第3幕

 こうして剣技大会が閉幕した。

 ベアトゥースとの戦いを切り抜け、上位入賞の賞金を頂戴したあと、ふたたび闘技場近くの安酒場へ戻った。ベアトゥースの正体は周知の事実だから、俺は女に負けた男ということになり、誰にも祝杯を挙げてもらえはしなかったが、ベアトゥースはかすり傷ひとつ負わなかったし、エフタル王や王国貴族や騎士達の面前で充分目立つことができたし、俺としては今回の剣技大会の結末に満足していた。さて、この賞金でどこまで食って行けるか……。それともしばらくエフタルに逗留し、王様や貴族からの仕事の話を待つか……。そう思っていたとき、酒場の入り口に甲冑の靴音が聞こえ、振り向くとエフタル兵が立っていて、王城へ案内された。……残念ながら、仕事の話じゃなかった。


 自己プロデュースの手段として上手くやりおおせたはずの試合に満足しない者がいたのである。謁見の間にはエフタル王と家臣達が勢揃いしていた。貴賓を迎える場みたいだと思ったが、その貴賓とはどうやらベアトゥース……もとい、ザインラント王女ベアトリーチェのことらしかった。

「傭兵、顔をお上げなさい」ひざまづく俺を見てベアトリーチェは言った。「闘技場での試合、わざと負けましたね?おまえに決闘を申し込みます」

「畏れながら、侮辱された腹いせに俺の首級をお望みなのであれば、逃げ道を塞いだうえで決闘させるなどという回りくどいやり方でなく、今この場で俺を討ち取ってください。俺は根無し草で、いつ死んでも後悔のない下賎の身です。王女様を売名のダシにしようとしたのは、さすがに無礼でした。どんな罰も甘んじて受けるつもりです」

「そうではない。そういうことではないの。ただ対等な立場で、隠し事なしに剣を交えたいだけ。私はおまえのような根無し草を探していた。なぜなら、私もおまえと同じだからよ」

 剣を志す以前、ベアトリーチェは普通のお姫様だった。政略結婚の道具となるためにザインラントの富のすべてを注ぎ込んで育てられ、年頃を迎えると、お人形さんのようにきらびやかなドレスを着せられて華々しく社交界にデビューした。だが、ベアトリーチェにとって社交界は、幼心に夢見ていたものほど居心地のいい世界ではなかった。狡猾で陰湿な貴族達のいじめに遭い、対抗することができずに決定的な挫折を味わったのだ。この挫折は回復不可能かに思えた。ドレスを着せられるたび吐き気をもよおし、どんなご馳走も喉を通らなくなって、ベアトリーチェは痩せ衰えるまま自室に籠もった。

 ザインラント王はそれでもあきらめずにベアトリーチェを回復させようとして、いろいろな手習いを模索した。音楽は駄目だった。刺繍も駄目だった。編み物もお菓子作りも駄目だった。社交界を想起させる手習いは、どれもみなベアトリーチェの胃液を逆流させるだけだった。父王はついにベアトリーチェの不調を公表し、胃液が王女の声をしわがれさせてしまう前に、王女を愛するザインラントの民に広く助けを求めた。ここに至って現れたのが、高名な女騎士だった。女騎士は老齢に達し弟子を探していた。

 ザインラント王にとって不本意ではあったものの、剣の稽古に打ち込むとベアトリーチェはみるみる回復し、普通のお姫様をやめたいという意志も堅くなっていった。男の真似事がしたいわけではない。結婚は考えている。けれども結婚するなら、自分の気持ちを理解してくれる殿方がいい……。ザインラントの富のすべてを注ぎ込んだ父王にとって、娘のわがままは到底許容できるものではなく、しかし、死ぬかもしれなかった娘が剣のおかげで心身を回復した事実もあり……それが今回の、エフタル王国への家出ごっこに至る顛末なのだった。


 “高名な女騎士”というくだりに何か引っかかるものを感じたまま、俺はベアトリーチェとの決闘に臨んだ。勝とうが負けようが、ザインラント王家のゴタゴタに深く立ち入ってしまった以上、これはプロポーズだと思っておくべきだろう。人生の伴侶なんて概念はガラじゃないけど、逃げることはできない。女は謎だ。そういうことにしておこう。俺の都合ではなく彼女の都合に付き合う番だ。

 今度の戦いの舞台はエフタル城の中庭で、観客はエフタル王国の貴族達と、王女についてきたザインラントの護衛と召使い達だった。ああ、ウンコまみれの野獣でも見下すかのような、いっしょの空間で呼吸するのも汚らわしいと言いたげな貴族様の視線が痛い。ああ、宮廷詩人が決闘を詩作のネタにしようとして、メモ用の羊皮紙を手に、羽根ペンの先を舐めて待ち構えている。きっと来週には『ザインラント王女の竜退治』ぐらいに尾ひれがついていることだろう。

