解決編

  西日があたる生徒会室の中には、あの刑事の姿は無かった。諦めたのか、それとも──僅かな不安を感じたが、今この瞬間言えることもある。

 ようやく平穏が訪れた。

 莉乃はいつものようにデスクにかけて、お気に入りの筆記用具を並べる。右から左へ、順番に。ノートは真ん中に。

「会長? いらっしゃる? お邪魔してよろしいかしら?」

 開きかけたノートをいささか乱暴に閉じると、莉乃はそのまま立ち上がり──もはや見慣れた侵入者に向けて、冷たい視線を送った。

「……まだ何か」

「いえね。ちょっとお邪魔かとは思ったのだけど……実は夕陽さんについて新しい情報がわかったの。ぜひそれを報告しておきたくて」

「結構よ」

「結構?」

「刑事さん、いいのよもう。夕陽は死んだ。もう生き返らない。あなたがいくら真実とやらを掘り返して私になすりつけようとしても同じことよ」

「いやいやいや。違うのよお、会長さん。なすりつけようだなんてとんでもない」

 二人は自然と応接セットのソファへと腰掛けていた。それはどこか、莉乃に覚悟を要求する行為であった。この男が最後の勝負に出てきたのだ、と思わせる何かがあった。相手にせずにやり過ごす方が賢かったかもしれない。しかし僅かな不安が、莉乃をこのソファへ座らせた。

「なすりつけるもなにもないじゃない。だって──犯人、あなたでしょう?」

「……学生だと思ってナメてない? 刑事さん。警視庁にどう文句をつければいいのかくらいは私理解してるつもりよ」

「ん〜……まあ、それは全部聞いてもらってからということで。気にならない? 私がどんなことを見つけたのか」

 部活動で小説を書いている──たったそれだけでも、小説家だ。小説は単なる技術だけでは書けない。ありとあらゆるものに対する興味が呼び水になって、物語を作っていく。日本史の教科書に載っている機織り機は、縦の糸と横の糸を組み合わせて布を作るという。知識と技術を結びつけるのは、好奇心だ。莉乃はその『機織り機』を止めることができなかった。そんな中でも、彼に対して返事をしなかったのは、彼女なりの抵抗であったかもしれない。しかしつばめはそれを無言の肯定ととったようで、構わず話し始めた。

「でね、夕陽さんの新しい情報なんだけど。彼女がピアスを開けたって話聞いてる?」

 初耳だった。肩にかかるくらい髪は長かったし、いくら親友でもわざわざ耳なんて確認しない。夕陽も私に言わなかった。

「……いいえ」

「彼女のクラスでピアスを開けるのがちょっとしたブームになってたそうなのよ。夕陽さん、あまりあなた以外の友人はいなかったらしいけど、断るのはどうかと思ったのかしらね。お小遣いでピアッサーを買って、みんなで開けっこしたらしいのよ。ピアスもみんなで選んだやつを買ってね」

「……それで?」

 白いページに三点リーダを落とすみたいに、莉乃は話を促した。

「で、そのクラスのお友達が言うには、ステンレス製のピアスを付けたんだけど、夕陽さんには合わなかったそうなの」

「合わない?」

「そう。彼女ね、ステンレスアレルギーだったの。それもかなりキツイやつよ。ちょっと触れただけでも赤く腫れちゃったんですって。ましてやピアスなんかしたら、首辺りまで赤くなっちゃったらしくて。親御さんにはピアスを勝手に開けたことで怒られたくなくて、黙ってたそうよ。もちろん、あなたにもね」

 なにもかも初耳のことばかりだった。夕陽とは高校入学以降、長い時間を過ごしてきたつもりだった。それでも、彼女について知らないことは予想外にあり──いまここにおいてそれに足を引っ張られている。

「窓の外の懸垂幕ね。いわゆる地上近くのハンドルで巻き上げてストッパーをかけるものだった」

 つばめは右手のひらを見せるように広げ、窓の外を指した。

「最新のタイプだと、懸垂幕のストッパーを外しても、いわゆる上部の固定バーは地上にゆっくり降りてくるようになってる。でもこれはかなり古くて、ストッパーを外すと一気にハンドルが回って落ちてくるようになってるのよ」

