幕間 ■■■■■用メモ× 不安ノート 型乃坂 瑛己
甲太朗は署長室にある自分の机で頭を抱えていた。
瑛己を殺した“仁賁木継菜と雷のデモ悪魔”に関する事件と“氷のデモ”に関する事件には警察署から全く外に出られない状況のまま捜査を続けていた。しかし、その成果は思ったより出ない。
自分が現場に出られない以上、命の価値を無視した強引な捜査が出来ないのが原因かもしれない。一度警察隊率いる勢力が完全に負けてしまっている以上、無闇に部下達を危険な捜査に出向かせることは出来なかった。
「俺の命くらいなら、幾らでも捧げてやるのにな。」
溜息を付きながら机に広げた資料を見る。ここにある情報も全て使えなかった。そもそもあの事件に関する資料は、瑛己に突入に行かせる前に全て頭に入れていた。ここから読み取れる情報では、これ以上捜査を進められない。敵の本拠地である町外れにある配電所を調査したいが、流石に危険過ぎだ。行き詰まりを感じていた。
あの日以降の調査資料から得られる情報もあるものの、だからといってとても現状を改善出来るようなものはなかった。あるのはただ、咲夜と
甲太朗は現状、警察署からの外出が一切禁じられていた。知らない間に外で殺されていましたじゃ話にならなからだ。それに、そうなってしまえば敵の次の狙いですら読めなくなってしまう。
椅子の背もたれに深く体重を預ける。もう三週間は寝ていないはずなのに、眠気は全くなかった。それなのに目の下には一人前に隈が出来てしまうものだから困ったものだ。この隈のせいで、部下には変に心配されてしまう始末。幾ら大丈夫だといっても信じては貰えなかった。
無理にでも少し休むべきか。そんなことを考えた時だった。部屋の扉がコンコンとノックされる。
「いいぞ。入れ。」
「失礼します。」
中に入って来たのは、
その情報をいち早く掴み、仲間の死を悼んで一人で先走って捜査に出向いた費ヶ縫巡査。彼はそのまま消息を絶ってしまった。あの山で何かがあったようだ。彼を追って山に向かった部下もいたようだが、彼は山中で迷子になってしまったらしい。
警察がその場所を本格的に捜査出来たのはその翌日だった。本当は直ぐにでも捜査に乗り出したかったが、他の場所で“デモ悪魔”による無差別殺人が行われ、その対応で人材を裂かれてしまっていた。民間人に直接被害が出てしまっている以上、そちらの捜査の方が優先された。そしてその後、町の探偵が氷付けになっているという通報が入って……。
結果的に後回しになってしまった田米山捜査の報告では、激しい戦闘のあった跡地が残されている事実だけが判明した。そこに、費ヶ縫巡査の姿はなかった。戦場跡地となった悲惨な場所を映した写真にも目を通した。それを見て、憂鬱な気分になったことを覚えている。
どうして、
それと同時に“氷のデモ悪魔”が残したメッセージも思い出す。
“お前達4人を許さない”
このことから、仁賁木 継菜と“氷のデモ悪魔”には共犯の疑いが出ている。彼、彼女らは私と咲夜を狙っている。警察が分かる情報はそこまでだった。
「署長、何かお気づきになられたことはありますか。」
部屋に入って来た征壁は真剣な顔をして聞いてきてくれる。彼は二日おきくらいに甲太朗の部屋に来て捜査状況を確認してくれていた。甲太朗は捜査の気づきを彼に話すことで、また新たな気づきを得ることもあった為、その機会を大切にしていた。
「悪いが、これ以上の新しい発見はなさそうだ。」
「そう、ですか。」
征壁警部は少し悲しそうな顔をした。彼は目の前で部下を殺されているのだ。この事件に対する思いは他よりも強いだろう。
だからこそ、俺は彼の意志に応えなければならない。
「心配するな。この事件は我々で必ず解決しよう。」
「はい。」
征壁警部の力強い視線に応えるように目を合わせる。
甲太朗は静かなる闘志を燃やしていた。
*** *** ***
「失礼します。」
征壁警部がこの部屋を立ち去ってから数時間後のことだった。“雷のデモ悪魔”事件とは別の仕事をしていた甲太朗に、今度は
「海實警視。本日、殉職した型乃坂刑事の妹さまから、海實警視に届けて欲しいとこのような資料が手渡されました。」
そう言って
