第1話 私だけが残された……。

私は毎朝、登校前に仏壇に手を合わせる。

古びた写真の中で笑う父は、私が小学生の頃に亡くなった。


あの日も、父はいつも通りパソコンに向かい、

在宅ワークをしていた。

「お父さん、昼ごはんできたよ」

いつもなら、返事が返ってるのにと思いながら扉を開けると⸺。

父は椅子にもたれかかるようにしていて、

その顔は苦しそうで、けれどもう、息をしてい

なかった。


病名は心不全。

突然だった。

目の前で、父が冷たくなっていく感覚を、母の叫び声を私は忘れられない……。

(あんなに暖かかったのに、あんなに優しかったのに、どうして……)


「今日も行ってきます、お父さん」

小さく呟いて立ち上がると、台所から母の声が響く⸺。

「早くしなさい、ご飯冷めるわよ。」

ダイニングテーブルには、兄が無言でトーストをかじりながらスマホを弄り、妹はランドセルを背負い、牛乳を飲みながら眠そうに瞬きを繰り返している。

「お姉ちゃん、今日、帰り遅いの?」

「ううん、普通だよ。」

「やった!一緒におやつ食べれるね!」

妹はにこっと笑う。

その笑顔を見るだけで、疲れが少し消える気がした。

「兄貴も早くしなよ、大学間に合わなくなるよ?」

「……わかってるよ。」

兄はスマホを置き、無造作に鞄を肩にかける。

母は忙しなく皿を片付けながら、

「行ってらっしゃい」と背中越しに呟いた。


(お父さんがいなくなってから、家の中は少し静かになった気がする。でも、まだ家族がいる。それだけで、私は……)


学校では、いつも通り授業を受け、友達と昼食を食べ、他愛のない会話をして笑った。

何も変わらない一日。

ただ、それだけで十分だった。

帰り道、夕暮れに染まる住宅街を歩きながら、

ふと胸騒ぎがした。


(……何だろう、この感じ。)

家の前に着き、玄関を開ける。

「……ただいま。」

⸺返事はない。

珍しいなと思いながら靴を脱ぎ、リビングの扉を開けた。


「……え?」


そこには、母と兄と妹が並んでソファに座っていた……。

手を繋ぎ、微笑んでいるような顔。

「何……してるの……冗談はやめてよ!」

声をかけても返事がない。

震える足で近づき、母の肩に手を置いた。

⸺冷たい⸺。

(……あぁ、この感じ……知ってる。温もりが消えていく……。)

お父さんが亡くなったあの日、あの時と同じ冷たさ。

「……お母、さん?」

呼んでも返事はなく、兄も、妹も、どれだけ叫んでも揺すっても、もう戻ってこなかった。

涙が止まらなかった。

声も出なくて、ただ震えるしかなかった。


(どうして……どうして私だけ……)

家族全てを失った。

何のために生きているのかわからなかった。


夜。

私は街の灯りを見下ろしていた。

ビルの屋上。

フェンスを越え、冷たい風がスカートを揺らす。

下を覗けば、小さく車や人が動いている。

(……もう、いいよね……こんな世界……)

誰もいなくなった世界で、生きていく理由なんてない。

足に力を込めた、その時――。

「……死ぬな。」

低く冷たい声が背後から響いた。

驚いて振り返る。

月明かりの下、黒いコートを纏った青年が立っていた。

無表情で、けれどその瞳には、深い哀しみと決意が宿っている。

「……誰……?」

青年はゆっくりと近づき、フェンス越しに私を見上げた。

「俺の名は紫苑、“八咫烏”の一員だ」

その単語は、私には意味がわからなかった。けれど、まるで空気が張り詰めるように、世界の色が変わった気がした。


「……失ったものを取り戻したくはないか?」


でもその声は、不思議と温かく、泣きそうになるくらい優しかった。

「来い。お前には、その力がある。」

その手を取れば、もう戻れない気がした。

けれど――。

帰る場所なんて、もうどこにもなかった。

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