第6章 海を守るための、アウシュリスの戦い

第18話 人質の意味がまるでなくなっている

 徴兵の招集期限は今月の末日、誓約書を書かされた日から数えると半月以上あった。

 この間バダルはすべての部族の戦士たちと協議し、各地域に手紙を書いた。必要があると判断した場合は信頼のおける戦士を派遣して、他の民族の長と現状の情報の共有を図った。


 先住民たちのこういった連係プレイは見事なものだった。アウシュリスは先住民たちの情報網を侮っていた自分を恥じた。彼ら彼女らはいつでも協調して謀反を起こせる体制を整えていたのだ。不足しているのはどうやら資金だけだと思われる。つまり、五億ペルリが滞りなく支払われれば、イステア王の独裁体制は早々にひっくり返っていたおそれがある。


 アウシュリスはついつい自己卑下してしまうが、いろんなところで『イステアの軍神』がいなくなってよかったとささやかれているらしい。現在、イステア軍は統率が取れていない。逆に言えば、誰かがどこかで一歩を踏み外すと、苛烈な弾圧が行われる危険性もある。だがその場合、全民族が蜂起する大義名分を与えることになる。パワーバランスを崩すのはいつだってイステア人側で、それを抑えていたのは王弟のアウシュリスだった。


 考えれば考えるほど兄のめっきが剥がれていく。あんな奴のために命を懸ける必要はなかったな、と思うことが増えた。


 イステア王国は近々崩壊するだろう。しかしそれをアウシュリスが心配することはない。アウシュリスはガラサの海で自堕落な生活を送って平和に暮らす。バダルと肌を重ねるたびその思いが強くなる。


 海の波はいつも規則正しく寄せては返している。人間の小競り合いなど関係ない様子だ。嵐が来れば荒れるぞと脅されたこともあるが、乾季の今は静かなものだ。


 そんな折、侵入者が現れた。


 マクイ族の戦士たちが捕獲したのは、ほんの数ヵ月前まで自分も着ていたはずの、しかし今となっては遠い昔のこととして思い出される軍服の男たちだった。金の髪に青い瞳の典型的なイステア人の男が二人だ。彼らは硬い蔓状の植物で縛り上げられた上でバダルの前に引きずり出された。


 村のはずれにある広場で、二人の兵士がむりやりひざまずかされている。普段ガラサの海では上下関係など無きに等しいが、王政をいただくイステア人の前ではそれらしく見せるために偉そうにふんぞり返ったバダルの前で、兵士たちは平服するよう要求された。


 彼らを捕まえた戦士たちの報告によると、彼らは樽で油を持ってきてマングローブに撒こうとしていたらしい。海水も植物もすべて油まみれになるところであった。そんなことになれば漁ができなくなり、マクイ族の収入は半減する。海面に油が溜まれば火をつけることも可能だ。恐ろしい計画だった。


 そこまで把握しておきながら、バダルはあえてこう聞いた。


「で、貴様ら、何をしに来た、と?」


 大勢のガラサの人間に囲まれ、一人だけ椅子に座って日傘を差してもらっているバダルを前にして、兵士たちが委縮している。だが、彼らにはイステア人ならではの傲慢なまでのプライドがある。マクイ族の戦士たちは彼らの顔を地面にこすりつけさせようとしたが、二人があまりにも抵抗するので、バダルが「いい、よせ」と止めた。ちなみにこの一連の流れは全部演技だ。


「貴様らは生意気だ」


 兵士のうちの片方が、怒鳴るように言った。


「素直に言うことを聞かないガラサの民に対して、新任のブルヤ総督がお怒りである。これは懲罰だ。部族の全員がブルヤに出てきやすくなるように、貴様らの不潔な森を焼いてやるのだ」


 バダルが溜息をついた。


「その、言うことというのは? 新任のブルヤ総督は何にお怒りなんだ。ブルヤでガラサの民が揉め事を起こしたのか?」

「志願兵の誓約書を提出してからすでに二週間になる。常識的に考えて、待たせすぎであろう」


 片方がそこまで説明すると、もう片方も勢いづいてこう言った。


「ブルヤとガラサで一番近い集落の間は徒歩でも半日しかかからぬというのに、なぜ急いで来ないのか。総督が貴様らを使ってやると言っているのだぞ。喜び勇んで馳せ参じるのが筋というものではないか」

「なるほど。書類上は月末と書かれているのに、一週間を残して待ちきれなくなった、と。貴様らのほうが望んで契約を破ろうとしているわけだな」


 バダルが立ち上がった。


 それと同時に、マクイ族の戦士たちが、槍の石突いしづきで地面を突いた。全員が一斉に音を鳴らした。イステアの兵士二人がぎょっとした顔であたりを見回した。警告音としては上々だ。