甲太朗は少し興味を持っていた。中に入った紙束の資料を取り出す。その資料のタイトルは「■■■■■用メモ× 不安ノート 型乃坂 瑛己」だった。くしゃくしゃにな紙束。そこに書かれている文字は鉛筆で書かれていて、そのせいか文字の一部が擦れて薄れていた。他にも汚れや破れで文字の一部が読めなくなってしまっている。この資料の保存状態はあまりよくなかったようだ。
資料の上に貼られてある小さな付箋には、可愛らしい字で「埋められていました。」「私は隠岐さんに会いに行って来ます。」と書かれていた。
瑛己の妹が咲夜に会いに行く理由は、資料を捲ると直ぐに分かった。この報告書に出てくる“黒い魔術師”が咲夜のことを指しているからだ。咲夜が魔術師だということは、一部の人間だけが知っている秘め事である。
「簡単に言えば宇宙人みたいなもんだ。悪いやつにバレるとばらされる。」
昔、咲夜から大雑把な説明を受けたことを甲太朗は思い出す。
「他人に俺という魔術師のことを伝えたければ“黒い魔術師”という呼称を使え。そしてその話題の中では一切、隠岐咲夜という名前を出すな。」
咲夜にはそう釘を刺されていた。だから、この資料には隠岐咲夜という名前は一切出て来ない。
その前提がなかった時、名前も素性も分からない“魔術師”なんて奇妙な存在を信じる人は少ないだろう。この調査報告書メモも完成版が提出されていたかもしれないが、ふざけた内容だと突き返された可能性は高い。実際、甲太朗でさえ咲夜の存在を知らなければ相手にはしなかっただろう。どうして自分に資料を提出しなかったのか。そう思った甲太朗は資料の制作された年月を見て納得する。それは六年前のものだったからだ。
〇月×日
工■用港の近くで、目■■■■■■■巨漢の男と遭遇■■。■■■■■太っており、腹の肉が■■膝あたりまで。顔■■が胸の辺りまで垂れ■■■■■■。男は■■■■■の裸のような格好で言葉■■■■■■出来ず、口からは■■■■の音を漏らし笑っていた。
心配■■■■■■■■。男は此方の言葉を聞いているのかいないのか分からない状態で暫く■■していた後、俺を襲った。男は■■であり、その姿には似つかわしくない俊敏性を見せた。■■■■■■■■■、黒の魔術師が姿を見せた。
(以下略)
見えない部分は多々あるが、その内容はざっくりと分かる。資料を自分なりに頭の中でまとめてみる。七年前、瑛己はある事件を個別に捜査していたようだ。それは警察に話しても信じて貰えない事件の数々であり、被害者の出ない、または被害者はいるが、被害者がいるという証拠を提示出来ないらしい奇妙な事件ばかりだった。例えば、“誰も覚えていない誰かが死んだ”とか。もしかすると、咲夜に何か口止めをされていたのかもしれない。
何故被害者の存在を提示し、事件性を付与することに出来なかったのか。その具体的な内容までは文字が霞んでいたり消えたりしている関係で上手くは読み取れなかった。
直接仕事仲間を頼れなかった瑛己は黒い魔術師を頼り、二人で幾つかの事件を解決していったらしい。しかし、その事件の真相に辿り着くことはなかった。捜査は途中で断念されている。警察を頼れない理由も、中盤あたりから変わっていそうだった。
事件の真相に近づいていくほど、瑛己の文体は荒れていった。明らかに精神をやられていた。真相に辿り着けなかったというより、途中で“黒い魔術師”に止められたようだった。その影響か、報告書の後半部分は事件のことよりも“黒い魔術師”に対する悪口が増えていた。いや、無理に“黒い魔術師”の悪口を書いているようだった。そう思うくらいに、“黒い魔術師”に対する悪口の角度が多彩であった。まるで他の人の悪口の主語を“黒い魔術師”に変えたような、そんな印象を受けた。
黒い魔術師を信じてはいけない。■■は頼れない。“黒い魔術師”が至るところに潜んでいる。“黒い魔術師”は一人ではない。“黒い魔術師”は裏切り者だった。どうして。誰も信じられない。“黒い魔術師”以外の人間を信用してはならない。どうして“黒い魔術師”は冷静でいられるのか。
要領の得ない文章を簡単に纏めてみると、そのようなことが書いてあった。黒い魔術師以外を信用してはならないのに、黒い魔術師を信じてはいけない。そんな矛盾を解消するには“黒い魔術師”という言葉が、咲夜以外の主語であるナニかの隠喩として使われている他ない。それが“咲夜”のやり方だ。
高校時代のあいつを思い出す。あいつは校内一の嫌われ者だった。自分にヘイトを向けることで、他のやつへのヘイトを抑えた。あの学校に誕生するはずだったほぼ全ての悪を代替し、引き受けていた。そんな歪な嫌われ者。生徒に嫌いな人間の名前を聞けば、真っ先にあいつの名前があがり、そしてそれ以外の名前は出ない。そんな生徒だった。
