親愛なるこの身へ

ゆらり

第1話

親愛なるこの身へ



「私ね ユイの絵、大好きなんだよ。」

「そっか。ありがとう。」

「ユイだけは 自分の大切を怖さないでね。」


海が好きだった彼女。もう何年も会っていない。なぜか顔も思い出せなくなってしまったのは、記憶に蓋をしているせいだろうか。

数年前、高校卒業と同時に私が引っ越してしまって、それっきり。噂では「死んだ」とか「子供ができた」とか「海外に行った」とか、信じ難いものばかり。不思議な子だったから、周りの人からは避けられていた。噂が立つのも無理はない。

「ユイさん、大丈夫ですか?ぼーっとしてますけど。」

バイト先の後輩が私に問う。高校生の男子で……彼女と苗字が一緒の「山中」。よくある苗字だからあまり気にする意味もないが、私は彼女に執着しているのだ。山中を見る度に彼女の声を思い出す。ふわふわしていて、彼女の大好きな海に入ってしまえばすぐに聞こえなくなってしまって………放っておいたらすぐに彼女のことを考えてしまう。

「大丈夫。考え事してた。」

「立ちっぱなしだとキツいですし、しんどくなったら構わず休んでくださいね。」

「すごい、もうそんなに気を遣えるようになったんだ。」

「俺の評価どうなってるんですか?!」

トントン拍子で会話が進む。

「そういえばユイさん、バイトあがったらいつも早々に帰ってますけど、家で何かやってるんですか?」

「ああ、絵描いてるの。」

「わぁ!すげー!」

絵のことを言えばみんな褒めてくれる。だが、私は彼が思うほど凄いものは描いていない。それに、夢中でずっと描いているのだ。気づいたら紙一面、全て埋まっている。描いているときの記憶はない。ずっとずっと、ずっと。最早恐怖まで感じてしまうよ、山中もこれを知ったらそう感じるだろう。


……ほら、気付いたらもう深夜1時だ。17時に帰ってきてから休まず描いていたらしい。

今日もまた何枚もの紙を同じ人間の絵で紙を埋めてしまった。真っ黒な目と、セミロングで前髪が重ための女の子の絵。絵を描く度に親のことと彼女を思い出す。親は私が絵を描くことを反対していたから、彼女にだけは沢山見せてきた。

海の絵を描けば

「ユイは私が見たい世界を描いてくれるんだね。」

人物画を描けば

「その絵の中の子 大切にしてね、全部。」

と、感想や言葉を沢山くれた。だから執着しているのだ。褒めてくれるのは彼女だけだったから、今でも探してしまう。またどこかで出会うことができて、絵を見てくれるんじゃないか……と。彼女のお陰で今でも描き続けているけど、こんな意味のわからない絵ばかり描いていて彼女は悲しまないだろうか。

「そんなこと気にしても、もうあの子が何をしてるかもわからないんだし。」

深夜になると、憂鬱な気分と嫌な記憶が蘇ってくる。...今日は、親が絵を嫌悪する声。

「いつまでそんなことやってるの……将来はちゃんと働いてね。絵なんて仕事にしたら食べていけないよ。」

これが親の優しさでもあることを知っている。けれど、当時も今もこの言葉が怖いから、今は絵に関係のない大学に通っているのだ。

私は弱い。言葉に救われて、言葉に刺されて、刺された傷だけを表面に出している。今も彼女がいれば、私は強くなれただろうか。

「……寝なきゃ。」

絵をファイルに閉まった。今日も記憶を殺して眠りにつく。

彼女は海のそばに住みたいと言っていた。それは叶っているだろうか。水面の月であった私を、本物の月だと信じて掬い上げ続けてくれた彼女の幸せを願うばかりだ。


結局あまり眠れなかった。

散歩をしていたところ、

「ユイさん!」

「うわぁっ!!!」

なぜかそこにいた山中に声をかけられた。部活の朝練だったらしいが……それはそうと、自分でもびっくりするほど驚いてしまい、鞄とファイルの中身をひっくり返してしまった。

「すみません、そこまで驚くとは思わなくて…」

「いいよいいよ、ただ寝不足だっただけ。」

「……あ、これ……ユイさんが描いたんですか?」

一緒に拾いながら山中が言う。そうだ、ファイルに昨日の絵を入れたんだった。

「勝手にすみません」

「別に見てもいいよ。」

山中が目を輝かせて、挟んであった1枚の絵を眺め出した。そこまで気になってたのか。

「へえ、こんな感じの絵なんですね!」

「やっぱり恥ずかしいからあんま見ないでよ。」

彼女以外に見られるのは慣れない。恥ずかしさに耐えていると、山中がまた口を開いた。

「俺のいとこの姉ちゃんに似てますね」

「え?」

思わず声が出てしまった。いとこの姉ちゃん……?

「マリって言うんですけど、めっちゃ美人なんですよ!」

マリ。山中マリ あっ


この絵は山中マリの絵だ。


「その姉ちゃん、今はどこにいるかわからないんですけど、俺にはたまに手紙くれるんですよ。海のそばに住んでるらしくて!羨ましいですよね!」

「そうなんだ……」

自分で描いた絵を、いつもよりじっくりと、深く見つめる。セミロングの黒髪で…その下に、真っ黒な瞳を持つ彼女。それがマリだ。絵の人物と全く同じじゃないか。どうして顔を忘れていたんだ。…いや、ただ自分を守るためだったんだ。山中マリといる時間は楽しかったが、彼女を思い出すとあの頃の記憶を思い出してしまって………

「あっ、俺そろそろ行きますね!絵見せてくれてありがとうございました!」

「うん。じゃあね。」

そう言って山中と別れ、再び考える。そう、守るためだった。執着が依存に変わるのを防いでいたのかもしれないな。

それでも、偶像の彼女だ。

私の利き手も、海でさえ、彼女を求めたのだ。彼女も海を求めていた。憂いの底に、ひとさじの安堵がある。

「マリ…山中マリ」

彼女の名前を何度も咀嚼する。

「私って、ずっとマリのこと糧にしてたんだね。」

数年越しにようやく気付くことができた。私は大切を壊さないよ。もちろん、私の中のマリも壊れないよ。でも、固執し続けるということを心の奥底で嫌悪しているんだ。自分はこんなにも弱かったのか、と思い知ってしまうから。

彼女が大量に描かれた絵に手を伸ばした。そして、それを勢いよく裂いた。偽物の彼女の魂が流れ出ていくように。

割り切れるかはわからない。

けれど、私は一つの本物を大切にしていきたかった。


私は、自分の持つ偶像のマリだけを弔う。


そういえば、マリは海のそばに住めたのか。


彼女は今 幸せだろうか。

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