「……話が見えてこないのだけど」

 嘘だ。膝の上の握り拳が、じわりと汗を帯びる。

「ピンとこないかしら?」

 そう言って、つばめはいたずらっぽく微笑んだ。自らの犬歯が空気に触れたような気がして、莉乃は静かに唇を覆う。これでは自白しているようなものだ。

「懸垂幕の固定バーはね、ステンレス製なのよ。……バーにはちょうど夕陽さんの首の太さくらいの凹みもあったわ」

「夕陽は、そのバーに当たって落ちたってこと? なんなら、わたしがそうさせたと」

「そういうこと」

「刑事さん……ちょっと飛躍しすぎじゃない? 昨日あなたが手を伸ばしたとおりよ。この生徒会室からどんなに手を伸ばしても懸垂幕は動かせないじゃない。ましてや一階のハンドルなんて触れるわけないわ」

 つばめは指で唇に触れながら、窓を一瞥し頷いた。彼はもう笑っていない。淡々と、流れに沿って事実のみを話している。

 この流れは恐らく、変えられない。そんな絶望と、心のなかで高速回転する思考が相反して、気持ちが悪かった。

「たしかに直接手を伸ばすつもりならそうね。でも私、窓のサッシに何かを擦り付けたような跡を見つけたの。もし、この部屋からストッパーを外すような仕掛けを作れたとしたら──あの日あなたが言っているとおり夕陽さんとあなたしかこの校舎にいなかったと認めている以上、事件解決ってことになるわ」

「刑事さん」

 まだ勝ち筋は残っている。吹き出しそうになるのを笑顔で押し留めながら、莉乃は身をソファに預けながら、足を組み直していた。むしろ、ここしかもう残っていないかもしれない。莉乃は自らの虚像で精一杯強がるキャラクターを構築し、流れを引き寄せようと試みる。

「刑事さん。だいぶ乱暴な推理ね。そりゃそうでしょう。そんな『仕掛けが見つかれば』ね。あるわけがないでしょ、そんなもの。はじめから存在しないものを探すっていうの?」

 つばめは机に指を静かに落とし、こつこつ叩いた。規則正しいリズムが、何故か莉乃の焦燥感を煽った。

「いやね、トリックはそんなに複雑じゃないの。ワイヤーか何かをストッパーに結びつけておいて、サッシに引っ掛けて引っ張ればいいだけ。タイミングを計ればそれで終わり」

「何かね」

「聞かれる前に言っちゃうけど、その何かももう分かってるのよね」

 つばめは立ち上がって壁面に設置された棚に近づくと、手を伸ばして『それ』を手に取った。

 彼が見せたのは、すっかりほこりが被ってしまったリースであった。

「これ、あなたが去年のクリスマスに向けて企画したんですってね?」

「……そうだけど」

「校内には、今も捨てられずに飾られたままのリースがいくつかあったんですってね。ところがあなた、夕陽さんが死んだ前日に、生徒会室以外のものを回収したんですって?」

「クリスマスは去年だもの」

「でしょうね。そういう『建前』で集めたということになる。使ったあと捨てても、目立たない。なるほどよく考えられてる」

「だから、何……」

「リースって、ワイヤーで葉っぱとかを巻き取って作るって聞いたわ。調べてみたら、用意されたワイヤーが高すぎて揉めたんですってね。高いだけあって、かなり丈夫なものだったみたいね?」

