第6話
夜になると、夫がうなされる。
私の隣で、額に汗を浮かべて、苦しげに衿をはだける。
私は肘をついてその顔を覗き込み、こめかみに貼り付いた艶やかな髪を退けてやる。
低く、なまめかしく呻く声が、私の腹を熱くした。
厭うみたいに、首が幾度も振られて、ほんの僅かに瞼が開く。黒く濡れた瞳が私を捕らえて、懇願するように唇が喘ぐ。
「大丈夫」
そっと耳元に囁くが、恐らく聞こえてはいまい。
夫はぎゅっと目を閉じると、また、苦悶の声を漏らして闇の底に沈み込む。
指先で、枕を突いた。柔らかな毛皮の奥で、ぎゅっと蠢く気配がする。
枕の中身を、種に変えたのだ。
数週間前から枕の下には、毎日一冊ずつ、私のコレクションのホラー小説を忍ばせている。
羽毛の枕は夫から放たれる悪夢を吸って面白いように育ったけれど、陽に当てずにいたら、あっというまに不快な蛋白質臭を放つようになった。
陽に当ててしまっては、思うように悪夢が蓄積されない。
だから、陽に当てても悪夢が逃げないようにしたのだ。
そば殻や小豆の枕があるのだから、他の穀類や種だって枕になるだろう。そう思って、色々な種類の種を枕に混ぜた。生きた種たちは悪夢を吸って育ち、種に吸われた悪夢は、陽に当てても蒸発することはない。
ある程度、種が育った頃合いを見計らって中身を全て種に入れ替え、獏の枕覆いをかけた。
それが功を奏したらしい。種はあっという間に発芽して、枕の中で成長を続けている。
ここ最近は。夫が家に帰ってくる日が増えた。
誘蛾灯としての魅力が下がったわけではない。
苦悶に仰け反った夫の首筋を、指先で弄ぶ。幾筋もの赤い痕が、夫の滑らかな首を飾っている。
夫の爪が膚を掻き毟るのをやんわりと押さえて、首筋に屈み込む。
私の鼻先のすぐそこに。枕から伸びた細くなよやかなものが、夫の膚に絡みつき責め立てていた。半透明な白く蠢くそれらは、微細で精巧な幾本もの手のように見える。腕は女たちのように取りすがり、膚を掻き毟り、爪を立てる。私は小さな手を掻き分けて、爪の先で夫の首筋を捻ると、ふふ、と嗤った。その吐息に、白いものたちもさざめくみたいに揺れる。楽しい。
日々増えるなまめかしい傷跡は、光に集った蛾のような女たちを傷つけたのだろう。一匹また一匹と、翅をもがれて落ちていった。
新たに引き寄せられてきた虫たちも、次第に耳にまで広がる膿んだ傷に、眉を顰めて遠離っていった。
「病院に行こうと思うんだ」
ひどく落ち込んだ夫の頭を胸に抱いて、私はその背を幼子をあやすように優しく叩く。
同僚から聞こえよがしに、ストレスで身体中を掻き毟ってると揶揄されたそうだ。耳の縁も唇の端も、ひどく荒れて爛れている。
「大丈夫よ、落ち込まないで。ほんの少し、疲れが出ているだけだよ」
冷たく濡らしたタオルを患部に当てて、薬を塗り込んでやる。痛みにびくりと歪む顔が愛おしい。
「あなたはそんなに心が弱い人ではないでしょ」
髪を指先で梳いてやると、甘えるように胸に顔を埋めた。
「君だけだよ、僕に優しくしてくれるのは」
そう微笑んだあの唇の端を、今、暗闇の中で小さな手たちがこじ開けて、夫の口中に割り入っていく。涎がつうっと、顎の端に垂れていた。
枕は夫の悪夢を吸って、もう、はち切れそうなくらいに膨らんでいる。
「あは」
私が吐息を漏らすと、弾けるみたいに一斉に伸びた腕たちが、夫の顔を包んで呑み込んだ。
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