A19自販機 ~売り切れる水に纏わるお話~

鈴ノ木 鈴ノ子

始終

 また売り切れのボタンランプが灯っている。

 周りに聞こえないようしてため息つく、無論、誰も聞いてなどいない。

 行き交う人は俺のことなど視界に止めることもなく、いや時より邪魔だと悪態をつかれることはあっても興味をひくような存在ではないからだ。

 中核都市のそれなりの駅に設置された飲料自動販売機、繁忙期には補充で駆けずり回るが今はそうでもない時期だ。夏の残り香の暑さと心地よさをどこかに忘れた秋風がひっそりと吹いている。自動販売機のルートセールスの仕事について3年が過ぎていた。大学卒業後の就職に見事に失敗した俺は1年で退職し、ちょうど求人雑誌に載っていたこの仕事に応募して水が馴染んだのだろう、うまく勤めることができている。体力勝負の仕事で休日出勤も多い、そのくせ給与は低い。でも、この仕事にやりがいと楽しさを見つけてしまえば、それはどうということはなかった。

 仕事で唯一の悩みといえば、目の前の管理番号A19自動販売機、こいつのペットボトルの水切れのサインだった。

 今の自動販売機は機内の在庫状況がリアルタイムで分かるようになっている、どの商品が売れているか、どこの商品が売れていないか、故障は?異常は?損壊されてないか?(コソ泥は割と多い)データ化され可視化された効率の良いシステムで何とか利益を出している。そんな管理システムの中でA19自販機は最重要自販機として本社でも有名で、それをルート内に持つ俺も名が知られていた。

 『災いのA19自販機』

 嘘ではない、この自販機があるペットボトル水の売り切れを起こすことによって恐ろしい災難が降りかかることはデータが証明してくれている。些細なことから会社の存亡の危機に至るまでA19の水が売り切れる度にことは起こる。そしてこっそりと会社が頼んだ霊媒師が「神の使いが何かをしている」という妄言とも真実ともとれる言葉で裏打ちをしてしまえば、それは定着し固定化された。

 その危機感たるやルート配送中であっても管理センターから緊急連絡メッセージで『A19 水補充、至急対応を願います、いつまでに対応可能か時間を入力してください』と到着時刻まで知らせろとの徹底ぶりだ。暇な時はないけれど比較的余裕のある時ならまだいい、だが、繁忙期の一分一秒を争っている時やポップ替えや真っ当からクソのようなクレームに至るまでを対応中にこのメールを見ると静かな怒りが沸いたりもした。だが、頼られているという嬉しさと、仕事だから真剣にと元来の生真面目な性格故に自販機の前に立てば気持ちは切り替わる。

 配送専用トラックであるボトルトラックの助手席「管理センター車載監視カメラに良く見える位置」に必ず補充用の水ケースは置かれて社長以下全員がカメラ映像を覗いては安堵する。一社員の行動が企業全体で管理されるなど聞いたことがない。社長以下重役からも心配のあまり直接電話が入ることもある、こっちの心労はお構いなしにだ。営業所では「特命社員」なんてあだ名がつけられるほどだ。

 至極真っ当で当たり前の意見として『撤去すればいい』と考え立つだろうが、前任者がそれを進言したところで急激に業績が悪化して会社が潰れかかったので禁句となっている。恐ろしいことにそれが引き金となったのか前任者は心筋梗塞であっけなく亡くなった。

 その水も決まりがある。『木曾水』という長野県の地方企業の出している水でなければならない決まりで、倉庫に常備されている補充在庫が切れた時などは営業所長が自ら運転して直に受け取りゆく徹底ぶりであった。

 自販機を開けて木曾水の500㎖ペットボトルを補充する。他の点検箇所もいつも通りに見回して異常がないことを確認して閉じる。業務スマホに補充完了の連絡を打ち込む、誰かの安堵する声が頭上で響いた気がした。

 仕事の帰りに連絡が入ったので営業所で箱を積んでそのまま駅へと帰りがけに寄る。空になった木曾水と書かれた段ボールを畳みながら駅地下で惣菜でも買って帰ろうと自販機を背にして足を踏み出したその時だ。