 莉乃は立て続けに示される『事実』に反撃する方法をひたすらに考えていた。完璧な計画だったはずだ。

 だが、そもそも反撃されることを考えていない計画に、どんな手立てがあるというのだろう。

 莉乃のプロットには、もうない場面だ。ここから先には、もう即興しかない。

「……そのワイヤーを使ってストッパーを外したって言いたいのね」

「誰が?」

「私がよ! 馬鹿にしてるの?」

「馬鹿にしてるなんてとんでもな〜い。わたし、そんなに意地悪じゃないもの。でもそういう推理が成り立つってだけ」

「なら証拠がないでしょ。私がやったっていう証拠! 夕陽と電話してたから、ワイヤーを私が用意したから!? 状況証拠だけでしょ!?」

「まあそれはそうなのよ。あなたにできるって事実と、あなたがやったと結論づけるのは全く別の話だわ。でも、ひとつだけあなたどう考えてもおかしなことを話していた」

「なんですって……」

「手袋よ。あなたが落とした手袋。あなた最初にどこで見つけたんだったかしら?」

 莉乃は思考を反芻する。焦りからか、うまく記憶が読み込まれない。消してしまった原稿データのように。

「あなたわたしに、『プランターの後ろにあって、校舎に手袋の指がかかってた』って言ったわ。この校舎、下から見上げないと分かりづらいんだけど──各階の間が構造上少し出っ張ってて、そこに合わせるように懸垂幕が設置されてる。この部屋から下を覗く分には、懸垂幕のフレームがあることもあって分かりづらいのよね。その証拠に、上からみるとプランターは建物の出っ張りに隠れて見えないのよ。まあつまり、上から落としても手袋がその下に入り込んで、プランターの後ろ──ましてや校舎に指がかかるなんてことはないわけ。仮にそういう落ち方をしたとすれば、その場で故意に落としたということになる。もっといえば、本当にここから落としたのならあなたも夕陽さんも簡単に手袋を見つけることができたはずだわ。陰に潜り込むことがない以上、よほど視力が悪くない限りは死角にならない見える位置に落ちるんだから。で、もう一度確認だけど。あなたが落とした手袋はどこにあったの?」

 絶句。そんな初歩的なミスを犯していただなんて、信じられなかった。入念に準備して立てたプロットは、はじめから大きな穴が空いてしまっていた──その事実は、所詮まだ十七歳の白島莉乃の心を折るのに十分すぎるものであった。

 自分の体に鉛が流し込まれたみたいに動けなくなって、そのまま口から敗北を認める文章が紡ぎ出されていた。

「夕陽が死んだのは事故なのよ。少なくともそう見えるように仕向けたはずなのに」

 つばめは立ち上がると、再び窓のそばに近づき、彼女へ背を見せた。それは罪を認めた彼女に対する、ほんの少しの優しさなのかもしれなかった。

「殺人なんて、そんなものよ。人生は一回しかないんだもの。ぶっつけ本番の計画が必ずうまくいくなんて保証、どこにあるっていうの?」

 長いため息が彼女の口元から漏れた。プロットは崩壊し、不意に並べていたシャーペンが机の上のノートから転がって行った。緻密だ、完璧だと思っているものほど、崩れていくのは早いのだ。

 莉乃の望んだ完璧な物語が、この手に降りてくることはない。そう考えると背中がソファに張り付いて、視線は天井に釘付けになっていた。

「ひとつだけわからないことがあったの」

「……答えたくないわ」

「まあそう言わずに。実はね、あなたが夕陽さんを殺めた動機がどうしてもわからなかったの。あなたと夕陽さんは誰がどう見ても最高の親友だった。いつも一緒だった──少なくとも夕陽さんは、周りの人にいつもそう言っていたみたいね」

 親友。白島莉乃にとって、これほど空虚な響きの言葉もなかった。ため息を出し切ったあと、莉乃は少しだけ笑みを見せて言った。

「……夕陽は最高の友人だったわ。だから死ななくちゃならなかった」

「続けて」

「成績優秀品行方正、名門校のこの学校の生徒会長は、親友と二人で文芸部を立ち上げた。でもある日、その親友は『不慮の事故』で命を落とした。彼女の遺志と人生を継いで、その子は歩み続けるの。立ち止まらず、前を向いて──私はね、刑事さん。物語バックグラウンドがほしかったの。誰よりも強固な、誰もが私のことを褒め称えるであろう、その土台となる物語が」

 つばめは目も合わせなかった。その代わり、言葉少なに──体温を感じさせないような冷たい声で、それに応えた。

「残念だけど、それはボツよ。あなたは長い時間をかけて、夕陽さんの死を償わなくちゃならないわ」

 莉乃はなんだか気が楽になったようになって、ソファの上でため息をついてから、ゆっくりと立ち上がった。

「……それもいいかもね。道を踏み外した少女が、償いきれない罪を償うために生きる。それはそれで、心躍る物語になるかもしれない。刑事さん。わたし、あなたに見つけてもらって良かったのかもね」

 つばめはそれには応えなかった。そのかわりに振り向いて、扉の先へと手を差し、促した。

 部屋の外の喧騒は、不気味なくらいいつも通りで──莉乃はそれがなんだかおかしくなって、彼に振り向いて言った。

「さあ、エスコートしていただける? 刑事さんに手を取ってもらえるなんて、そうそうない展開でしょう?」


おんなどうし 終

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三条つばめ警部補のお別れ「おんなどうし」 高柳 総一郎 @takayanagi1609

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