あの学校は、そんな日常を自然に許容してしまっていた。実際、俺達もその事実に気が付くのが遅かった。だからこそ、瑛己は嫌われ者のあいつを俺達の仲に入れて少しでも現状を改善させようとしていた。そのあいつが当時の咲夜のやり方に頼ってしまっている。その事実が、事の重要性を強調していた。それはきっと、俺達の仲でこそ伝わる事実だった。
悪口の書かれた
「安心しろ。お前はよくやった。後は俺が何とかする。」
おそらくは咲夜が書いたであろう一文が残されていた。それがいつどのタイミングで書かれたのかは分からない。
その一言の後の頁には“ごめんなさい”で覆い尽くされた
“黒い魔術師”に隠された主語。その中にはきっと警察のことであるであろう文章もあった。この組織に潜む“誰か”がいる。そしてそれはきっと、“デモ悪魔”だろう。仁賁木の件からもそう考えられる。
資料を読んだ上での推察しか出来ないが、きっと瑛己達が追っていたのは“デモ悪魔”事件の前兆となる事件の数々である。中盤から登場する“特殊な能力を持った犯罪者達”という言葉は明らかに“デモ悪魔”のことを表していた。最初の巨漢の男も、不完全な“デモ悪魔”とかなのかもしれない。
ただし、ここまでの推察を確定付けるだけの証拠はない。これだけで部下は動かせない。瑛己の書き方からして、恐らく五年前には潜んでいたであろう警察組織内部にいる裏切り者達も、彼らと“デモ悪魔”との繋がりも、全て曖昧なものでしかない。それに本人自身が鬱気味になっている。この資料の信憑性自体に怪しいものがある。
それに、ここまでを読んだところで、次に自分達がどう動くげきかが見えてくる訳でもなかった。
資料の最後には、明らかに最近書き加えられたであろう、瑛己の妹の字で新しい一言が追記されていた。
事件直後、海實警視の使いだと警察の方が何度も実家の家を訪れてお兄ちゃんの部屋を細かく捜査していました。その内、幾つかの荷物は重要証拠品として徴収されてしまいました。お兄ちゃん宅にも何度も警察の方がこられたようです。
そのメッセージを見て甲太朗は少しだけ気を引き締めた。警察組織内には、まだ裏切り者がいるかもしれない。甲太朗は、ここに書かれている指示を出していない。
「冬菜。」
「は、はい。何か分か」
「聞きたいことがある。あの事件以降、瑛己の家や実家にあるあいつの部屋を捜査し、重要証拠品を回収したりしたのか。」
「い、いえ。そんなことはしていません。海實警視とご一緒に訃報報告をしに伺ったくらいです。」
「……。そうか。」
こうなると署内にいる裏切り者を割り出して、逮捕、事情徴収をする必要がある。
そもそも瑛己の家を捜査する理由が分からない。あいつは既に亡くなっている。裏切り者である訳がない。署長に内密で瑛己の家を探る必要があるとすれば、それはきっと警察組織にバレると立場が悪くなるような、自分達に不都合な何かを握られてしまっている時くらいだけ。
瑛己の家を捜査し、何か証拠品を押収したという報告は受けていない。あの事件に関する全ての報告書には改めて目を通している。見逃すようなことがないように隅々までしっかりとだ。
甲太朗の名前を使って独断で動いている誰かがいる。直ぐに瑛己の妹に電話を掛けたが、当然のようにそれは繋がらなかった。瑛己の妹は、
まあいい。取り敢えず瑛己の家、実家を捜査した事実があるかどうかから調査を始めないといけない。そうして少しずつ、事実を証明していく為の証拠を集める。それがこの後の作業だ。
でもなるほどなと甲太朗は思う。
これは、俺達じゃないとはっきりとした意味までは読み取れない。
他の人が読めば、悪いのは“黒い魔術師”ではないかと疑ってしまうことだろう。そしてその黒い魔術師の正体は謎のまま。咲夜のことだ、自分が黒い魔術師だという決定的な証拠を残しはしないだろう。そもそも、分かっているのが“黒い魔術師”という存在がいることだけで、その姿の詳細は書かれていない。“黒い魔術師”を探るには情報が無さ過ぎる。加えて、この主語の置き換えられた“黒い魔術師”達のせいでノイズが多い。性格や行動理念でさえ絞り込むことが難しくなっている。
“黒い魔術師”を探り始めたところで捜査が止まるように作られている。
