第2幕

 お祝いごとや政治的な人気取りを目的とした剣技大会の場合、競技というより、イベント内容が祭に近い性質を帯びることがよくあり、人間同士の戦いが始まる前に、奴隷とか罪人とか異教徒とかを引っ立て、わざと飢えさせて激昂させた状態の猛獣をけしかけていじめる。エフタルの大会の出場者も、そして俺も、予選では猛獣と戦わされた。


 熊、虎、獅子、犀、鰐といった異境の巨獣たちが、それぞれの力に見合った重さの鉄球を太い鎖で首枷に繋がれ、闘技ステージ上をのろのろ徘徊させられている。これらの猛獣がすべて死ぬか、出場者が所定の人数まで減ったら予選は終わるのだが、身動きが鈍っているからといって猛獣をナメてかかったアホが次々と鉤爪や牙やツノの餌食になっていった。エフタル王が見ているので、怖じ気づいて逃げ回ったり、人間同士で内輪もめを始めるわけにはいかない。王の面前で不名誉や卑怯なまねを見せれば、たちまちステージ外から弓兵に射殺される。矢から逃げおおせても、後日、絞首台の階段をのぼるはめになる。その一方、猛獣を一頭でも殺すことに成功したなら、猛獣殺しの称号を自慢できる。獅子を殺せば《獅子殺し》。鰐を殺せば《竜殺し》。腕っぷし以外に何の取り柄もない俺みたいなごろつき、賭博の対象として大会に送り込まれている奴隷などが、みんな、もしかしたら自分だけは生き残れるかも、という奇跡にも等しいわずかなチャンスにすべてを懸け、賞金と名声欲しさに血走った両眼をギラつかせている。

“敵の後ろを取れ”

 獣か人間かに関わらず、背後が死角である。背後へ回り込んで尻の筋肉を横薙ぎに切断すれば、たいていの生き物は立ったり歩いたりできなくなる。また、鰐は顎を閉じる力こそ人間の手足を引きちぎるほど強くとも、顎を開く力はきわめて弱く、誰かが囮になっている隙に別の者が死角から近づいて上顎を押さえ込んでしまえば、わりとたやすく無力化できる。暴力と殺戮に酔いしれる観客の視線を浴びて、俺達は目配せで連絡を取り合い、何人もの犠牲を払いながら猛獣どもを一頭ずつ確実に仕留めていった。

 いちばん厄介だったのが熊だ。闘技ステージに放たれた猛獣のうち、たった一頭生き残ったそいつは、よほど頭の切れる個体らしく、身じろぎするように首枷の鎖を引っ張り、自分を闘技ステージに縛り付けているはずの鉄球を、まるで第三の腕のごとく振り回してきた。両腕の爪に気を取られていると、この鉄球で頭蓋骨を打ち砕かれる。背後に回っても鉄球と鎖が首枷もろともぐるぐる周回しながら俺達に襲いかかり、鎖の力だけでも人間の首ぐらい簡単にちぎれてしまう。結局、熊のふくらはぎを弱らせる攻撃をチクチクと加え続けたすえ、予選通過の枠にあぶれる最後の一人が斃れたのを見届けた弓兵によって熊は殺され、死屍累々の予選が終わった。


 この予選に、例のお姫様は参加していなかった。

 へっ!エフタル王の配慮で特別扱いとは気楽なこった!!


 お姫様は誰とも剣を交えぬまま人間同士の競技を勝ち上がってきた。絞首刑のリスクを負ってまで王女相手に戦いを挑む自殺志願者はいなかったということだ。そう……俺ひとりを除いては。俺達の試合が始まる直前、主審が繰り返し「棄権するか?」「辞退するか?」と救いの手を差し伸べてきたが、俺は無視した。誰もやらない。だからこそやる。そうすればとびきり目立つ。エフタル王に名前と顔を覚えてもらえて、いい条件で仕事の契約交渉ができる。《黒鷲のルーヴェント》の登録名を司会進行が高らかに読み上げ、俺ひとりのために観衆が固唾を呑むのが分かった。もちろん、俺のことを自殺志願者だと思っているがゆえ、である。悪い気分ではなかった。死ぬかもしれないのは今に始まったことではない。


 家出王女は“ベアトゥース”と男っぽい名前で参加登録しており、青光りする甲冑で全身を固めている。しかし、ひと目見ても分かるぐらい肩幅が狭く、腹囲の細さの割に骨盤が広すぎる。王女のために作られた女用の甲冑……?存在自体が男の世界を冒涜している。女用の甲冑を見ると、夫の戦についてきた貴婦人様が安全な場所から物見遊山で騎士の真似事をして、オペラグラス越しに俺達傭兵を眺めおろすときの、虫けらでも見るような侮蔑の視線を思い出す。兜の中でもごもご名乗りを上げていたベアトゥースだが、息苦しくなったのか首のあたりを手探りでかきむしり、悪戦苦闘のあげく兜を投げ捨てて素顔を曝した。

「ッはぁ!!スッキリした……。ザインラント王子、ベアトゥース!!いざ尋常に参る!!」

 汗まみれのお姫様は、きのう鋏を入れたばかりのようにバッサリと毛足を切り揃えた短髪だった。

「この私との試合を辞退しなかったこと感謝する。どうしたの?始めましょう…ではないか!」

「髪を切ってくるとは、いい覚悟だと思ってね。ふざけた甲冑を見たときは失笑しそうになったが、見直したよ」

「なにを笑う?甲冑におかしな所などないし、男の短髪ぐらい当然ではないか」

「あくまでも、そういう態度で通すわけだな?」

「私はザインラントの王子、ベアトゥース!貴様、私と口喧嘩をするためにここへ来たのか?男なら剣を抜け!」


 ベアトゥースの長剣に対して、短剣を構える。

 俺は臨戦態勢を取りながらも、この試合の“落としどころ”について必死で考えていた。甲冑と長剣で武装していたって、男の力でベアトゥースをぶちのめすぐらいはたやすいが、ベアトゥースを負傷させることは俺の死を意味する。どうにか相手の顔を立てて、互角に戦ってみせたうえで俺の惜敗という形に持ち込まねば。

 しかし、絞首刑とプロポーズを同時に回避しつつ大会上位入賞の賞金圏を狙い、あわよくば王の面前で目立とうとする俺の算段は、ベアトゥースの腕前によって覆されるのだった。ベアトゥースの剣は、箱入り娘がちょっと囓っただけのおままごととは明らかに違う。戦場で討ち取ればひと財産にもなるがために傭兵達が相まみえることを願ってやまない、本物の騎士の技なのだ。剣を握る力が強く、攻撃においても防御においても姿勢がぶれない。剣の軌跡は美しい弧を描き、どこであれ狙ったところで切っ先がピタリと静止する。しかも基本がしっかりしているのみならず、俺の出方を観察して戦況を読む応用力もそなえている。対戦相手としての手ごわさはさておき、青い蝶の剣舞を見ているかのようだった。闘技場の観客達と同じく、俺も戦ううちにベアトゥースに惚れ込みつつあった。腕の立つ騎士に師事して、真面目に研鑽を積んだのに違いない。

 手加減に気を遣うまでもなくベアトゥースが普通に強かったので、普通に戦っても俺と互角となり、ここぞというタイミングを見計らって俺が一歩譲ることで、結果的に首尾良く惜敗できた。

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