方が主人公っぽいだろ!」

 いつだって俺はそうして来た。俺を悪者だと決めつけた奴らを蹴散らして、俺こそがヒーローだと分からせて来た。俺は悪い人なんかじゃないんだぞと。親でさえ、最後には俺の見方を変えてくれた。この女の認識も間違ったものだ。俺が、俺が正さなければ。

 俺の叫びを聞いて、女は少しだけ驚いた顔を見せてから直ぐに嬉しそうに表情それを歪めて笑みを浮かべる。

「そうね。でも今のままのあなたでは勝てないわ。それは身を持って体感したでしょ?それこそ、国家に手を出す前にモブ敵に殺されるわ。」

 モブ敵。主人公の俺が、国家ラスボスの前に立ちはだかろうとしているのに。国家転覆とはなんら関係のない障害が邪魔してくる。それが隠岐咲夜。

「次は負けない。あの森にさえ入らなければ、俺にはまだ勝機がある。」

「ないわ。そんなの。」

 女は断言する。俺は奴に勝てないと。

「でも安心して。行き詰まった主人公には必ず助け舟が用意される。」

「それが、お前だと?」

「Congratulations!正解よ。私があなたに、この難局を乗り越える為のプレゼントを渡してあげる。」

「プレゼント?」

「ええそうよ。主人公に渡される強化アイテムね。これであなたも邪魔なニンゲンと戦えるわ。」

 本当にそれが貰えるのなら嬉しいものだ。しかし、素直には喜べなかった。嫌な予感が俺を襲う。プレゼントってまさか、また俺の体をバラして。中に異物を混入させるつもりか。

 自分の表情が引きつるのが分かった。それを見てか、女は愉快そうな笑みを浮かべた。

「い、いやだ。」

 必死にこの束縛から逃れようと藻掻くが、どうすることも出来ない。

 一歩、また一歩と女は近づいてくる。

「いやだ!いやだいやだ!」

 頭が真っ白に染まっていく。徐々に女との距離が詰まっていく。

「あ、あ、あああ。アアあアアああアアあああアアアア゛!」

 直ぐ近くまで来た女が怖くて目を瞑る。せめて、視界だけでも楽なものに。


 しかし、いつまで経っても痛みは襲って来なかった。変わりに、ズボンの中に何かを入れられた。

「あ、え?」

 ゆっくりと目を開けると、意地悪な女の目が愉快そうに俺の顔を見上げていた。

「ひっ。」

「そんなに怯えないで。今回は手術なんてしないわ。」

 女は俺の腹を軽く叩いてから距離を取った。


「今回はコレ。“デモ悪魔”になる方が良心的だ。なんてケチを付けられたから作ってみた薬品ブツ。」

 いいながら女は一本の注射機を取り出す。おそらく俺のポケットにも同じものが入れられている。その注射機の針は嫌に太い。


「さあ、進化の時よ。主人公くん。」

 女は注射機を押し、少しだけ中にある液体を噴射させる。

「あ、でもコレ。ちょ〜っと強力なものだから、あなたの体がコレに耐えられるかどうかまでは保障出来ないわ。気合いで頑張ってね!それに、“デモ悪魔”と混じっちゃった子に使ったことはないから、変な副作用が出ても責めないでね?」

 女はニコニコとしながら、そんな怖いことを口にした。一度内蔵を掻き乱された経験がある以上、大丈夫だとは思いたい。

「ここで私が無理矢理注射することも考えたけど、それは辞めたわ。だから、実際に使うかどうかはあなたの自由にしていい。自由そっちの方が好みでしょ?」

 口ではそう言いながらも、どうせ使うと女の目が語っていた。


 女が帰った後、数分後には手足を縛っていたものが消えてなくなった。

 地面に降ろされた俺は、ズボンのポケットをまさぐって。


 女が残した薬品を射すかどうかを迷った後、ポケットの中に戻して小屋から出た。


 例え強い力が手に入ろうと、あの女だけは信じてはいけない。


 本能が、そう叫んでいた。

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隠岐咲夜とデモ悪魔事件(雷) 十六夜 つくし @menkouhugainotama

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