 ガシャンと重たいペットボトル飲料の落ちる音が背後から聞こえてきた。

 何気なく気になって振り向いてみると、スーツ姿の女が今先ほど補充したばかりの木曾水のペットボトルをかがんで取り出しているところだった。

「嘘だろ……」

 自販機内で設定温度まで冷却されない限りは販売されないはずなのに、補充したばかりの商品を彼女は手に持っている。

「なんですか?」

 此方に振り向き不機嫌そうな顔をして睨んでくる彼女に更に驚いた。

 美人って感覚が吹き飛ぶほどの上品に例えれば見目麗しいほど綺麗な女だった。数秒間、みっともない面構えを見せていたのだろう、不意にその不機嫌な顔が破顔してとても可愛らしい笑みを湛えて彼女が笑う。

「ああ、この自販機の補充の人ね、いつもありがとう。そうだ、お礼に明日のこの時間にここで待ち合わせしましょ、大丈夫、仕事は休みになるわ、じゃぁね」

 そう一方的に言って最後に思わず背筋が寒くなるほどに最高の笑顔で微笑んだ彼女が踵を返し足早に去っていった。俺は思考が追い付かない現象にただただ呆然と立ち尽くし、しばらく間抜けな面構えを曝して呆然と去った方を見つめていたのだった。

 

 翌朝、彼女の言った通りの結果となった。

 持ち帰っていた業務用のスマホが玄関を出る直前で着信を告げ、営業所長から「有休処理のため今日は休むように」と指示を受けた。

 あの美女の言った通りに一日の暇な時間ができた訳だ。

 自堕落に凄そうかと思ったが、なぜか思考は身綺麗にしなければならないと訴えかけてくる。普段とまったく違う行動をとり、部屋を綺麗に掃除することから始まり、近くの美容院で普段は安いカット屋ですませる髪を整え、背広と革靴、財布から小物類にいたるまでを方々廻って新しくし、車を愛車と呼べるまでの洗車と清掃を行う。やがて夕方近くになると身を清めるように洗い終え、身支度を整えると普段からは想像できないほどに自らも驚く変貌を遂げた姿となった。

 駅に車を止めて構内を歩くと数人の女性が振り返ってはこちらに何かしらの視線を向けられた。普段の差に驚きながらもA19自販機の前には歩いてゆくと、昨日の美女が周りの視線と敵意を一身に受けながら立っているのが見えた。

 手には木曾水のペットボトルを持って……。

「あら、それなりに素敵な男ね、見立ては間違ってなかったわ」

「普段こんな格好したこともないのだけどね、で……えっと」

小木曽 こまこおぎそ こまこよ、こまこでいいわ、西宮守さん」

「昨日が初対面だよね?会ったことあったけ?」

「昨日、制服できてたでしょ、名札をつり下げてたじゃない」

「ああ……、そうだ……」

「このお水を補充してくれるのは貴方よね。いつも本当にありがと。時より念が籠っていたこともあったけど、普段はとても澄んでいて美味しかったわ」

 手にした鞄からきっと今先ほど購入したのだろう、少し水滴を纏うペットボトルの水を取り出して嬉しそうに見せる。日頃感謝されることはないが自分の行っている仕事が誰かに喜ばれていることは嬉しかった。とくに苦労する仕事なら殊更にだ。

「そう言って貰えると嬉しいね、ありがとう」

 仕事で感謝されることなどほぼない、だからこそ、素直な気持ちでその言葉を受け入れることができた。

「ちょっと歩きましょ、そのまま食事でもどう?」

 概の男は堕ちるであろう輝く微笑みで誘われると単純な男としては頷く以外に答えようがなかった。


 駅裏、よほどの路地裏通でもない限り知り得ないであろうほどの路地裏の裏、そこに小さな喫茶店の看板が雨避け付の裸電球の光を湛えている。店の年季の入った重い木製の扉を潜ると昭和の香りを宿すソファーやカウンター、そして山小屋にある素朴なランプが天井でいくつも瞬くように灯る素敵な店内があった。

「マスター、いつもの頂戴、それとお客様です」

「アンタが客連れとは珍しいね」

 カウンターの奥で細面の気難しそうな40代くらいの女性が白い布でグラスを磨く手を止め、まるで値踏みでもするかのような視線で私を射抜いた。

「いらっしゃい、ゆっくりしておいきよ」

「お邪魔します……」

 視線に怖気づきながら彼女の後ろに付き従い、磨かれて黒光りするテーブル席に向かい合って座る。それを見計らったように透明な空のグラスを机に2つ置いたマスターがメニューも差し出すこともなく去っていく。