そうして警察が検討違いな捜査をしている内に、自分は本命の事件の中へと深く潜り込んでいくのだろう。
読み終えた資料を卓上に置き、両手で顔を覆いながら指の隙間から天井を見る。
あのばか。何が「面倒事に巻き込まれるのにはもうウンザリしている。」「わざわざ自分から面倒事に首を突っ込むかよ。」だ。五年前とはいえ、思いっきり首を突っ込んでいるじゃないか。
そう、葬儀での一幕を思い出した。
「何か、分かりましたか。」
冬菜が心配そうに甲太朗を見る。
「おそらく、警察組織にはまだ裏切り者が潜んでいる可能性があると書かれている。」
甲太朗はその疑念を口にしておく。冬菜にも疑わせておくことは、この先の彼女にとっても重要なことだと考えて。
「そうなのですか。」
冬菜は珍しく動揺をみせた。仁賁木がそうであった以上、その可能性はまだあった。あったが、ないと信じたかったのは甲太朗も同じであった。
「よろしければ、私も拝見しても?」
「ああ。」
甲太朗は冬菜に瑛己の残した資料を手渡す。安定ノートとは、心の安定ノートだったか。
冬菜はその中身を見て表情を強ばらせていた。当然だ。何故ならそこには、人が壊れている様が生々しく書かれているから。そして、不気味に登場する“黒い魔術師”という存在。冬菜は最後のメッセージを見たところで納得をする。
「そういうことですか。では、私は型乃坂刑事の家や実家へ捜査に向かった捜査官達を割り出します。」
「いや、そっちは俺がやっておく。君は咲夜のところへと向かってくれ。」
甲太朗自身が外に出られない以上、署内で出来ることをわざわざ彼女に頼む必要はない。
「隠岐さんのところへ、ですか。」
「ああ。今日こそはあいつを説得して来てくれ。いい加減我々の保護を受け入れろと。」
「どうして私がそれを?」
「俺が、君を信用しているからだ。」
「わ、分かりました。」
それを彼女がどう捉えたかは分からない。ただし、その反応を見る限り彼女が裏切り者である確率は低いだろうと思った。
「俺の親友を頼む。」
「はい。任せてください。」
*** *** ***
冬菜を見送った数時間後、甲太朗は署長室を出てエレベーターに乗った。瑛己の家、実家を訪れた捜査官をほぼ特定したからだ。それはパトカーの移動履歴等を確認してしまえばあっという間であった。事件後、何度か瑛己の家に訪れているパトカーを探せばいいだけだ。ドラレコも確認し、ある程度は誰がどこに向かったのかを確定させられた。
しかし彼らにも事情があるのかもしれない。まずは事情徴収をし、裏切り者だと確定すれば逮捕する。相手がデモ悪魔である以上、装備を調えていく必要はあったが疑われても不味いので最小限もものだけを身に付けている。
エレベーターの壁に背中を預ける。少し前から眠気に襲われていた。
クソ。流石に三週間は無茶したか。そんなことを思いながら片手で頭を抑える。
エレベーターが閉じる直前、焦った様子である警官も一緒に乗り込んで来た。
「間に合った。おや?海實警視。署長室を出るなんて珍しいですね。」
「そうか?そうでもないだろ。」
「いえいえ。ここ三週間、あの部屋から一歩も外出されていませんよ。」
「ああ。そうか。そうかもな。」
「何かありましたか。」
そんな会話をしながら、ふと疑問に思う。何故その警官は同じ階でエレベーターに乗って来たのか。あの階に、目の前にいる警官の所属する部署はない。大きな会議室の使用予定も聞いていない。ふらりと立ち寄るような場所でも無い。今の彼にとって、あの階にいる理由は何もない筈だった。
「……。眠気に襲われてな。仮眠室で睡眠でもしようと思って。」
「へぇ。でもおかしいですね。署長が押した階に、仮眠室はありませんよ?」
「あ?そうなのか。悪い、眠過ぎて間違えたようだ。仮眠室の階のボタンを押しておいてくれ。」
「……。いや、それは出来ませんねぇ。」
「なに?」
振り返った男は、とても人間とは思えない変形を遂げていた。
フフフ
この日、海實警視も敵の裏切り者であったと扱案の警察署から正式な発表があった。
警察署内での激しい戦闘の後、無事逮捕されたと地元紙号外にて報道がなされた。
咲夜の店のポストには、いつの間にか“あと一人”と書かれた紙が投函されていた。
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