第21話 バダルから見たイステア政府(完結後加筆)

 * * *


 真面目に生きてきたアウシュリスには申し訳ないが、バダルはわりと真剣に人生を決めるのはハッタリであると思っている。正確には、ハッタリが通用する段階に来るまで真面目に働き、九割九分まで積み上げたところで一分の誇張を効かせるのがいい。


 今回ブルヤ総督府に乗り込むにあたって、さまざまな裏工作をしてきた。だが、最後の最後は賭けであった。綺麗な言い方をするなら、妻と仲間を信じて大きく出た。

 ガラサの森には虎が住んでいる。当人はたいしたことのない人物なのに大物の権威を笠に着て威張る者のことを、虎の威を借りる尾長猿、と呼ぶ慣用句がある。今のバダルは虎でもあり猿でもある。バダルの名前を出して大きな顔をするガラサの戦士もいれば、アウシュリスの名前を出して大きな顔をしているバダルもいるわけだ。




 その日の夜、バダルたちガラサの戦士一同は、ブルヤ総督府の近くの大きなホテルに泊めてもらうことになった。以前はブルヤ総督府の中に来賓が宿泊するための豪華な客室があったらしいが、ほかならぬバダルが燃やしてしまったので、今の総督府には官吏たちが働くための必要最低限の執務室しかない。


 民族衣装で高級ホテルに現れた一同を、イステア人やイステア王国と国交のある国々の富裕層の客は、奇異の目で見た。正直なところガラサの一同は少し居心地が悪かったのだが、アウシュリスが堂々としているので、バダルたちも胸を張って歩いた。


 注目されるのは好きではない。それが王の務めだと思っているので平気なように振る舞うが、生粋の王族として一挙手一投足を監視されて育ったアウシュリスにはかなわない。やはり自分は海辺の森に帰って静かに暮らすのがよい。


 とはいえその海辺の森での静かな暮らしは今ここでもぎ取らないとならないわけで、今はまだもうひと押しのところにいる。


 宿泊室に入ると、アウシュリスはすぐベッドに転がってしまった。イステア人たちの目が届かないところに来たことで、緊張の糸が切れたらしい。


「海での暮らしには身分の上下がないから、居心地がいい。早く帰りたい」


 身分が高いというのもそれはそれで何かと苦労があるようだ。


 バダルもベッドに膝をついた。ベッドが柔らかすぎて、膝が大きく沈む。包み込まれるようだ。たまにはこういうのも悪くない。


 疲れ果てているアウシュリスの顔色がなんとなく悪い。バダルは彼のもみあげのあたりを指の背で撫でた後、目尻のあたりにそっと口づけをした。彼が少しだけ笑った。


 笑ってくれるようになったな、と思うと、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感じをおぼえる。心の柔らかい部分を見せてくれるようになった喜びと、見せられないと思っていた海に来る前までの暮らしとそれを連想させるこの街への怒りが、ぐちゃぐちゃになる。


 アウシュリスが腕を伸ばしてきた。絡みつくようにバダルの首に回す。その甘えた仕草は可愛らしかったが、バダルは首を横に振って拒んだ。もう一度眉間のあたりにキスをしてから、ふかふかと沈むベッドに押しつけ、「今日はもう寝ろ」と告げた。


「一緒に寝ないか」


 誘惑される言葉だ。けれど顔色が悪い。体調が悪い時に無理をさせていいことはない。その体調の悪さが心の疲れからくるものだとしても――否、なおさらか。


「どうしてもしたいなら手で抜いてやる」

「そういうことではない」

「そうだろうな。わかっている。意地悪を言って悪かった。とにかく寝てくれ」


 アウシュリスが手を離し、ぱたりとシーツの上で寝返りを打って横を向いた。バダルはまたアウシュリスのこめかみにキスを落とした。


「俺は少し戦士たちと話がある。先に寝ていてくれないか」

「それは、俺は交ぜてはくれないのか? 俺もガラサの戦士でありたい」

「そんな顔色で言うことかよ」


 そう言うと、彼はさらに体勢を変えて、枕に顔を埋めた。その頭を上から撫でたあと、バダルは「すぐ戻ってくる」と告げて部屋を出た。


 廊下に出て、回廊を歩き、ロビーに続く階段をおりる。


 そこに、バダルを待つ男の姿があった。


 ガラサの人間ではない。

 ブルヤ総督府で会った、エレファから来たという政務官の男だ。頭髪はすでに真っ白だが、まだ現役で政治に携わっているということは、どんなにいっていてもまだ六十くらいだろう。それでこのくたびれ具合だ。エレファの中央政府がどれだけ荒れ果てていることか想像がつく。


 男はイステア式の礼をしてバダルを迎えた。


「どうぞこちらへ」


 ロビーにあるソファに導かれる。座るように促されたので、遠慮なく腰を落ち着けた。男もその向かいに座る。


「私は以前この国の宰相を務めていた者です」


 男がそう言った。バダルは「知っている」と返した。


「ご存じでしたか」

「ナメないでいただきたい。ここ五年ぐらいの中央政府の人事はだいたい頭に入っている。あなたは、先代のウルムス王が崩御した時、ヴェルトゥース王の内閣改造で追い出されたんだったな」

「はい。それをご存じなのなら、私がこれ以上あえて自己紹介する必要はございませんね」


 ホテルの接客係が現れて、ティーセットを持ってきた。蒸らしたティーポットから二人分のお茶を注ぐ。元宰相の男が先に手に取り、「毒見をしましょう」と言って最初のひと口を飲んだ。