「ちょっと飲んでみない?」

 そう言いながら鞄から先ほどの木曾水のペットボトルを取り出した彼女は返事を聞く間もなく、キャップを開けてグラスへとその水を注ぐ。ランプに照らされて水の輝きが彼女と同じくらい美しく写る。口にした水は一度試しに飲んだ時ちは違い、森林の中に包まれているような清々しさを伴っていた。

「味が全く違う……」

「そりゃそうよ、ご神域で飲んでるんだもの」

 そう言って笑う彼女の笑顔はどこか寂しそうだった。

「ご神域って、神社とかの?」

「そうそう、若いのに良く知ってるわね。この店内の木材は木曾の山奥にあったご神木からすべて削り出されたものなの、ちなみにあのマスターがご神木のご祭神よ」

「どうも神でーす」

 視線の変わらないマスターがそう棒読みの口調で言って手を振っているのを呆然と見つめ、再び彼女に視線を向ければ椅子の上に円空佛のような狛犬が座していた。

「これが私、今日はね、日ごろのお礼を伝えようと思ったの。貴方が自販機で補充してくれる水、あれはね、もともとご神木があったあたりから汲み出されているの。山の神様の力がしっかりと宿るお水で山から離れればその力は消えてしまうのだけれど、あの自販機の下には龍脈が通じているから水の力が戻るのよね。だから私と神様は求めてしまうのよ。前任者は恨み節の念が多い水だったけれど、貴方は仕事に真摯で変な気を感じることはなかったわ。今日だって身綺麗にして来てくれたのも貴方の心が何かを感じ取ったからなんでしょうね」

 いつの間にか美女へと戻った彼女は心底嬉しそうにそう微笑んでくれる。伝えられた言葉が純粋であったためかその心地よくて染み入るような感謝が胸を突いた。

「真摯な人は大好きよ。そうだ、私からちょとしたサプライズをしてあげる」

 眩しい笑顔とその言葉を最後に意識が急に途絶えて、次に目を覚ました時にはいつもの自室の天井が見えていた。ただ、ハンガーに掛けられた背広と様々な小物類、そして洗面台の鏡の前に写る自らの髪型は確かにあの出来事が現実に起こったことだと物語っていた。

「ん?」

 洗面所の数か所にみたこともない女性物が多く置かれていることに気がつく。

 暫く見つめて何故あるのかと考えているとやがて同棲している彼女のこまこのものだと思い当たった。なぜ忘れていたのだろうと首を捻り再び自らの顔を鏡で眺める、特段変わったところはないと安堵していると不機嫌な声が洗面所に響いた。

「遅刻するよ?身支度したら朝ご飯食べちゃってね」

「ごめん、すぐに行く」

 洗面所を覗き込んで頬を膨らませたこまこは返事に頷いてキッチンへと戻っていった。美人で気立てよくもったいないくらいの彼女を忘れているとは情けないと頬を両手で叩き気を引き締める。

「さて、準備するか」

 洗面を済ませて髪型を整えていつものように朝ごはんを食べて仕事に行く準備を終えて玄関で靴を履いていると、スリッパの音を立てて小さな包みを持ったこまこがこちらへと走って来た。

「守、背広はクリーニングに出しておくからね」

「あっと……何に使ったけ?」

「昨日私の家に挨拶に行ったでしょ、忘れたの?」

「あ、ああ、そうだった。お願いします」

「しゃんとしてよね。はい、これお弁当。気を付けていってらっしゃい、サボらないようにね」

「サボらないよ。いってきます」

 優しいこまこの見送りを受けて玄関を出ると駐車場に輝く綺麗な愛車が見えていた。

 

 出社しあらかたの事前準備を終えて一息ついたところで管理センターからいつも通りの連絡が飛んできた。

 『A19 水補充、至急対応を願います、いつまでに対応可能か時間を入力してください』

 すぐに行かねばならないと09:30までに対応可能と入力するし大慌てでトラックに乗り込む。

 一呼吸おいてからエンジンをかけ四方の安全を確認したのち今日も1日頑張るぞと気を引き締めて助手席の水箱を軽く叩いてからしっかりとハンドルを握る。

 今日も1日が始まった。

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A19自販機 ~売り切れる水に纏わるお話~ 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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