 ベアトリーチェは俺に大剣を使うよう命令した。肌身離さず持ち歩いている仕事道具を剣技大会のときから闘技場で見ていたのだ。……まあ、目立つもんな、これ。

「こいつは馬の脚とか長槍の柄をぶった斬るためのもんです。人間相手に使ったら、甲冑を着てても怪我じゃあ済まない。本当にいいんですか?」

「対等な立場で隠し事なしに剣を交えたいと言ったでしょう?遠慮は要りません。傭兵なら傭兵らしく戦ってみせなさい」

「へいへい。傭兵なら傭兵らしく、ねぇ……」


 《黒鷲》。俺の渾名の由来。獅子を殺せば《獅子殺し》、鰐を殺せば《竜殺し》の称号が得られるのと同じ理屈で、かつて馬鹿でかい黒鷲を闘技ステージに撃墜したとき、この大剣に名前がついた。こいつは俺の相棒。俺の命。間合いを悟られないように刃を後ろ向きに構えても、切っ先が届く範囲はよく分かっている。俺の腕力で振り抜いて、ちょうど真正面に切っ先がくるタイミングもよく分かっている。さっきベアトリーチェに教えなかった使い途がある。大剣を振り抜く瞬間に刃の向きを甲冑と並行に変え、ベアトリーチェの脇腹あたりをぶっ叩いてやろうというのだ。そうすりゃ彼女は一撃で、あの庭木の根元ぐらいまで吹っ飛ぶはず。あばらの一本や二本は勘弁してもらおう。

 俺の構えを見たベアトリーチェが先手を打ち、長剣を構えて突進してくる。俺は《黒鷲》を横薙ぎに大きく振り抜こうとする。が……突然、ベアトリーチェがし、まだ大剣を振り抜ききっていない俺の懐に潜り込んだ。つまりのだ!俺は大剣を持っていながら、その剣身の圧倒的リーチを活かせずに、ベアトリーチェの猛攻を“柄頭の技”だけで凌がなきゃならなくなった。大剣と長剣との、得物の重さによる取り回しづらさの違い……!!男と女の体重差による身軽さの違い……!!それを自覚した途端、ベアトリーチェを見守る老婦人の姿が目に入り、パズルのピースがピッタリ嵌まるように思い出した。杖に頼ってなお眼光するどい隻眼の老婆、たしかクレア……《偃月のクレア》!!騎士崩れの傭兵は大半が落ちぶれ者だが、まれに、剣の道を究めるため身分を捨て、傭兵稼業を選ぶ奴がいる。クレアは伝説の傭兵で、いわゆる“剣聖”だ。ベアトリーチェの剣筋、どっかで見覚えがあると思ったら……あのババアが仕込みやがったんだ!!

 退いても退いても押し込んできて間合いを取らせてもらえないとなると、形勢逆転するためには“傭兵の方法ラフ・プレー”しかない。ベアトリーチェが鍔迫り合いに気を取られている隙に俺は片足を持ち上げ、靴裏で甲冑の腹を押すように、ベアトリーチェを蹴飛ばした。そして彼女が仰向けに倒れたところへすかさず《黒鷲》を振り下ろし、チェックメイト。大剣の切っ先はベアトリーチェの眉間の直上で止まり、前髪の切れ端が額にはらりと舞い落ちた。


 その後、ザインラントに俺を連れて行ったベアトリーチェは、両親に結婚を認めてもらおうとして、王女の身分を捨てます、とまで言い張って猛反発を喰らった(ベアトリーチェはどこの国の王子様とでも結婚できる高貴な身分なのに、見初められた俺のほうは平民にすぎないうえ傭兵稼業なんだからしょうがない)が、剣聖クレアの取り成しのおかげもあって、俺が義父から騎士号をもらいザインラントに仕えるという形ですべて丸く収まった。クレアによれば、「あんた達の子供を鍛えてみたくなった」のだそうだ。

 ……とはいえ、国王や剣聖のお墨付きがあったところで、ザインラントの貴族や騎士達からの偏見は免れ得まい。もし窮屈な宮廷に嫌気が差したら、ベアトリーチェと駆け落ちして傭兵稼業に戻るのもいいかもな。ベアトリーチェほどの腕前だったら、そうそうくたばりはしないだろう。


おわり

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ルーヴェントとベアトリーチェ ユウグレムシ @U-gremushi

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