「一対一でお会いくださいまして、ありがとうございました。国王陛下のいないところで、あなたとお話ししたいと思っておりました」

「俺もだ」

「うまくお呼び出ししないと、アウシュリス殿下に気づかれてしまう。なかなか気を遣いましたよ」

「よく俺もアウシュリスに何も言わずに来るはずだと信じて待てたな」

「あなたはとても頭の切れる方ですから。アウシュリス殿下は決して愚かではありませんが、少々直情的で、思い込みが激しいところがある。変な責任感をもって必要以上の重荷を背負われるのは我々の本意ではありませんし、あなたもきっとそう思われるのではないかと思いました」


 バダルはばれないように細く長く息を吐いた。初めてアウシュリスの本質を正しく理解しているイステア人に会ったような気がしたのだ。『イステアの軍神』として、イステア王国の王弟としてのアウシュリスではなく、若くて不器用な一人の青年としてのアウシュリスを、この男は知っている。ずいぶん長い付き合いなのだろう。腐っても先の王の側近なので、もしかしたら三兄弟が小さかった頃から知っているのかもしれない。


「本題に入りましょう」


 元宰相が、ソーサーにティーカップを置いた。


「五億ペルリ、お支払いしましょう」


 バダルは顔色を変えないように努めた。


「可能なのか」

「私が王の頭を飛び越えて議会に掛け合います。議員たちはみんな私がどういう経緯でヴェルトゥース陛下にお役御免を言い渡されたか知っていますから……、つまり、派閥政治なのですよ。私にはたくさん子分がいるということです」

「となると議会のあなたの子分たちが王と真っ向対立になるんだな」

「先ほどご覧になったでしょう。我々は最悪宮殿に銃弾を撃ち込みます」


 この男も涼しい顔をしてなかなか覚悟の決まったことを言う。


「それをしてこなかったのはアウシュリス殿下がいたからこそ。アウシュリス殿下が悲しまれることはしないべきだと思っていたのですね」

「あいつはそんなに愛されているのか」

「まあ、魅力的なお人柄のお方ではありますけれど、それだけではない。お気づきかもしれませんが、ヴェルトゥース陛下は、王妃様とご結婚されてから七年、お子がないのです。ヴェルトゥース陛下の御身に何かあった時何が起こるか、ご想像いただけますよね?」


 アウシュリスの王位継承権の順位は第一位だ。先手を打ってアウシュリスに取り入れば、次期国王の側近になれるかもしれない。アウシュリスは世話になった人間にたいへん大きな恩義を感じてしまうタイプなので、計算高い政治家たちはこれ幸いと思っていたに違いない。


「五億ペルリで、アウシュリス殿下を解放してくださいませんか」


 男は至極真剣な顔で言った。


「人質の返還を要求します。五億ペルリとあなたたちの言うところの自治権とやらを用意しますので、どうか殿下をお返しください」


 お互いの声以外何も聞こえないのは、ブルヤの街が死んでいるからか、バダルの神経が高ぶっているからか。


「具体的に」


 バダルは喉を潤すために茶で唇を湿らせた。


「あなたたちの思う我々の自治権とは何だと思う?」


 それを見て、男も茶を口に含んだ。それから、ゆっくり口を開いた。


「時間をかけてゆっくり交渉していきたいと考えていますが、まずは、兵役の免除ですかねえ」


 心の中で、歓喜のポーズを取った。それでもそれを顔に出さずに済ます。


「イステア政府側から働きに来いとは言いません。もし働きに来ていただけるのであれば、イステア人の兵士と同じ俸給を出しましょう。それでどうですか」

「ふうん……」

「今まで集めた志願兵の誓約書は一度燃やしてしまいましょう。働きたい人には改めて書いていただきます」

「それはガラサの民以外の先住民にも適用可能か?」

「いいでしょう。ガラサの王がすべてのイステア王国の非イステア系住民をいったん軍事活動からはずさせることに成功したと喧伝なさい」


 先ほどの広間では王とアウシュリスの間を行ったり来たりする情けない姿をさらしていたが、なかなか老獪な政治家の面も持ち合わせているようだ。


「ただし」


 男が足を組む。


「アウシュリス殿下の解放が条件です」


 しばらく、見つめ合った。男の青い瞳と、バダルの左右で違う色の瞳が、にらみ合い、窺い合い、探り合う。


「――わかった」


 バダルは、頷いた。


「アウシュリスに決めさせよう」


 そんなことは、いまさら改めて本人に聞いてもエレファには帰りたくないと言うに決まっているのだ。あるいは、変な責任を感じていったんエレファに帰ると言い出す可能性はゼロではないが、バダルにはアウシュリスを取り戻す自信があった。


 アウシュリスはそれでも海での暮らしを求めてくれると、確信していた。


 男が大声を上げて笑った。


「仕方がありませんな。我々の敗北です」


 彼も広間でアウシュリスとその兄弟の亀裂を目の当たりにしている。アウシュリスがどういう反応をするのか、想像がついているのだろう。


「人質は解放したぞ。今後アウシュリスがどうするかについて、俺は口を出さない。これ以上束縛しない。今ここで宣言する。書面を書いてもいい」

「よろしい。書いていただきましょう。私も書きます、アウシュリス殿下の身柄と引き換えにまずは取り急ぎ兵役の免除をすると。それで、まあ、アウシュリス殿下も成人しているのですから、ご自分の将来はご自分で決められたらよろしいかと」


 二人はしばらく笑った。しょうもない対談だった。




 宿泊室に戻ると、先ほど同様アウシュリスは枕を抱えてベッドに突っ伏していた。


「バダル」

「寝てなかったのか」

「俺は海に帰りたい」


 アウシュリスの赤い髪を掻き混ぜるように撫でた。アウシュリスはそれ以上何も言わなかった。


 寄り添い合ってただ睡眠を取り、翌朝海への帰路についた。



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