 兵士二人の前に、バダルが膝をつく。そして、至近距離で「およそ文明人のすることとは思えないな」と吐き捨てる。兵士二人が身を寄せ合って蒼い顔をする。


「契約違反はそちらだ。貴様ら二人を串刺しにして刈った首を新任のブルヤ総督に送りつけてやる」


 片方が失禁した。バダルが「きたねえな」と言ってその男の股間を踏みつけた。絶叫が森に響き渡った。


「とりあえず倉庫につないでおけ。首の刈り取りは夜のお楽しみだ」


 王のその言葉を聞き、戦士たちが二人を強引に立ち上がらせた。酒瓶を保管する倉庫に連れていくそうである。酒は最悪飲めなくても死なないので、万が一暴れて割られても困ることはないという寸法だ。また、倉庫には丸太の壁があるため、音が漏れにくい。階段を引き上げられて、倉庫の中に押し込められる。二人分の「出してくれ」「助けてくれ」という悲鳴がくぐもって聞こえる。


「やれやれ」


 演技をやめてそれらしさの演出をやめた戦士たちが、バダルの周りに集まる。ずっと隠れて見守っていたアウシュリスも、バダルのすぐそばに歩み寄った。


「論理が破綻している。ブルヤ総督府、もっと言うとイステア政府はまともな連中じゃない。俺が外国の外交官だったらイステア王国との国交は断絶だ」


 バダルの言葉に、一同が頷いた。


「面倒なことにガラサの海がイステア王国の植民地なのでケツを拭くつもりで次の一手を考えないといけない。あー、金が欲しい」


 アウシュリスは「すまなかったな」と苦笑した。


「兄上が五億ペルリを素直に払ってくれていたら、今頃ガラサ王国が成立していたな」

「まあべつに俺は王冠が欲しいわけじゃないからそこまでする気はないが――」


 バダルはおもしろくなさそうな顔だ。


「連中、人質の意味がわかっているのか、とは思う」

「人質?」

「こういう無謀をやらかして俺がアウシュリスを殺したらどうするんだという話だ」


 いまさらになって、アウシュリスは自分が人質という名目で海に連れてこられたことを思い出した。バダルとねんごろになって何もかも忘れていた。今は何ひとつ不自由のない暮らしをしている。人質でも捕虜でもなんでもなく、客人ですらない。


「ふつう契約が不履行になったら人質は処刑だろう」

「言われてみれば確かに」

「つまり、お前の兄貴はお前の身柄がどうなろうと知ったことじゃないということだな。胸糞悪い」


 やはり自分は厄介払いをされただけなのだ、ということを身にしみて感じる。けれど今のアウシュリスは、海で、もっと言うとバダルの隣に居場所を見つけたので、もはやどうでもいい。


 とはいえ本当に心底どうでもよくなったら、政治的な駆け引きは成り立たない。


「俺はどう振る舞えばいい? 殺される、助けてくれ、というような嘆願書を兄上あてに書くか?」

「心にもないことを言うようになったな。俺はそういうの結構好きだぜ」


 倉庫の中から兵士たちの悲鳴が聞こえる。


「新任のブルヤ総督とやらにご挨拶に行くか。お前のお兄様はガラサの民の集落で元気にしているが、お前のほうはどうだ、とあえて嫌みっぽく聞きに行ってやる」

「会ったところで、どうせ無位無官が気まずくなって肩書だけ就任した名誉総督だろうが、何か効果はあるだろうか?」

「お前は弟に会いたくないか? ここまで馬鹿にされて、何か言うことはないのか」


 アウシュリスは笑ってしまった。バダルのことだから国単位でなんらかの作戦があるのだろうが、アウシュリス個人を慮ってくれているような気もしてきたからだ。彼は聡明な政治家であると同時に、妻を溺愛するただの男でもある。それに、これは勝手な願望ともいえる捉え方だが、アウシュリスは選択を誤らないと信じてくれているのではないか。


 以前、バダルはアウシュリスを何のために人質として迎えたのか、ということを考えて悩んでいたことがあった。アウシュリスを迎えることは、政治的にも個人の感情的にも、一石二鳥だった。アウシュリスはバダルにとってすべてを解決する存在だったのだ。兄にいらないと切り捨てられたアウシュリスにも、政治的な価値がある。それはそれで、アウシュリスが一人前の政治家であると認められたことに通じるような気がして、嬉しい。


「ナンファスをグーで殴りたい」


 年下だから、母の愛息だから、という理由で遠慮していたが、植民地経営をするいっぱしの政治家になったというのなら大人だ。もう我慢することはない。


 バダルが笑いながらアウシュリスの頭を撫でた。


「よし、一緒にブルヤに行くか。俺が見届けてやる」



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